第10話 「修司」― VPNの影
ブースの奥、修司の画面には二つのウィンドウが開いていた。
ひとつは「6年A組チャットルーム」。
もうひとつは、こっそり走らせているセキュアブラウザ。
そこから隠して持ち込んだスマホでテザリングし、VPNを経由して、別の端末が「美唯」としてログインしている。
コロナ時代に教員向けに導入され、今や形骸化したシステムの穴を突いた。
先生のIDとPWを使い二重ログインできる、修司だけが知っている裏道だった。
心臓が、耳の奥でうるさいほど鳴っている。
でも、画面の向こう「美唯」の名前を見つめ、意識を集中させる。
(これは、美唯を守るためなんだ)
何度もそう言い聞かせた。
指を動かすたびに、あの日の記憶が蘇る。
美唯から「実行委員だけの反省会があるから」と告げられ、修司は凛と先に2人で帰った。
思えば、声がかすれて、無理に笑おうとしていた。
止められなかった。
美唯の声が壊れていくのを、ただ見ていた。
それから、美唯は変わった。
小さなミスでも「ごめんね」「ごめんね」と謝り続けるようになった。
気分転換にと誘ったファミレスでも、最初は楽しそうにクラスの話をしていたが、ふいにコップのお冷を倒してから、表情が激変した。
テーブルと床を拭く店員へ、ずっと謝り続けていた。
「床が、すみません、忙しいのにお仕事増やしちゃって。ごめんなさい。」
「腕が、当たっちゃって、ごめんね」
店員がいなくなっても、修司への謝罪が止らない。
「どうしよう…ほんとに…お手紙にかかっちゃったし、ごめん、ごめんね…」
「せっかく誘ってくれたのに、台無しにしちゃってごめんね」
軽食が来ても、デザートが来ても、謝ることが先に出てしまう。
人の目線を気にして、不安気に周りを伺う。
そんな美唯の態度をいぶかしげに見る店員の姿に、修司は現実を思い知らされた。
――美唯は、壊れてしまった。
苦しくて、情けなくて、急いで手を引いて家へ送り届けた。
「何があったんだ?」
何度聞いても、美唯は答えてくれなかった。
たぶん、自分は泣いていたと思う。
だから今、修司は「美唯」になっている。
みんなの前に本物のように現れて、
謝ってばかりの彼女を、直したかった。
あの日の続きを、変えたかった。
(これは俺の償いだ。俺がやらなきゃいけないことだ)
でも、本当はわかっていた。
書き込むたびに胸の奥に広がるのは、後悔だった。
自分が「美唯」を操作することで、彼女の名前をさらに利用している。
それが、どんなに残酷なことか。
画面の「美唯」の名前がまた点滅した。
それは修司が打ったもの。
でも、まるで本当に彼女がそこにいるみたいに感じられた。
「美唯…どうしちゃったんだよ」