45 裁き
お待たせしました。
リンドニア帝国第23代皇帝アルベルト・グランドロス・リンドニアは驚愕していた。
悠々自適な朝を送っていた最中に起きた、突然の振動。地震かと思いきや揺れているのは城だけで、次の瞬間には玉座の間に風穴が空いた。そこから舞い上がるようにして現れたのは、飼い慣らしたと勘違いしていた光の勇者だった。
しかし、ここで皇帝は目を疑う。光の勇者はここまで邪気に満ちていただろうかと。
慎太が空に達し、世界の破滅を宣言したところで彼は確信する。
違う、あれは断じて勇者などではない。あれは――
「悪魔だ……」
無意識に言葉が漏れていた。
優雅に空を舞い、禍々しいオーラを放ち余裕の笑みを浮かべる様は、いつか文献でみた悪魔を彷彿とさせた。
暫し呆然とする皇帝だったが、我に返ると沸き上がってきたのは形容し難い怒りだった。
これだけの惨事だ。皇城で何が起きたのかは隠し切れまい。本日行われるはずだったセレモニーは必然的に中止せざるを得なくなる。
「貴様ァ! 我が息子の門出を邪魔しようと言うのか!」
いきり立ち、あらん限りの怒号を上げた。視線を頭上の悪魔に向けたまま反目する。
慎太は眼下で皇帝が怒鳴るのを見て、露骨に嫌悪感を示す顔をした。
「なんか喚いてんな……。消すか」
慎太の負の感情に呼応するように、右手に濃厚な闇が収束していく。茫漠とする闇の塊をボウリング大に圧縮すると、目を細めて構えた。
「死ね」
腕を振りかぶり投擲。
『筋力上昇【極大】』を持つ彼の腕から放たれた闇弾は、距離を感じさせない速度を叩き出す。朧々と暗い残光を残し直進する闇の弾。それは最早隕石と呼ぶに差し支えない一撃だった。
「あ……」
回避は不可能。死は必至。
皇帝が死を悟った刹那、攻撃の前に割って入る影が現れた。
高位の僧しか纏えない純白のカソックを纏い皇帝の前に立ちふさがったのは腹心の部下。
「あ、アイソマー!」
「お怪我は御座いませんか、陛下?」
神官長アイソマー・レーメンス。
彼は『聖壁』を張り攻撃を防いでいた。
「聖は魔に強い。貴方は私に勝つことなどできない!」
神官長の声に呼応するように聖壁の強度が増し、闇弾を弾いた。
辺りに煤けたような闇が散る。
勝ち誇った笑みを浮かべる神官長に慎太は呆れた表情を見せた。
「おいおい、その程度の攻撃を防いだくらいで粋がるなよ」
再び右手に闇が収束。二度目の攻撃は槍を象る。
「せめてこれくらい防いで見せろ、『闇槍』!」
腕がブレる速度で槍が放たれる。
神官長は造作もないと口許を歪め腕を振りかざし、
「『聖へ……グフッ!?」
盛大に喀血。視線を下げると、腹部に槍が貫通していた。
充血した目が見開かれる。
だが、それだけでは終わらない。
「そういえば、お前が俺をハメたんだっけなぁクソ神官。その恨み、今晴らさせてもらうぜ」
突き刺さる槍が突如として仄暗い燐光を帯び始める。
直感的に危機を察した神官長が皇帝を突き飛ばした。
「陛下、離れてください!」
「終わりだ」
瞬間、急速的に闇が膨張し神官長の体も合わせるように膨らんでいき。
――爆発。
雨のように血が飛び散り、五臓六腑が四散する。四肢は無残にもげ、脳漿が床に炸裂。虚ろな瞳を湛えた目玉がコロコロと皇帝の足元に転がった。
靴先に当たり止まったそれが、皇帝の双眸と焦点を結ぶ。
「う、うわあああぁぁぁああぁぁぁ!?」
絹を裂くような絶叫が皇帝の口から迸った。腰が砕け、温かい液体が下肢を濡らすのも厭わないまま後ずさる。
「ハハハハハハ! 無様だな!」
「あ、あ、あ……」
口を大きく広げて呵呵大笑。魔的な笑みを浮かべた悪魔の顔が嬉々に歪む。
「聖は魔に強い? ハハッ、んなの両者が対等だったらの話だろ。格が違ぇんだよ格が!」
ひとしきり笑うと、「さて……」と身を落ち着かせる。
次いで獲物を追い詰めた狩人のような目が皇帝を射抜いた。
