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「あの制作ノートを見れただけでもあそこに行った価値はあったね」
「うんうん、あの緻密さ…あれだけ調べていて、それで、作品の中ではわずか触れたのは三行だよ? 気が遠くなるね」
念願の高峰書房探訪を済ませて、私たちは銀閣寺に向かう哲学の道を歩きながら、まだ、先ほどの興奮から抜けだせないで居た。
高峰書房は京都の街の小さな本屋さんで、北森皐月の生家ということでなかったら訪れることはなかっただろう。
けれど、北森皐月のご両親だという優しそうな老夫婦の守る店はとても居心地がよく作られており、夭折した息子さんである北森皐月の資料のみではなく、それぞれのコーナーに意匠が凝らされていた。
例えば手芸のコーナーには奥さんの作った見本品が置かれていたり、小説のコーナーもジャンルごとに丁寧なお薦めの解説が貼ってあったり、愛情を持って守ってきたのが判る本屋さんで…、それでも、私と木田くんはやはり北森皐月のコーナーに貼り付くことになったけれど。
近所では見慣れない制服の高校生がこんな時間に? と驚くご夫婦に、かなり以前にお電話した事を話して、北森皐月のコーナーをどうしても見たくてと言うと、目をうるませて喜んで下さり、とても丁寧に解説まで受けてしまった
「古い本も品揃えが凄くて…、私懐かしい絵本見つけて買ってきちゃった」
いつの間にか無くなっちゃってたの…と大事そうに恵ちゃんが本屋さんの包みを抱きしめていて、その横では篠原くんが
「かなりマニアックなサッカーの指導書とか有ったけど? あの店何処から情報仕入れてるんだ…」
なんて言っていて
皆それぞれの時間を楽しく過ごしてくれていたようでほっとして
「無茶なことしないで良かった…」
呟いたら、後ろを歩いてた瀬名君に
「全くだ」
と、ため息をつかれてしまった
一日の行程を終えての自由時間、昨夜に続き中庭を散歩していたら、昨日に続いて瀬名君と会った
「なんでこんな所に、また誰かに呼び出された?」
そんな子と鉢合わせして気まずくなるのは勘弁して欲しいので、そうだったらさっさと逃げようと辺りを見回したら
「そんなんじゃない、ちょっと散歩しようと思っただけだ、大体こんな場所に呼び出す奴なんて滅多に居ない、今の人気スポットは、夜景が一望できる屋上だぞ? ロマンチック…だそうだ、昨日みたいなセレクトする奴は珍しい、実際ここは人殆ど居ないだろ」
そう、どこか疲れたように言うから
「呼び出されたんだねぇ…」
お疲れ、と肩をポンポンと叩く
「なっ…、誰がそんな…」
何だか慌てている瀬名君に
「や、だって、屋上がどうとか、呼ばれたからじゃ無いの? 瀬名君がモテるのは周知の事実だし、今更取り繕わなくても…」
そう言ったら、憮然として、帰るって、部屋に戻ろうとした。
「あ、待って!瀬名君、今暇なんだよね? じゃ、ちょっと 一緒に行かない? いい場所見つけたの」
「いい場所?」
うんうんと頷く私をみて、どこだ? と立ち止まってくれたので、こっちこっちと奥に向って歩いた。
一見行き止まりに見える生け垣は少し繁り過ぎてるだけで、奥が有るのにさっき気がついた…なんて、話をしながらかき分けて進むと
「凄いな…」
驚いたように呟く瀬名君の言葉に嬉しくなる
「さっき見つけたの、綺麗だよね…」
樹々に囲まれた中心は小さな湖になって居て、月明かりがキラキラしている。
屋上よりもこっちの方が成功率高くなりそうだけどな…と、言ったら、瀬名君は眉をしかめて其の話題はやめろなんて言っている。
「生徒が近づくと危ないから隠したのかもね…」
綺麗だけれど、その綺麗さが少し怖いような気がして、ふと思いついた事を口に出したら
「お前、そう言えばさっき見つけたとか言ってた? 一人でこんな所来たら危ないだろ、蹴躓いて水に落ちても気が付かれない…、そもそもこんな暗い庭、女が一人で彷徨くな」
私の言葉が瀬名君の心配を誘発してしまったようで
「い、今はほら、瀬名君誘ったし」
「馬鹿…、男と二人でこんな所もっと危ない…」
「相手くらい選ぶよ、流石に」
勢いのままそう言ったら
「………俺は、安全だって?」
いつもより低い声でそう言われて
何だか、怒っている様子に何か気に触ることをしたかと焦るけれど、今までの会話で何がそんな気持ちにさせたか考えてみても分からなくて。
「ごめん、何か怒ってる?」
「心当たりがないなら、謝るな…、そろそろ戻らないと点呼始まる」
そう言って湖に背中を向ける後ろ姿について建物までの道を黙々と歩くことになってしまった。
けれど、瀬名君は宿の前でため息を付いて私を振り向くと
「お前、ほんと一人で庭を彷徨くのはやめろよ? 団体行動苦手なのは判るが、なにかあったら遅いんだ、散歩くらいなら付き合ってやるし、喋りたくなければ黙ってるから、それくらいは我慢しろ、自由時間になったら宿の側のベンチに俺が来るまでは居ろよ?……じゃな」
口をはさもうとする私の言葉は一切聞かず、瀬名君は一気にそれだけ言うと宿の中にさっさと入ってしまった
湖にするか池にするかずいぶん迷いました…
普通に考えて湖では大きすぎる気はするのですが、でも池では小さすぎるし、かといって沼は…
日本語って難しいです。