05 帝国の裏切り
――時は進み一時間後。
城下外へと下り、城門にて行われる検査を通過した二年二組の一行は城の一室にて待機していた。この国の皇帝、アルベルト・グランドロス・リンドニアに謁見するためである。
謁見するまでに少し時間が掛かるとのことで、城一番の貴賓室に通されていたのだ。
日本では見ることのない西洋風の一室は一行には衝撃的だった。それぞれ「スゲー」だの「キレー」だのと騒ぎ立てている。
「皆様、仕度が整いましたのでそろそろ……」
城の連絡兵から一報を受けた神官長が控えめに告げた。
その一言に俄かに喧騒が収まり、緊張した空気が流れる。
これから国一番のお偉いさんに会うのだ。緊張してしまうのも無理はない。
一行は神官長に付き従うように回廊を歩く。
脇に立ち並ぶ大理石の柱、空のように高い天井、壁に掛けられた高価そうな絵画、そのどれもが平民気質の勇者達を圧倒する。
そして、踏むのも躊躇うような金箔に縁取られた真紅の豪奢なカーペット。それを踏みしめる感触に、ああやっぱり夢じゃないんだと実感する。
プレッシャーに押しつぶされガチガチになるクラスメイト。緊張していないのは、ゴスロリに身を包む小柄な女子と、ヘラヘラと薄い笑みを絶やさない二人の男子。
僕と慎太だ。
「『光の勇者』(笑)」
僕は小声で茶化す。
「うるせぇ! 俺だって似合わねぇってことぐらい理解してんだよ!」
いつまでも同じネタで笑うんじゃないと慎太が憤慨する。
僕としては噴飯ものなので、いくら怒られたところで暫くはこれで弄ることを決めていた。
「そうだね。慎太はどっちかっていうと『魔王』寄りなイメージだしね」
荒い気性に鋭利な双眸は魔王に共通するようなものがある、気がする。
そんなことはさて置き、まさか称号としての勇者でなく職業としての勇者が出るとはね。
こんな奴が『光の勇者』なんて世も末だ。
「まあ、ご愁傷様」
「この野郎、他人事だからって……」
憎々しげに舌打ちする慎太。その音に神官達が睨みをきかせてくる。いい加減静かにしろと思っているのだろう。僕らが勇者だからか、表立って言えないようだけど。
やがて一行は謁見の間へと続く門扉にたどり着く。門の脇には屈強な兵士達がそれぞれ槍の穂先を天井に立たせるように屹立していた。
「皆様、ここから先が謁見の間で御座います。くれぐれも粗相のないようにお願い致します」
神官長はそう言うと、兵士に門を開けるよう指示する。
兵士達が取っ手を掴み、観音扉を開く。すると、隙間から溢れんばかりの眩い光が漏れ緊張に身を強ばらせるクラスメイトを覆った。
視界が光に埋め尽くされた次の刹那、耳に轟くような大音声のファンファーレが鳴り響いた。
「皇帝陛下のおな~りぃ~!」
「おいなり?」
「馬鹿、静かにしなさい!」
緊張感が微塵もない慎太に榛先生が慌てて小声で注意する。
僕はそんな親友に我関せずの態度を崩さない。
「よくぞ参られた! 余がリンドニア帝国第23代皇帝アルベルト・グランドロス・リンドニアである!」
僕らは膝をついたまま皇帝の言葉に聞き入る。
「面をあげよ」
言われたとおりに顔を上げると、威厳溢れる皇帝の険しい顔つきが目に入った。人を支配することに長け、他国との謀略のやり取りも手馴れたといった感の長年の貫禄を感じる。厳格な表情の中に宿る炯々とした瞳には老獪さが滲み出るようだった。
「存じているとは思うが、現在この世界に危機が訪れている。300年前に滅んだ筈の魔王が世界を滅ぼさんと復活したのだ。諸君らを呼んだのは他でもない、魔王を倒してもらう為だ。勝手だとは思うが、どうか我々の事情に付き合って頂きたい。もちろん報酬も出す、事が終われば元の世界に帰すと約束しよう」
声高々とテンプレ事情を宣言する皇帝。それに対し、あらかじめ決めた通り『光の勇者』の慎太が返答する。
「もちろんで御座います。我ら一同この命に代えても、必ずや使命を全うしてみせましょう」
皇帝は、うむ、と鷹揚に頷いた。
「では、存分に我が城で寛ぐと良い」