「次はテメェの番だな。精々いい声で鳴いてくれよ」
「やめろ……やめてくれ、頼む!」
皇帝の嘆願も事なげに、無慈悲に闇槍が形勢される。
頼る島もなく皇帝の目尻から涙が溢れた。
慎太が腕を振りかぶる。
「じゃあ、死ね」
全力で闇槍を投擲。刹那の内に迫る攻撃。
皇帝が爆散する。
――かのように見えた。
「その辺にしておきたまえ」
いつの間にか闇槍は消滅し、一人の男が相対するように宙に浮いていた。
ねずみ色の煤けたローブを纏い、闇を濃縮したような腰まで届く長髪。眉目秀麗な顔立ちは若々しいながらも老成した雰囲気を感じさせる。
男は何も感じさせない無機的な表情で慎太を見据えていた。
「あんなクズでも役には立つ」
「テメェは誰だよ」
慎太が静かに構える。自分の攻撃をいとも容易く消したこの男が不可解でならなかった。
警戒心の滲み出る誰何に男は淡々と答える。
「私はこの世界そのものだよ。しかし、そんなことはどうでもいい」
男が泰然とした挙措で手を差し出す。
「彼が君を待っている」
「彼?」
「君の頭の中に巣食っている奴のことだ」
「……本当なのか?」
慎太が頭中で本人の確認を取る。
数瞬の間をおいて返答が返ってきた。
『包み隠さず本当のことだ。そいつに着いていけば俺の本体に会える』
「どうするかね? 着いてくるのか?」
静かに差し出される手を眺める。何のこともない、至って普通の男性の手。
視線を上げ男の顔を見るも、そこにはただ整った顔があるだけで何も感じない。中身がないように思えた。
「お前、人間か?」
「君と同じく、人などとうにやめている」
中身がないのはそういうことか。
しかし、以前解せない。何故この男は自分の元に現れたか。それが判明していない。
「お前は何故俺の元にきた」
「君が彼の代行人だからだ。君は欲せられている。それ以上それ以下の理由などないよ」
依然として仔細なことは分からない。だが、友人がああいうのだ。きっと害はないのだろう。
ゆっくりと手を伸ばす。
「分かった。着いていく」
「感謝しよう」
無表情のまま握手が交わされる。
それは僅かな間のことで、次の瞬間には男は身を翻していた。
灰色のローブが虚空に靡く。
「なっ!?」
慎太の表情が喫驚に彩られる。
信じがたいことに、瞬きし目を離した瞬間に虚空に新たな巨躯が飛翔していた。
黄金の鋭利な双眸、全身に纏うのは鎧のような黒い鱗。短い四肢の先端にはそこらへんの剣よりよほど切れ味のある爪が伸びている。
全長10m以上はあろうかという巨大なモンスター。ドラゴンだ。
「これは……お前が?」
「このくらい造作もないことだ。君は先に乗りたまえ。私は先にやることがある」
言って、男が城に向かって降下していく。
向かう先は玉座の間。皇帝の元だった。
「な、なんだ!? よ、余になんの用がある!?」
「何、大した用ではないよ」
男の指の先端が淡い光を纏う。男はそれを皇帝の額に突きつけると、短く一言。
「貴殿の記憶を消させて頂くだけだ」
「な、なに!? や、やめろ! 余にはここで起きた出来事を伝える義務が……」
「どうか都合の良いように解釈してほしい。『忘却』」
皇帝のさえずりを諌めるように光が瞬く。白い光が皇帝の視界を埋め尽くした次の瞬間には、彼の意識は既になくなっていた。
「数時間もすれば起きるだろう。さて、私も参るとしよう」
シュンと風を切るような音を立ててドラゴンに跨る慎太の正面に現れる。
慎太は茫然とするばかりだった。
「危機感も羨望も嫉妬も覚える必要はない。私が並外れているだけだよ」
男が手綱を手繰りドラゴンに合図を出す。
「では、行こうか。私の国へ」
男の言葉が呼び水だったかのようにドラゴンが飛行を開始する。
慎太は何も言うことができなかった。この男が、人外となった今でさえ到底及ばない格上であることを理解していたから。
ドラゴンは厳かに明け方の暁天を駆け始めた。




