43 覚醒前夜
競い合うように立ち並び、空間を侵食する勢いで生い茂る木々の数々。
魔宮の中とは思えない、五層までの趣と全く異なる樹林の群れ。
視界に入るものの悉くが緑で軽い目眩さえしてくる。
そんな緑豊かな豊穣の大地の一角で、僕らは静謐を破るように大音声を響かせていた。
「『風弾』!」
拳大に圧縮された風の塊がオークの心臓を突き抜け絶命させる。
白目を剥き、涎を垂らしながら倒れ臥すオーク。油断なく残心の構えをとっていると、頭中にファンファーレが鳴り響いた。
《レベルが上がりました!
44Lv→45Lv
ステータスが上昇しました!
スキルポイントを3獲得! 》
安堵の溜め息が漏れる。我ながら、よくここまで来れたものだと思う。
僕は微笑を浮かべて杖を仕舞った。
冥爛が五層のボスを倒してから二日が経っていた。
この二日間、特に何も変わったことはなかった。脱獄の計画も、情報収集も恙無く進んでいる。
第一皇子の帝位継承セレモニーは明日行われる。宿直室の衛兵達の会話を盗み聞きしたところ、三将軍のうち二人は既に城にいないらしい。着々とセレモニーの準備が整っているようだ。
少し不安に思うのは、姫が僕のユニークスキルに気付いた可能性だ。二日前、つまり四層のボスを倒した翌日、姫が僕を見て驚いた顔を見せる一幕があった。恐らく鑑定を使われたのだと思う。
しかし、姫や帝国は僕が『隷属の首輪』を外せることや明日セレモニーが行われるという情報を入手していることを知らない。
ユニークスキルがあってもどうにもならないと軽視している筈だ。少なくともこの二日間の間、先方が手を出してくることはなかった。
『発信呪』の効力も今夜切れるので、証拠は何も残らない。
全てが順調だ。
計画外のことで変わったことといえば、魔宮についてだろうか。
先に述べた通り、今僕らは大自然の中にいる。
五層までは如何にも迷宮といった感じの、四方を土壁に囲まれた構造だったが六層から急激な変化が現れた。言わずもがな、構造が土壁から自然に取って代わったのだ。
どうやら魔宮は五層毎に構造が変化するようだった。
そのおかげで、冥爛は火魔法を使えずにいる。少しでも火花が散れば大規模な火事が起こるであろうことは誰の目にも明らかだからだ。
レベリングのペースが落ちたことは否定できない。
でも、僕や愛莉が積極的に魔物を狩るようになったので、あまり差分はない。
「あ、恭平君レベルアップ?」
僕の表情からレベルが上がったことを察したのか、愛莉が嬉しそうに駆け寄ってくる。
「うん。レベル45になったよ」
「そろそろスキルポイントも溜まってきたよね? 何か新しいスキルは取らないの?」
愛莉の口振りから察せるように、僕はあまりスキルを取得していなかった。
ここ最近取ったスキルも、先程使った『風弾』だけだ。
裏スキルを取得する際に掛かるスキルポイントの量が尋常じゃないので、必要以上にスキルポイントを消費せずにいた。
彼女にそれを告げると、得心のいった顔で頷いた。
「なるほどね。それにしても、最近恭平君レベルアップのペース早いよね。私はまだレベル40だから羨ましいよ」
いいなー、と羨望の眼差しが向けられる。
契約師は、本人と契約した使い魔の間で経験値が分散されてしまうのでレベル差が開くのは当然と言えた。
頭では納得できても、感情的にはそうじゃないんだろうな。
それでも姫と違って純粋な瞳を向けられる愛莉は凄いと思う。
「何を言う愛莉。愛莉には妾という鋭利な刃が控えておろう!」
愛莉の不満にオークを切り捨てたばかりの冥爛が憤慨した。
サササと言う擬音が似合う動作で愛莉に近づき、言葉のついでに触ろうとする。