その言葉で謁見は終わりを迎えた。
謁見の間から退室し一息つく。皆緊張感から解放されたようで一様に胸をなで下ろしていた。
そこに神官長が見計らったように現れ一行を別室へと案内する。謁見が終了したからか、一同の足は軽い。
「こちらでございます」
神官長が案内したのは、謁見の間程ではないが、それなりに大きい観音扉が設えられた部屋だった。
「えー、それでは皆様。そろそろお腹の方も空いておいででしょう。この部屋にて、我が国一番のコックが腕によりをかけて作った料理が皆様をお待ちしております」
その言葉に一同がどよめく。異世界に来てからおよそ三時間弱。驚愕の連続で息つく暇もなく腹の空き加減など気に留める余裕などなかったが、いざ言われてみると急速に空腹感に襲われる。それも部屋の隙間から垂れる美味を彷彿とさせる料理の匂いの所為だろう。
「それではどうぞ御着席下さいませ」
扉を開くと、そこには数々の豪勢を尽くした料理が細長のテーブルに乗っけられており、人数分の皿と椅子が引いてあった。その脇には料理人と給仕達が頭を垂れて平伏していた。
勇者達一行は行儀など忘れ、我先にと席へと駆ける。
程良い香りが鼻を擽り、知らずの内に唾液を嚥下する。
皆が着席し、配膳されたのを見て神官長が口を開く。
「それでは、我が国自慢の料理を御賞味下さい」
その言葉を皮切りに食事が開始された。一同が身も世もなく料理に殺到する。
その様子を見て――
「それが、貴方たちの最後の晩餐と成りうるかもしれませんがねぇ……」
神官長が口許を歪めた。
「なッ――!?」
一口食べた瞬間、背筋に寒気が走った。
《状態異常『眠り』が発動されました。抵抗を試みます》
状態異常!? 何故……。いや、そんなことよりみんなだ!
「みんな! これを食べちゃ駄目だ!」
僕は警告を発しようと口を開いたが、時既に遅し。僕以外の皆は既に深い眠りへと落ちていた。
恐らく、僕は耐性に強かったおかげで卒倒せずに済んでいるのだろう。だが、意識はあるものの身体が鉛のように重く動かない。
「てっ、てめぇら……。謀りやがったな……!」
そんな中、一人慎太だけが眠りに抵抗していた。唾棄するように神官達を睨めつけている。
「術中に嵌る方が悪いのですよ」
「ふざ……けんなっ!」
憤慨した慎太が手元のナイフを手繰り寄せ投げつける。豪腕から放たれた銀尖は綺麗な直線を描き、高速で神官長の首元へと吸い寄せられていく。
思った以上に力が出たのか、慎太は一瞬驚いたが、次の瞬間には笑みを浮かべていた。ステータスに補正の掛かった投擲はプロ野球投手の投球もかくやという速度を叩きだしている。僕と慎太は互いに勝利を確信する。
「フッ……」
だが、神官長は慎太の抵抗を拙攻と言わんばかりに一笑に付した。
何が可笑しいのかと問い質そうとした刹那。ナイフは神官長の首筋直前に到達し――
――甲高い音を立てて空を舞った。
「なっ!?」
放たれたナイフは事も無げに虚空で弾かれ、数回転の後に床に突き刺さった。
驚愕を禁じ得ない僕と慎太。それを尻目に神官長が下卑た笑みを浮かべる。
「私の『聖壁』を貫くにはまだまだ威力が足りませんねぇ。所詮は名ばかりですか、『光の勇者』サマぁ!?」
神官長の嘲りに憎々しげに呻き慎太が沈んでいく。
僕はせめてもの抵抗ができないか、混濁する思考で必死に模索する。
動くのは口だけ。
ならば――
(魔法だ!)
僕は新たに覚えた魔法、『呪痺』の発動を念じる。すると、脳裏に詠唱の文言が浮かんだ。
確かめるように、ゆっくりと呟く。
「『集え悪霊。暗魔の柱。生を払い、光を亡き者とせよ。我が魔を以て呪とする。『呪痺』」
「なっ、まだ意識があるだと!?」
虚空を裂くように黒い光が神官長に向けて走る。だが、それは当然の如く『聖壁』に弾かれ霧散する。
「ちっ!」
僕は舌打ちして意識の手綱を放す。もう、これ以上抵抗するのは無理だった。
《抵抗に失敗しました》
そんな機械じみた音声を最後に、僕の意識は闇へと沈んでいった。