1話 鉄扉
護送車の車体が、最後の段差を越えて大きく揺れた。
アリア・スカーラは、ぶら下がった鎖につながれた両手をだらんとさせたまま、天井を見上げる。薄汚れた白い鉄板と、そこに映る自分のぼやけた影が揺れた。
「……ねえ、アル」
隣に座る妹の名を呼ぶ。
「なに?」
「このガタガタ音、落ちる前のジェットコースターみないやない?」
「お姉ちゃん、私ジェットコースター嫌いだから、良いのか分かんない」
アルミア・スカーラは、同じく手錠を掛けられた腕を軽く動かしながら小さくため息をついた。青みがかった瞳は落ち着いているが、その奥には疲労の色も混じっている。
鉄の床。鉄の壁。小さな窓から差し込む、どこか濁ったような光。
ここは、罪人を運ぶためだけの箱だという現実を突きつけてくるようだ。
「もうすぐ着くぞ」
運転席と仕切られた鉄格子越しに、護送担当の男の声が響いた。
アリアは目を細める。
護送車の外には高い塀が見えた。金属のフェンス、その向こうにそびえる灰色の建物。看板には黒い文字でこう書かれている。
──ネザースレート拘置区。
世界のあちこちに、異世界の地形が突然ねじ込まれるようになってから、もう何年も経つ。
それでも、こういう「普通の刑務所」はまだ存在していた。
「なんかもっと荒野にデカい鉄作のあるヤツ想像してたわ」
アリアが小さく呟いた。
「そっちの方が行きたかった?」
「そんなことないけど、選べる立場でもないやん」
「そうだね」
車が完全に止まると、後部ドアが開いた。冷たい空気と、外のざらついた光がなだれ込んでくる。
「降りろ」
命じられ、二人は他の囚人たちと一緒に車を降りた。
外から見るネザースレート拘置区は、どこにでもある刑務所のように見えた。高いコンクリートの壁。等間隔に並んだ監視塔。門の上には古びた監視カメラ。
……近づくほどに、アルミアは肩から背中に掛けての辺りがじんじんするのを感じた。
緊張のせいか…
「列を崩すな!」
周辺をキョロキョロ見ていることを看守に怒鳴られ、アリアは小さく肩をすくめた。
「はーいはーい、聞こえてまーす」
「返事は『はい』だけでいい」
「はい」
口はよく動く。その少し浮いている様な態度に、一部の囚人がちらりとこちらを見る。
なかには、あからさまに面白がっている者もいた。
アルミアはというと、ただ前を向いて歩いていた。一度だけ、うっすら曇った空と、高い壁の境目を見上げる。
(……空気、重い)
そんな感想だけが胸に浮かぶ。
足元が微かに震えたのは、そのときだ。
ゴウン……と、鈍い何かが遠くで鳴ったような振動が、足裏から伝わってくる。
「今の、なに?」
前の囚人が小声で言った。
「工事でもしてんだろ」
「こんな場所でかよ?」
ざわめきかけた空気を、看守の怒号が一蹴した。
「静かにしろと言っている!」
声に押されるようにして、列は建物の中へ進んでいった。
アリアは一度だけ後ろを振り返る。高い壁の向こうの空は、アミリアが見たのと同じどこまでも灰色だった。
建物の中は、想像していた以上に冷たかった。
色味のない灰色の壁と、白い蛍光灯。金属の柵。変な匂いはしない。消毒液と、古い埃と、ほんの少しの汗の臭い。
ただ、足音だけがやけに響いた。
「まずは身体検査と所持品確認だ。言うとおりに動け。変なことをしたら分かってるな?」
看守が手順を告げる。
列は一人ずつ仕切りの中に通され、金属探知機をくぐる。服の内側まで調べられ、持ち物はすべてトレイの上へ。
アリアの番が来た。持ち物は特に無し。
「手錠を外す。勝手な真似をするなよ」
「まさか。ここでダッシュしたらぜったい撃たれるやつやん」
「冗談はいい。上着を脱げ。裏も表もちゃんと見せろ」
「はーい、下着は脱がんでええの?」
アリアは少しだけ大げさな仕草で手を広げ、指示通り身体検査を受ける。看守の手が背中や腰を軽く叩き、隠し物がないか確かめた。
ポケットの中には何もない。
靴も脱ぎ、靴底も念入りに確認される。
何も出てこないのは分かっていたが、それでも隈なく身体を触られる感覚は、あまり気持ちのいいものではなかった。
「問題なし。次」
そう言われて、アリアは検査室の隅に立たされる。
続いて、アルミアの番だった。
「名前は?」
「アルミア・スカーラ」
「年齢」
「十九」
「罪状は──」
看守が表をちらりと見て、眉をひそめた。
「……ここでは関係ないな。とにかく、上着を脱いでそこに立て」
「はい」
アルミアはそれ以上何も言わなかった。
彼女も手錠を外され、同じように検査を受ける。動きは始終落ち着いていて、拒否も反抗もしない。
ただ、検査台の金属の冷たさに触れるたび、心のどこかが少しだけ遠くを見る。
(ここから、しばらく出られない)
頭では分かっていたことだ。それでも、実際に鉄の中に入る瞬間は、じわりと実感が押し寄せてくる。
検査が終わると、二人には番号入りのプレートが渡された。
「今日からお前たちは番号で呼ばれる。スカーラ姉、お前は『E-47』。妹は『E-48』だ。覚えろ」
「はーい、E-47でーす」
「よろしくお願いします」