瞬間、愛莉の目が据わり冥爛の手を払った。
「冥爛、お座り!」
「……!(バッ」
即座に冥爛が腰を屈めた。
両手を突き出して尻尾をあらん限りに振っている。
「お手!」
「うむっ!(バッ」
「おまわり!」
「ハァハァ……(クルクル」
「触ってよし!」
「妾、新しい扉開いちゃいそうじゃぁ……」
冥爛がおまわりの態勢から勢い良く愛莉に抱きついた。そのまま髪に顔を埋めてhshsする。
愛莉と冥爛は着々と主従関係を築いていってるようだ。
なんか少し方向が違う気がするが、それはきっと大したことじゃない。
「8……9……10。ハイ終わり!」
「あ、愛莉ぃ~。もっと嗅がせてたも~!」
冥爛が名残惜しそうに愛莉に訴えるが、彼女は冷淡に冥爛を突き放した。
……時々愛莉が怖く思えるのは気のせいだろうか。
「さあ、恭平君! 狐はおいて先に進もう!」
彼女は無表情から一転、眩いばかりの笑顔を浮かべてそう言った。
「あ、ああ。そうだね……」
虚を突かれたのは仕方の無いことだと思う。
結局、その後は七層のボスを倒して牢に戻った。
深夜、周りが残らず寝入っている中僕だけが眠れずにいた。
牢の隅で丸まり、体を弛緩させて息を吐く。
息があっという間に白く染まる。
夜になるとここらは急激に温度が下がる。それ故にみんな夜更しせずに定時に眠りにつく。
だが、僕の体の震えは寒さから来るものではなかった。
純粋な不安、ただそれだけにフラジャイルな心が圧迫されそうだった。
再度深く息を吐く。
吸って、吐いて、また吸って。同じサイクルを繰り返す。そうでもしないと、どうかしてしまいそうな気がしていた。
――今日、僕はここから脱獄する。
でも、一人だけじゃない。愛莉も一緒にだ。
自分以外の他者。それも、親しい間柄にある人の命が天秤に掛けられている。天秤が成功か失敗か、どちらに傾くかは僕の差配次第。
人の命を預かるのが途轍もなく恐かった。
入念に立てた計画も、不安に駆られて穴だらけのように思えてしまう。
動悸が激しさを増していく。
自分の息する音、全身に流れる血流が鋭敏に感じられ時間が引き伸ばされていく感覚。
足場がないような奇妙な浮遊感。
徐々に視界がブレていく。
――もう、逃げ出したい。
そう思った矢先に、背後で誰かが起き上がる気配がした。
「……恭平君?」
愛莉だ。
彼女は寝ぼけ眼を擦りながら、怪訝そうに僕を見ていた。
「顔色悪いけど大丈夫? どうかしたの?」
「……いや、なんでもないよ」
今彼女に緊張を伝播させるわけにはいかない。
そう思って視線を切った。
しかし、愛莉はそれを何か隠し立てしてると勘付いたらしく無理矢理僕の顔を愛莉と正対させる。
「何か隠してるでしょ?」
「…………」
目を伏せる。
こんな情けない姿を見られたくなかった。
「恭平君、私嘘つかれるの嫌だよ」
「嘘なんか……」
「私は、恭平君を信じてるよ。恭平君は私のこと信じてくれないの?」
「信じてないわけがないだろう!」
思わず声を荒げてしまう。
愛莉が静かに笑みを浮かべ、口許に人差し指をあてた。
「恭平君、静かにして」
「あ、ああ……」
自分のしたことに気付き、たじろいだ。
我ながら僕らしくない。
愛莉がクスクスと笑う。
「なんだかおかしいよね。今までは私が注意されてたのに」
「そういえば……」
いつもは僕が愛莉に注意する構図だった。そう考えると確かにおかしいかもしれない。
自然と笑みが溢れる。
「恭平君、私のことを信じてくれるなら隠してること話してくれないかな?」
「それは卑怯だぞ」
僕が愛莉を信じないわけがない。
