第8話 「明里と香澄」—ずっとお友達
明里は、ずっとソワソワしていた。
チャット欄が騒がしくなるにつれて、ひとりでブースに座っているのが心細くなった。
「……香澄のとこ、行こ」
そう思うと、もう止まらなかった。
ヘッドフォンを外して、椅子をきぃっと鳴らして立ち上がる。
集中ブースの間を抜けて、香澄の席へ駆け寄る。
「トイレ行かない?」
「やだー、今面白いとこなんだから。一緒に見よ」
香澄は笑いながら椅子を詰めてくれた。
二人は同じブースに身を寄せて、片方のPC画面を覗き込む。
ヘッドフォンは外したまま。
声をひそめて、耳打ちするみたいに喋りながら文字を打ち込んだ。
「ねえ、これ見て。美唯ちゃんの名前ある」
「……ほんとだ」
二人の心臓が一緒に跳ねた。
「どうする? これ本物?」
「……わかんない。でも、どっちでも良くない?」
香澄がにやっと笑って、明里もつられて笑った。
笑いながら、指先は震えていた。
[美唯]「明里、屋上で歌ってた曲は完成した?」
画面を見た明里の手が止まった。
一瞬にして血の気が引き、次に顔が真っ赤になる。
その場にいた香澄が「えっ」と声を漏らし、隣で驚いて明里を見つめた。
作詞作曲をしていたことは、偶然屋上で遭遇した美唯しか知らない秘密だった。
香澄は「私も知らなかったなぁ〜…」と、軽く笑うように言いながらも、その視線には責める色が混じる。
“どうして黙ってたの?”
そんな問いを感じながらも、明里はうつむいて無視した。
再び、チャットに文字が落ちる。
[美唯]「明里、私の赤いヘアピン、まだある?」
明里は、思わず息を呑んだ。
胸の奥がきゅっと縮こまる。
あのヘアピン――。
文化祭のとき、美唯に借りたまま。
「いつか返さなきゃ」と思っていたけれど、ほんの一瞬、“欲しい”と感じてしまった。
美唯が帰ってこなければ、自分のものになる。
そんな気持ちを持ったことが恥ずかしい。
指先が震え、画面が滲む。
明里と香澄は、ブースの中でひそひそと話し始めた。
「やっぱ…本物っぽいよね」
「うん……でも、私たち悪くないよ。美唯といろいろあったのは、実行委員でしょ。」
そうする内にも、クラスメンバーのちょっとした個人の秘密が——
きっと本人しか知らない話が書き込まれていく。
[美唯]「今井君、目薬が上手く指せないから、隠れて使ってるよね。」
[美唯]「ひなたのSNS、最初にフォローしたのは私だよ。いつも見てるよ。」
[美唯]「修司はプチトマト、食べられるようになった?」
美唯は、みんなの小さな変化に敏感だった。
この気持ちをどうにかしたくて、罪悪感を打ち消すように二人で打ち込んだ。
[明里&香澄]「美唯ちゃんに会いたい」
その時、中ほどでふいに今井奏太が立ち上がった。
ヘッドフォンを外し、叫ぶ。
「おい、ログ見たけど、これ先生のIDからのアクセスだぞ」
「……え?」
今井はドヤ顔で断言した。
「この“美唯”はセンセーなんだよ」
ブースのあちこちで椅子が軋む。
凍りついていた空気が、いっぺんに緩んだ。
「なーんだ、 怖がって損した!」「先生ノリ悪すぎ~」
笑い声がいっせいにブースから漏れた。身を乗り出して笑う子もいる。
斜め前のブースで、ずっとお絵描きをしていた由衣でさえ、小さく息を吐いて、画面に鉛筆モンスターを描き足していた。
明里と香澄は、顔を見合わせて笑った。
でも、その笑顔はどこか引きつっていた。
「ほらね、やっぱ私たち悪くない」
「うん、悪くない」
口にするほど、胸の奥がじんじん痛んだ。