「ここで暴れないだけでもここでは優等生だ。ルールはそのうち覚えろ。間違えると痛い目を見る」
その看守の言葉は、淡々としていたが、そこに脅しの色ははっきり分かるほど感じ無い。
忠告に近く、ここで暴れるような奴が必ずいる場所、彼にとっての日常なのだろう。
その日常の一部として、アリアたちはここに組み込まれる。
独房棟へと続く廊下は、想像以上に長かった。
ずっと先まで同じような扉が並び、どれも同じように小さな窓がついている。
「ほら、歩け」
看守に促され、姉妹は列の中に入る。
囚人たちの足音が、カン、カン、と規則正しく響いた。
ふと、横の独房の小窓から、じっとこちらを見ている視線があるのに気付く。
やつれた顔。年齢も分からないほど痩せた頬。
焦点は合っていない目、小窓の鉄作を噛んでいる口
「新入りか……?」
低くかすれた声が何処からか聞こえる。
アリアは聞こえてから一瞬で、笑ってみせた。
「そう。今日からお世話になりまーす」
返事は無い、しかし窓から視線が消えた。
いわゆる“ヤバい囚人”を新人に見せるためだろうか?そこを歩く2人は妙にその道が長く感じた。
奥に進むにつれやっと人が居る雰囲気を感じられ通路の奥からは、他の囚人の笑い声が聞こえてくる。
ひそひそと交わされる会話。看守の無機質な怒鳴り声。
その全てが、これから始まる日々の背景音になるのだろう。
「ここだ。E-47、E-48。中に入れ」
看守が一つの扉の前で立ち止まり、鍵を回した。
重い音を立てて鉄扉が開く。
中は、狭い部屋だった。
ベッドが二つ。小さな棚とトイレ。そして小さな窓が一つ。
アリアは一歩中に入り、ベッドに倒れるように寝転ぶ。
「思ったよりマシやな。もっと真っ暗で湿気ムンムンなとこ想像してた」
「それ、漫画とかドラマの見過ぎじゃない?」
「そうなもんか」
アルミアはベッドの一つに腰を下ろし、マットレスの硬さを確かめた。
(固い。でも、寝れないほどじゃない)
「荷物はあとで支給する。基本的な日用品と服だ。勝手なことはするな。以上」
看守はそれだけ言うと扉を閉め、鍵をかけた。
ガチャン。
閉じ込められるという感覚によって金属音が、妙にはっきりと耳に残る。
少しして、廊下の足音が遠ざかっていった。
静寂。
ネザースレート拘置区での、最初の独房の静けさだった。
「……閉じ込められたね」
アルミアがぽつりと言う。
「まあ、その予定で来たしな」
アリアはベッドに倒れ込み、天井を見上げた。
そこに染みやひび割れは特にない。ただ、真っ白な鉄板が貼られているだけ。
なのに、じっと見ていると、ほんのわずかに揺らいでいるような錯覚がした。
「ねえ、アル」
「なに?お姉ちゃん」
「刑務所の身体検査って、もっとこう全裸にされて四つん這いにされて、体の穴という穴に…」
「お姉ちゃん、私別に落ち込んでる訳じゃないから面白い話とかしなくていいよ」
「そうか?」
「でも、警戒心は持ってね」
「それはそれで、めんどくさいかなぁ」
アリアはそう言って、笑った。
姉はいつもと変わらない。ポジティブというか能天気というかアミリアのことを心配してか…
そのとき、また床の下から低い震えが伝わってきた。
ゴウン……
今度はさっきよりも、ほんの少しだけ強く。
「……今の、地震か」
「どうだろ。私、地震ってもっとガタガタくるイメージあるんだけど」
「そうだね。なんか……“下で何か動いた”みたいな感じ」
「こわいこと言わないでよ」
「刑務所が飛び立つかもしれで」
「それは無い」
二人はしばらく黙った。
会話が途切れると、遠くの方から別の囚人の怒鳴り声や、笑い声がかすかに聞こえてくる。
それもいずれ、背景として気にならなくなるのかもしれない。
だが今はまだ、すべてが耳に残った。
「……ねえ」
しばらくして、アリアがぽつりと言った。
「なに?」
「アルはさ、自分がここから出られるって思ってる?」
「刑期があるしいつかは出られるでしょ。出られないって決まったわけじゃない」
「そっか」
「お姉ちゃんは?」
「んー……」
少しだけ考えてから、アリアは言った。
「オススメされてた“ショーシャンクの空に”見とけばよかったわ」
「多分、“プリズンブレイク”の方が合ってるよ」
「ウチ、モーガン・フリーマン好きやねん」
アルミアはベッドに背中を預け、目を閉じた。
また感じる。
鉄の匂いと、かすかな震え。
遠くの方で誰かが叫ぶ声。
それらすべてを受け入れるように、深く息を吸う。
(ここが、しばらくの“世界の全部”になる)
アミリアがそう思うと、胸の奥が少しだけ重くなった。
それでも。
「お姉ちゃん…」
「大丈夫やで、ウチのいた世界が大き過ぎただけや」
「いや、服のボタン掛け違えてる」
「え!?いつから!?」
「護送車に乗る前から…身体検査でもう1回着なおしたのに、またズレてる」
二人のやりとりは、子どもの頃から変わらない調子だった。
外の世界がどれだけ変わっても。
異世界の地形がいきなり現れる時代になっても。
鉄扉の中で、姉と妹は、ただそこに座っていた。
ネザースレート拘置区での、最初の夜が、ゆっくりと始まろうとしてた。