彼女はそれを見透かして言っていた。
「卑怯は恭平君の専売特許でしょ?」
「……確かに。まったく、今日はやられてばかりだな」
これにも笑みを浮かべるばかりだ。
僕は覚悟を決め、自らの胸中を晒すことにした。
愛莉と向き合い、視線を合わせる。
動悸は既に収まっていた。
「怖いんだ。失敗するのが。何より、愛莉を失うのが」
僕はもう一人失っている。あんな思いはもうしたくない。
いつしか頬を涙が伝っていた。
情けないな。
「恭平君」
ふわりと温かい感触が広がる。
愛莉が僕に抱きついていた。
彼女は動揺する僕に構わず、耳元で囁く。
「私は怖くないよ」
「どうして?」
僕はこんなにも怖いのに。彼女も脱獄に失敗すればどうなるかは分かっている筈だ。
それを知っていて何故怖くないと言えるのか。
愛莉が抱きしめる力を強めた。ギュッとしがみつかれるような形になる。
「恭平君がいるから。恭平君だから、私は安心できるんだよ」
「失敗するかもしれないのに? それでも安心できるの?」
「うん。きっと恭平君ならできるって信じてるから。恭平君は、私と一緒じゃ安心できない?」
視線を落として右手を見遣る。
いつしか震えは止まっていた。
「いや、安心できるよ」
「うん、良かった」
僕は愛莉を信じてる。だから、愛莉の言葉を信じよう。
そう決めると、心が軽くなった気がした。
正面から愛莉を見つめる。
「僕は絶対に君を死なせない。君だけは、僕が必ず守ってみせる」
改めて誓おう。僕は愛莉と一緒に脱獄する。
「私も……貴方を絶対に死なせはしない」
決意に瞳を燃やしていた。
きっと僕も同じなのだろう。
互いの顔が徐々に接近する。
「恭平君、私……」
その時だった。
静寂と雰囲気、全てを破壊する大音声が響いたのは。
パラパラと天井から石壁の破片が落ちてくる。
何か僕の予期しないことが始まろうとしていた。
12時にもう一度更新します!
以下、おまけです。
おまけ:冥爛の嫉妬
契約した使い魔は、現世にいなくても主の動向を知ることができる。
本来なら、それはとても利便性のある機能だが、今回に限っては冥爛に不快な感情しかもたらさなかった。
「なんだかおかしいよね。今までは私が注意されてたのに」
「恭平君、私のことを信じてくれるなら隠してること話してくれないかな?」
「卑怯は恭平くんの専売特許でしょ?」
冥爛:あぁ~、愛いのう。なんで愛莉こんな可愛いんじゃろ。hshsしたいのう
「怖いんだ。失敗するのが。何より、愛莉を失うのが」
冥爛:おい、恭平。そんな目で妾の愛莉を見るでない! 愛莉、あやつなんかに誑かされてはならん!
「恭平君」
「私は怖くないよ」
冥爛:あああああああ!? 抱きつくな! 愛莉、穢れてしまうのじゃ! というか、抱きつく必要性はあったのかの!?
「恭平君がいるから。恭平君だから、私は安心できるんだよ」
「失敗するかもしれないのに? それでも安心できるの?」
「うん。きっと恭平君ならできるって信じてるから。恭平君は、私と一緒じゃ安心できない?」
冥爛:あああああああ!? 妾の、妾の愛莉がぁぁぁ!!
「僕は絶対に君を死なせない。君だけは、僕が必ず守ってみせる」
「私も……貴方を絶対に死なせはしない」
冥爛:やめろ、やめろおおぉぉぉ!! やめてたもぉぉぉ!! そ、それ以上近づいてはならんのじゃぁぁあ!!
その時だった。
静寂と雰囲気、全てを破壊する大音声が響いたのは。
パラパラと天井から石壁の破片が落ちてくる。
何か僕の予期しないことが始まろうとしていた。
冥爛:よし! ナイスアクシデントじゃ!
今日も彼女はブレなかった。




