17 皆月の決意
それから暫くして、三叉路を直進しようと壁から顔を覗かせたときにソレは現れた。
焦げ茶色の体毛に鋭い眼光、引き締まった体躯に狼の顔。人間の男性の身体に取ってつけたように狼の頭をのっけたようなモンスター、コボルト。
僕はすかさず鑑定を発動する。
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コボルト・ソルジャー レベル27
亜人
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鑑定結果を一瞥して、即座に顔を引っ込める。
深呼吸してから、正面から二人を見つめた。
「よく聞いて。相手はコボルトだ」
「それがどうした?」
と、慎太。皆月さんは話がよく分かっていないようだった。彼女はコボルト自体分からないだろうから仕方ない。
「問題は、敵が人型だということ」
「なるほど」
慎太が納得したように頷き、皆月さんの顔から血の気が引いていく。
これが問題だった。僕と慎太は相手がモンスターと分かれば殺すことに躊躇いはない。でも、皆月さんはきっと違う。彼女はいくら相手がモンスターと言えど、姿が人に酷似していれば殺すのを躊躇してしまうだろう。
「殺れる?」
皆月さんの目を見る。
彼女はガクガクと震えるだけだった。
仕方ない。
「僕と慎太だけで相手する。ここを通らないと入口には戻れないしね……。皆月さんは周囲を警戒してくれ」
敵は一体、レベルは27。対する僕らのレベルは、平均して14。勇者補正もあるので勝てると思いたい。
僕らは勢い良く通路に飛び出した。
瞬間、コボルト・ソルジャーがこちらに振り向き、
「ガルォォォ!!」
咆哮が衝撃波として襲い来る。
麻痺効果が付属した攻撃のようだったが、耐性の高い僕と慎太は難無くレジストに成功する。
思わぬ形で先制されてしまったが、ここからはそうもいかない。
「集え悪霊。暗魔の柱。陽の差さぬ死者の影よ、仇なす者に束縛を! 『影縛り』!」
新たに習得した魔法が発動し、コボルト・ソルジャーの影から漆黒の魔手が伸び身体を捉える。
状態異常、バインド。果たしてこれは状態異常と言えるのか分からないが非常に役に立つ。『呪痺』と違って敵にレジストされる恐れがないからだ。
自身の影によって束縛されたコボルト・ソルジャーは力任せに術を解こうとするが、一向に解ける気配はない。
「慎太!」
「分かってる! 『一閃』!」
慎太の野蛮な剣がコボルト・ソルジャーの肩口を斬り裂いた。
コボルトの悲鳴と共に束縛が解除される。一回でも敵を叩けば直ぐに効果が切れてしまうのだ。かと言って、掛けたまま放置しても一分くらいで回復しちゃうんだけどね。
傷を負って激怒したコボルト・ソルジャーは曲刀を振り上げ慎太に斬りかかる。
「くっ!」
コボルト・ソルジャーの剣速になんとか喰らいつき、切り結ぶ。
そのまま鍔迫り合いへと持ち込むコボルト・ソルジャーに慎太は苦虫を噛み潰したような顔をする。力は互角……いや、僅かにコボルトが勝っている。このままでは押し切られてしまう。
だが、僕がそうはさせない。
「『風刃』!」
詠唱が完了した魔法をコボルト・ソルジャーの双眸に放つ。
虚空を駆ける不可視の風の刃は容易くコボルト・ソルジャーの視界を奪った。
「グルゥオォォ!?」
戸惑いと痛みが錯綜し、我を忘れて顔を掻き毟るコボルト・ソルジャー。曲刀を捨てたその姿は無防備。
「『一閃』!」
好機とばかりに攻め入る慎太は勝利を確信する。
淡い燐光が剣の軌跡をなぞるように輝き、刃先がコボルト・ソルジャーに到達した刹那――
「グル!」
コボルト・ソルジャーがカッと目を見開き、いつの間にか握り直していた曲刀を振り上げた。不意の一撃は慎太の剣の腹に直撃し、金属質な音を奏で剣を後方の地に弾いた。
「なっ!?」
唖然とする慎太。まさか魔物の浅知恵に嵌るとは思ってもいなかったのだろう。
コボルト・ソルジャーの目が細められ、陽光に煌く曲刀がゆっくりと動く……。
魔法を詠唱していては間に合わない!
「くそっ、慎太!」
僕は慌てて慎太に注意を促すが、既に曲刀は振りかぶられていた。
慎太も漸く現実を目の当たりにし、ハッと目を見開く。
駆け出していた僕は、皆月さんから回収しておいたダガーを懐から取り出した。
「うおおおおぉぉぉ!!」
裂帛の気合を上げ、スキルも何もないダガーを振り上げる!
ガキィン!
「うっ!」
放った一撃は僅かに相手の攻撃の軌道を逸らすことに成功した。だが、攻撃の余波に耐えられなかった僕は全身を壁面に打ち付けられる。
吹き飛ばされた僕のすぐ近くに刃先の折れたダガーが突き刺さった。
意識が朦朧とする……。
僕は辛うじて散らばった意識を集めて、戦闘を継続しようとする。
戦況は圧倒的に不利だ。
慎太は助かったものの、剣がなければ話しにならない。
「ギャギャギャ!」
コボルト・ソルジャーが獰猛な哄笑を上げた。
ああ、ちくしょう……。
「ゴフッ……!」
吐血。
視界が歪み、意識が遠のいていく。
沈む意識の中でコボルト・ソルジャーが曲刀を慎太に向けて放つ。燐光を伴って繰り出されたのは、『一閃』。モンスターもスキルが使えたんだな……。今となってはどうでもいいか。
虚無感が胸に去来し、全てがどうでもよくなる。
絶望しきり、瞼を閉じ掛けたその時に。
「『フレア』!」
凛とした声が耳朶に触れた。次いで熱風が頬を撫でる。
沈みかけた意識が一気に覚醒していく。
軋む身体を無理矢理起こし、声の方向に顔を向ける。するとそこには皆月さんがいた。
人型のモンスターを殺せない筈の彼女が、火の攻撃魔法でコボルト・ソルジャーを焼いていた。
「みな、づきさん……」
僕は呻き声しか上げられない。
だがそれでも彼女には聞こえたようで、悲痛な顔をこちらに向けた。
「ごめんなさい。私が間違ってた。こんな状況じゃ贅沢なんて言えないのに……」
いや、君は正しかった。この状況がおかしいんだ。
そう言いたいのに、声にならない。
彼女は吶々と語る。
「本当に、ごめんなさい。二人をこんな目に遭わせちゃって……。私は、馬鹿だ。柊くんの言ってたことが漸く分かったよ。だから私は……もう、間違えない」
決然と、眦に涙を湛えた彼女は正面に向き直る。
隙を見逃さず、剣を取り戻した慎太と共にコボルト・ソルジャーと相対する。
僕の代わりに。
「『集え火霊。炎魔の柱。燃えよ火、根こそぎ枯らせ。我が魔を以て火術とする! 『フレア!』
何度も、何度も炎を打ち付ける。あんなに忌避していた人型のモンスターに。
足を震わせ手をギュッと握り、激しい喘鳴を繰り返すも勇猛果敢に立ち向かう皆月さん。
炎を背景に戦う彼女の姿はとても美しく見えた。
そう思えてしまうのは、僕が死に瀕しているからなのか。
安堵すると、意識が急速に沈んでいった。
薄れゆく意識の外で慎太と皆月さんの勝ち鬨が聞こえて、僕は意識を失った。