第3話 「由衣」—描けない顔
集中ブースの中は、外の音がほとんど届かない。
ヘッドフォンをしていると、キーボードを叩く音と自分の呼吸しか聞こえなかった。
それなのに、チャットの文字が増えるたび、教室全体が揺れているように感じる。
最初は楽しかった。
「納豆嫌い」「牛乳を捨ててる」──そんな笑える暴露で、みんながクスクスしていた。
でも、途中から空気が変わった。
笑いが止まって、沈黙が広がった。
誰も声に出して笑わない。
けれど、チャット欄は止まらない。
「マジ?やば」「それ本当なの?」
文字が、ひそひそ話みたいに流れていく。
あの場にいる全員が、ブース越しに目をそらしているのが分かった。
息苦しくなった由衣は、キーボードを奥に押しやった。
ブースの机にノートを広げ、いつものように鉛筆で絵を描き始める。
線を引いている間だけは、周りのざわめきや緊張が薄まっていくから。
今日は、このPC室にいる皆を描こう。
聞きたくもない噂話なんてうんざりだ。
最初に浮かんだのは、海斗の顔。
スポーツ万能で明るい人気者──でも目の下にはうっすらと影を描いた。
何かに押しつぶされているのを、感じる。
隣には璃々菜。
流行りの髪形やアクセサリーを真似て、笑顔を浮かべている。
でも、鉛筆を動かす手は、口元をわずかに引きつらせた。
大人びた言動で、自分を縛っているように見えた。
その下に駿。
海斗の真似をして笑っているけど、無理してる。
由衣の線は、彼の肩を少し小さく描いた。
茉莉と璃々菜を並べる。
舞台の上で演じるみたいに誇張した笑顔。
「私たちは最高」っていう演技にしか見えない。
その隣には恵太。
冷静そうに眉を引き結んでいるけど、唇をもじもじと震わせている。
皆に認められたい気持ちで言動がブレてるんだよね。
細い線を重ねて描いた。
亮は大きな口を開けて笑う狸のおばけにした。
楽しい空気を作るけど、どこか必死で、滑稽。
ひなたは口を大きく開けたカラス。
噂話をくわえて飛び回る姿。
凛は長い髪を風に流し、修司の横に立たせた。
でも、修司はどこか遠くを見ている。
今井はモニターの前に座る小さな影。
眼鏡が光を反射させて、少しコミカルに。
明里は書写の代表らしく姿勢が良い。
香澄は品良くきれいに座っている。
この二人は、描き分けがちょっと難しい。双子みたい。
ページいっぱいに広がった似顔絵。
期せずして、クラスの力関係を反映していた。
中央で円座を組む支配層。
脇に散らばるその他もろもろ。
でも、美唯の姿だけは描けなかった。
うっすらと、あの日の記憶が戻ってくる。
放課後の教室、囲む7人の影。
教室の扉から漏れ聞こえる、絶え間ない叱責の声。
「謝れ!」
「反省してるの?」
「自分の何が悪かったか本当に分かっているのかな」
酔っ払いみたいに興奮し、謎の正論を振りかざす光景を、由衣は怖いと思った。
ノートの端、物陰からのぞき込む自分を描いた。
ただ、見ていることしか出来なかった。
ふと画面の参加者リストを見た。
13人。
クラスには、不登校の美唯がいるから。
だから今日、この教室にいるのは13人。
でも——リストには14個目の名前が一瞬光って、また消えた。
「……あれ?」
思わず、小さく声が漏れる。
ヘッドフォンに吸い込まれて、自分にしか聞こえなかった。
画面を見つめながら、心臓が少し速くなる。
見間違え?
胸の奥にひっかかりが残る。
誰も気づいていないのか、それとも気づかないふりをしているのか。
チャット欄はまだ賑やかに流れている。
でも、由衣にはもう笑えなかった。
この楽しげなやりとりの中に隠れた、「沈黙」の方がよほど気になった。
「いまの…なに?」




