Tea for Three
高いレンガの壁に切り取られた青い空に向かい、伸び放題咲き放題な庭の植物たち。
能力の無い者からすれば、雑草ばかりが目立つ、手入れのされていない荒れ果てた庭に見えるだろう。
しかし、ロッソは庭に入るとすぐさま植物たちの力を全身で感じ取った。
『さすがネロ。』
一見、雑草に見える植物は全て力を持ったハーブだった。
見渡せば、それぞれのハーブの能力を計算した上で配置されているのが容易に見て取れる。
各地から集められた強力なハーブに守られたこの庭に、もし不審者が侵入しようとしても簡単に拒まれるだろう。それどころか痛めつけられるに違いない。
だからこそ、この庭の天井は無防備にぽっかり開いているのだ。
ロッソは白い雲が流れる空を仰いだ。
『それにしても…』
ヴィオラのお気に入りだと言う庭をもう一度見渡し、思わず苦笑いをするロッソ。
漆黒の髪、褐色の肌、一般人にはないエメラルド・グリーンの瞳という外見が与える印象。そして、落ち着いた口調と冷たい態度のせいで恐れられているネロが、実は妹を溺愛しているなんて誰が想像できるだろうか。
残念なことに、当の妹は極度の人見知りで全く懐いていないが…
初めて会った瞬間から自分を見ようとしないヴィオラ。おそらくネロに対する態度も同じなんだろうと簡単に想像が出来る。
ネロを悩ませている原因を前にして、幼い頃からネロがずっとヴィオラを気にかけてきているのを知っているロッソは心から同情した。
しかし、目の前のヴィオラは美しい顔を歪めて、ミセス・ブラウン手作りのスコーンを頬張っている。
光の加減で色が変わる髪、白い肌、長い睫毛に縁取られたエメラルド・グリーンの瞳、どれをとっても完璧なまでに美しいのに。
特にプラチナ・パープルの髪…
「ほらほら、ぼんやりしているとヴィオラ様に全部食べられてしまいますよ。」
不思議な魅力を持つヴィオラの髪に見惚れていると、ミセス・ブラウンの手によって次々と皿にスコーンやクッキーが追加された。
それをちらりと横目で見て、再び自分のスコーンを頬張っているヴィオラ。
「ヴィオラ様は少し落ち着いてお食べください。焦らなくてもまだまだお代わりありますから。」
少し微笑みながら、ミセス・ブラウンはゆったりとした仕草で3人のカップに紅茶を注いでいる。ティーポットから流れるコポコポという音と、ふわりと香るアールグレイが時間の流れを一層緩やかにさせていた。
『こんなにリラックスした時間を過ごすのはいつ以来だろう。』
ロッソは優雅な仕草で、新たに注がれた紅茶を飲んだ。
ネロの片腕として働くようになってから仕事ばかりの日々で、ゆっくりとお茶を飲む暇すらない。その上、教師の仕事まで頼まれた時は、これ以上忙しくなるのかと気が遠くなったが…
『こういう時間を過ごせるのなら悪くない。』
目の前には美少女がお菓子を頬張り、その乳母は極上の紅茶とお菓子を用意してくれる。
何か忘れているような気がしないでもないが、今は思い出したくない。
「そういえば、ロッソ様はネロ様と一緒に働いていらっしゃるとか?ネロ様はお元気ですか?」
先程、ヴィオラを怒鳴りつけていた時とは別人のように柔らかい表情でミセス・ブラウンは尋ねた。
「そうですね。相変わらず、人一倍働いていますが元気ですよ。」
「昔からネロ様は真面目でらっしゃるから…あまり無理をしないようお伝えください。こちらにもお時間があれば、お寄りいただきたいですし。」
「そうですね。ネロ様にもたまには休息が必要ですし。伝えておきます。」
同意したロッソの言葉に満足した笑顔を向けるミセス・ブラウン。
その昔、城で働いていたというミセス・ブラウンが昔のネロを知っていてもおかしくはない。
ただ城で働いていた、と聞いただけで役職までは知らないが、もしかしたらネロの乳母だったのかもしれないとロッソはひそかに思った。
ロッソがネロと初めて会ったのは5歳の時。
そろそろ勉強しろと父親に連れて行かれた城内の塾にネロがいた。
というか、その頃ロッソやネロと同年代の子供が城におらず、生徒は二人しかいなかった。
噂に聞く漆黒の髪を持つ少年。
大人でさえ怯んでしまう雰囲気のネロを前にしても、ロッソは普段どおり明るく話しかけた。
一方、何を聞いても落ち着いた口調で表情の変わらないネロ。
最初は本当に同じ年かと驚いたけれど、慣れてくると特に気にならなくなった。そして、ロッソが話しかけるにつれて、ネロも少しずつ打ち解けて話すようになったのが始まりだ。
その頃には、ネロは既に乳母から離れて一人で行動していたから、ロッソはネロの乳母を知らない。
一般的に、乳母は上流階級の子供の世話をする。乳母が付く年齢は子供によって違うけれど、大体が礼儀作法や社交術を身に着ける12~15歳まで。
ロッソ自身も8歳で乳母から離れたが、ネロの5歳という年齢は普通では考えられない早さだった。
そして、その妹は18歳でまだ乳母の世話になっている。
『まぁ、彼女の場合は特別か…』
生まれてからずっと周囲との接触を断たれているヴィオラが、礼儀作法や社交術を身につけられる筈が無い。
ミセス・ブラウンと二人、この屋敷で自由奔放に育ってきたのだから。
「そういえば、今日は何の授業だったのですか?」
ミセス・ブラウンの声がして顔を上げると、いつの間にかお菓子が山盛りになっている皿。
ロッソは今日何度目かの苦笑いを浮かべて、ミニ・スコーンを一つ口に放り込んだ。こうなったら、ミセス・ブラウンが満足するまで食べるしかない。
「初日なので、魔法が発生する理論から始めようと思ったのですが…」
教科書を開いた途端にヴィオラが眠ってしまったのだ。それも、一行目すら読み終わらないうちに。
今まで本を読む機会が無かったヴィオラには、実際に見せて教えるほうがいいのかもしれない。
「せっかく、ここには強力なハーブが揃っているので簡単な実験でもしましょうか。」
ロッソはそう言って立ち上がると、庭のあらゆる場所から摘み取ったハーブや石ころ、落ち葉などを手にして戻ってきた。
先程まで食べることに集中していたヴィオラも、ミセス・ブラウンに突かれてロッソの手元を見つめている。知り尽くしているはずの裏庭の植物が使われるとなると、ヴィオラも少しばかり興味が沸いてきたのだ。