名無しの聖女
「はあああああああああああああぁあぁあぁあぁぁあああ!」
強烈な剣撃を食らった炎竜が脳天から吹き飛ぶ。
脳、脊髄、火吹き袋、その他もろもろの内臓があたりに散乱し周囲が血の海と化す。さながら絵本に描かれた地獄を体現したかのような光景だった。
お付き、もとい監視の護衛騎士たちもおもわず後ずさる。中には吐き気を催す者もいた。
竜は言うまでもない魔法生物の頂点に位置する。
その鱗は熟練の剣士の一撃すら跳ね返し、爪は振り下ろされるたびに幾人もの命を奪い、その息吹きは街一つをいとも簡単に不毛の地とするといわれる。
討伐には、少なくとも国内最高峰の魔術師か剣士、あるいは一個聖騎士団を集める必要があるとされた。
その竜の中でも最上位の種である炎竜を一撃で葬り去ってしまった。
つまるところ、とんでもない異常事態...のはずであった。
ベテランの騎士が新米に話しかける。
「おまえ聖女様のお力を見るのは初めてか?」
「ええ、それにしても凄まじい...とても人間技とは思えませんね」
「聖女様のお力はあんなもんじゃない。銀山の灰の竜だって倒しちまったんだからな!」
「それって街三つを瓦礫の山にしたって白竜でしょう?それは凄い...」
「さすが聖女様だ!まさに神の御技だ!」
騎士たちの目線の先はただ一心に、血まみれで歩いてくる大剣を担いだ一人の若い女に吸い込まれていた。
聖女――
外国では神子というらしい。
名前は、ない。
彼女は、孤児だった。
親に捨てられた。
頼れる親族はいない。
穴があいて、風通しのよくなったボロを着て、毎日のように、道行く人々を相手におこもをさせられた。
ろくに物を食べていなかった。身体は肋骨が浮き出て痛々しい。髪はボサボサで、肌はひび割れていた。
いつからか彼女は何も話さなくなっった。それが孤児院の院長の気に触ったらしい。
殴られた。
蹴られた。
院長の暴力に理由はいらなかった。ただ目の前をふさいでいた。それだけだった。
気がつけば左目はもう目の前を写さなくなり、右目さえ像を少ししか結んでくれない。
今でこそ取り繕っているが、その身体には消しようがない未来永劫残ることが約束された傷が残っていた。
ある日、彼女にさらなる絶望をもたらすことになる転機が訪れる。
彼女は貧相な孤児院でその力を発見された時点で王朝に名を奪われた。
だから、皆彼女を〈聖女〉と呼ぶ。
彼女はただ便宜上の名前で呼ばれ、そして国に奉仕して一生を過ごすしかない。そう運命付けられた存在だった。
◆ ◆ ◆
聖女、聖人の力は神がもたらしたものであると教会は定義する。
神は、ひ弱で傲慢で争いばかりの人類が可愛いがために恩寵を与えられるらしい。
これまでに確認された力にはいくつか種類がある。
この聖女が生まれながらに手に入れた力は武神ライオネルの恩寵、〈膂力〉である。
非常に単純明快な力だ。
圧倒的な力をその身に宿し、戦士の誉れ高い土竜人も人族には到底扱うことのできない高等な魔法をつかう耳長だろうが何だろうが粉砕してしまう。
だが、その力が王家を恐れさせた。この沈黙を貫いているいつ反逆してもおかしくはない存在は非常に目障りだった。
王は端から何か適当な理由をこじつけて処分する腹積もりだった。
が、仮にも教会の認める聖女である。
あまりに邪険な扱いをすると抗議文が送られてくるのは目に見えている。
国民の大多数を信者に持つ教会を敵に回すのは厄介なので、聖女を王城の端っこの小さな塔へ閉じ込めた。
聖女は常に塔で暮らし、外に出ることは一切許されなかった。
外に出るときは、戦のときである。
大剣を持たされ、常に前線での戦いを強いられた。
王家としては二度と帰ってこないことを望んでいたのかもしれない。それだけの危険が戦いには含まれていた。
死屍累々を何度も見たし、これが地獄かと思うことは幾度も経験した。
平民よりもそこそこ上等な衣食住は無論、保障されていたとはいえ、人肌を感じることの出来ない苦しみを味わい続けていた。
――ただ一人を除いて。
見張り番の男が一人だけいた。名前はジャード。古代の竜殺しの英雄からとったらしい。
「はじめまして、聖女様。僕はジャードといいます。なんなりと、お申し付け下さい」
聖女は無視した。
どうせこいつも私の力が欲しいためにすり寄ってきた、有象無象の一匹だろうと。
はじめはそう思っていた。
ジャードは聖女によく話しかけた。
彼女は何も言わない。ただ頷くだけ。
ジャードはその時間がただただ楽しかった。
友人の騎士から聞いたバカ話とか、最近の王都での流行りとか、好きな異性のタイプとか...
聖女も次第に心を開いていった。それは必然的だったかもしれない。なんせ十六年もの間、
誰にも存在を認められなかった。
求められなかった。
...愛されなかった。
高い塔の中、丸々と肥えた大臣たちに比べれば年の近いジャードに惹かれるのは無理のない話だろう。
彼はかいがいしく聖女を世話した。彼女は自分では何もしない。
寒い日には暖炉をつければ良いものを、つけない。
自分はそんなものを使ってはいけない。そういう価値観に囚われているようだった。
ジャードはこれはいけないと思う。
彼女は自分が幸せになってはいけないと思い込んでいる。
囚われている。
何度も何度も繰り返し言う。あくまで優しく、拒絶されないように...
既に死んだ、年の離れた妹の世話を思い出しながら...
ある日、ジャードは突然思い付いた。
「ところで...いつまでも聖女様って呼ぶのは肩が凝りますね。せっかくですから、お名前を教えてはくれませんか?」
誰もが彼女を聖女様と呼ぶので、彼はまだ名前を知らなかったし、またわざわざ教える者もいなかった。
「ない」
聖女は食いぎみにいい放った。
「ないというのは...?」
「文字通りよ。私に名前はない。私は聖女であってそれ以上でもそれ以下でもない...」
ジャードは少し、悲しげな顔をしたが、直ぐにいつもの明るい笑みをたたえて、何も言わなかった。
なぜだろう...ジャードは彼女の横顔を見る度に胸が苦しくなる。
同情...とは少し違う。
そして聖女は竜討伐に駆り出される度に、ジャードを思い出す。
少しずつ、聖女の心は、揺れはじめていた。
そして決意する。
絶対に、帰ってくると。
――彼と会うために
◆ ◆ ◆
ある冬の日、聖女が新たに出現した竜の討伐を終え、王城へ帰還したときだった。
冬も厳冬の折に入り、すでに闇夜は空を覆い、吹雪は強まる。
「聖女様の髪は綺麗ですねぇ」
壁際で立つジャードがいきなり、そう言った。
「以前、お聞きしましたが、本当にご自分のお名前を覚えていないので?」
「それができたなら苦労はしないわ」
「じゃあ...白銀というのはどうでしょう?」
「え...」
聖女は目を見開く。
「あなたの名前はビューラだ」
聖女の雪にも勝る白さを持った髪が、いつもジャードの心を惹いていた。
「...」
「あれ、もしかしてダサかったですか!?」
「フフフフッ...いいわね。白銀」
焦るジャードを尻目に、聖女は優しく笑った。年相応のそれであった。
いきなり聖女が笑い出したものだから、ジャードは驚いた。
このお役目に就いて、六年。今まで微笑みすら無かった聖女が笑っている。
途方もない感情が込み上げる。
聖女のこれまでの生涯のなかで、最も明るい夜だった。
◆ ◆ ◆
翌日、聖女は王城の謁見の間に召喚された。
まるまると肥った大臣が仰々しく、
「聖女をエドワード・モイゼルト伯爵の婚約者とす」と宣言した。
聖女の背後から、肥った上体をひっさげ、短い足を忙しなく動かしながら登場した五十男が現れた。
「お初に御目にかかります。聖女様」
男は恭しく礼をとった。
聖女の目の前が暗くなる。
――この男は人殺しの目をしている。
直感的にそう思う。下々の存在をへとも思っていない。自己を基軸に世界は回っている。そう本気で思っている。
瞳に慈愛をもたない、傲慢さがありありと表情に現れている。そういう男だった。
(私はこの男を知っている)
いや、この男ではない。人格だ。こういう人格に私は出会ったことがある。
孤児院長だ。私を殴った、蹴った。
あいつと同じ目をしている...。
それから、どうやって部屋へ戻ったか覚えていない。なにも手につかず、ベッドへ倒れこんだ。
◆ ◆ ◆
深夜、目を覚ました聖女は備え付けの机へ向き合い、引き出しを開ける。
何もない、空っぽである。
――見かけだけは。
実は底が二重底になっていて、そこには少しの丸薬が隠してある。
聖女はそれをつまみ上げ、
「...さようなら」
口に...
「聖女様!」
含む寸前でジャードが部屋へ入り込み、腕を掴んではたき落とす。
そして丸薬をかかとで思い切り踏みつけた。
「何をするの!」
聖女の圧倒的な力にジャードは降り飛ばされる。
「死んではいけません!」
「じゃあどうするっていうの?あの男の子供を産むなんていやよ!」
聖女はいまだ激昂したままだ。
「僕もあんな豚野郎にあなたが汚されるのは嫌です」
「じゃあっ!」
「聖女様、まだ手は残っていますよ」
ジャードは優しく、諭すように言った。
聖女を落ち着かせると、ジャードは机にのり、窓枠につけられた鉄格子に手をかけると、ガキン!と音がして、全て外れた。
「解放の準備をしていたのはあなただけじゃないんですよ?」
したり顔でニヤニヤするジャード。
「まあ、こんなにはやく決行するとは思いませんでしたが。でも、死ぬより逃げた方がいい」
「何でジャードが...自分の首を絞めることでしょう?」
あの鉄格子も城に使われている岩石同様に聖女の力を抑える特殊な素材を使っているはずだ。
それを破るとなれば、いったいどれほどの時間をかけたのだろうか。
「さあ、何ででしょうか?」
はぐらかしたジャードは、そのまま窓の外へ降り立ち、手招きする。
聖女もそれに続き、窓の外へ降り立った。
「さて、このまま中庭を抜けて、城壁へ上りましょう」
低い姿勢を保ちながら、二人は城壁へ向かう。
そのときだった。
「聖女が逃げたぞおおおおおお!!
野太い近衛兵の声がこだまし、即座に金属の音が響いた。
「あそこだ!捕縛しろ!!」
ジャードは異変を察知した。
「ここからは走りましょう!」
城壁の外側につけられた階段を駆け足でのぼり、二人は城壁の上にでた。
ジャードは聖女の肩を掴み、
「ここまできたら大丈夫です。あなたの恩寵さえあれば、ここから飛び降りても大丈夫。...なはずです」
ジャードは苦虫を噛み潰したような顔をした。腰にさした剣を一息に抜き、城内の近衛兵の方を見た。
「え...それじゃあジャードは...」
「僕は残ってここで近衛兵を足止めします。追っては少ない方がいい」
「駄目よ、ジャード!死んではいけないって言ったのはあなたでしょう?」
「あなたが逃げられればいいんです」
長い付き合いだ。こうなったら頑固なジャードは意地でも動かないだろう。だったら、
「分かったはジャード、あなたがその気なら...。あなたに贈り物があるから、こっちを向いて」
「はい?」
聖女は振り返ったジャードに口づけをした。ジャードの顔が赤くなってゆく。
体温が上がり、心臓が高鳴っているのが分かった。
「...いいものを貰ってしまいました」
「でしょう?」
少しの沈黙が走る。
「死なないで、ジャード」
「好きな女の子のために死ねるなら本望です」
「...ごめんなさい」
「...だめですよ、ビューラ。ちゃんと僕を憎まなきゃ、僕はあなたを監禁するのに手を貸していた...。共犯なんだから」
遂に近衛兵が迫り、階段に押し寄せる
「さ、もういって下さい。ただ、これだけは覚えていてください」
「あなたの名前はビューラ」
少し耳の赤い、満足そうな顔。それがビューラが最後に見たジャードの顔だった。
近衛兵の声が響く。
「投降しろ!ジャード!」
「それはできない相談です!」
ジャードは剣を片手に兵士の群れへ突っ込んだ。
◆ ◆ ◆
ビューラは城壁を飛び降り、吹雪のなかを進む。
だが、限界がきた。
雪のなかへ倒れこむ。
だが、次に目覚めたとき、見たのは天国ではなかった。
山小屋のなかで、ビューラは毛布をかけられている。
目の前には猟師らしい老人がいた。
「おや?やっとめを覚ましたか」
「私は...」
「あんたは雪のなかで倒れてたんだ。この時期にあそこで倒れてるとは...」
「どこからきた?親は?腹は減ってるか?」
「いや、それより..」
「名前はなんだ?」
うつろな頭を働かせる。
「名前は...な..」
そのとき、彼女の頭に何かが浮かぶ。
「あ...」
明るい顔、優しい顔、物憂げな顔...
少し耳の赤い、満足気な顔...
そうだ、思い出した 私の名前...
大きく息を吸い、言った。
「私の名前は、ビューラよ」
ぜひ、評価をお願いします。




