ある聖女の三年の旅とその後
「任せてください! 浄化の旅、やり切ってみせましょう! 代わりに、この国に病院と学校を建ててください!!」
能力を開花させ、皇帝陛下から浄化の旅を命じられた聖女が高らかに宣言し、街の人々が歓声を上げた。聖女はやる気に満ち溢れた顔をして、武者震いしていた。
迎えに来た帝国の第三皇子であり、聖騎士団の団長を任された私は、帝国の聖騎士達と、戸惑いと共に、その様を見た。
◆◆◆◆◆
事のきっかけは、ある時、占星術師が声を震わせながら、聖女としての力を芽生えさせた者がいると告げたことだった。
この国はセダム帝国といい、数十年前まで大陸で一番の大国だったが、原因不明ながら地力が衰え、作物の生育が悪くなり、人々の活気が失われ、今では、斜陽の国と目されていた。
伝承によると、遠い昔、人が自然への感謝を忘れたときに、悲鳴を上げるように地の穢れが瘴気となって溢れ、地力は衰えたという。ただ一人、神から力を与えられた聖女だけが、瘴気を祓うことができ、その土地を救ったという。
そんな中であったので、瘴気を祓うとされる聖女の誕生を告げた占星術師の言葉は、この国の人々、特に王家にとって、この国を再び興隆させるきっかけになるものと大いに期待させるものであった。
占星術師が告げた聖女は、七十年ほど前に属国にしたゲリュカという国の十七歳の少女だった。
皇帝が調べさせたところ、この十数年、ゲリュカの地力は上がっていて、ゲリュカでは、瘴気を祓う奇跡を起こす少女がいると評判になっていた。更に、神殿の高官が少女に会いに行ったところ、間違いなく、伝承されている聖女と同じ特徴を有していたという。
そして、セダム帝国の第三皇子である私、ルーカスは、皇帝陛下から、急遽、組織された聖騎士団の団長を任された。そして、私は聖女にセダム帝国中を浄化させ、土地を回復させよと命じられ、騎士や神官と共に、ゲリュカに向かった。
あと少しでゲリュカに辿り着くというときになって、馬車の中で聖騎士団の副団長が私に話し掛けてきた。
「百年ぶりの聖女様のお出ましとはいえ、ゲリュカの生まれとは……」
その声には隠しきれない落胆があった。それは、言葉にしないが、帝国の多くの人間が感じていたことだった。かつて栄華を誇った帝国の人間は、ゲリュカを下に見ていた。
「七十年前に、属国にしておいて良かったですね」
私がそう答えたのに、馬車の中の浄化の旅の筆頭神官は、つまらなさそうにした。王都の神殿の関係者ではなく、属国から聖女が現れたことで、神殿の権威が地に落ちたと、不満と悔しさを隠せない様子で、眉を顰め、零した。
「聖女がゲリュカに生まれますかね。三年の期限で派遣を依頼しましたが、早々にお帰りいただくことになるかもしれませんよ」
馬車は、やがてゲリュカの都の城の前の広場に到着した。
ゲリュカの国王の隣には、ゲリュカの民族衣装であるらしいポンチョを着ている、焦げ茶色の髪に緑色の瞳をした少女がいた。少女は頼りにするように王の少し後ろに立っていて、王家とも縁がある貴族の生まれであったことを思い出した。少女がまとうポンチョには、金銀の糸を用いて刺繍がふんだんに刺されていて、手間がかかったものであることが分かった。彼女が聖女であると見て、間違いないだろう。
弱冠二十歳であっても、皇族である自分がセダム帝国の派遣団の代表だった。国王と少女の前に立ち、尊大に言った。
「聖女よ、その力をセダム帝国に貸してほしい。我が国の皇帝陛下は恩には報いるだろう」
少女は、胸元でギュッと自らの手を握り締めていた。その様は庇護欲をそそるものだった。そして、帝国の多くの人々は、地力が衰え、食物をゲリュカからの輸入に頼るようになってもなお、ゲリュカを蔑ろにしている。ゲリュカの人々は、そうした帝国に対し反発し、帝国からの完全独立を訴えるゲリュカ人も出て来ているくらいだった。
聖女とゲリュカの人々の反応は読めないが、帝国を代表して来ている以上、国益が最優先だ。威圧し、服従させるのも辞さない構えだった。
しかし、顔を上げて、こちらを見渡した聖女は、胸を張ると、力いっぱい言った。
「任せてください! 浄化の旅、やり切ってみせましょう! 代わりに、この国に病院と学校を建ててください!!」
聖女の勢いと突然の要望に驚いていると、隣にいるゲリュカの国王が聖女を力強く激励し、集まってきた人々も叫んだ。
「リリ、いや、聖女様、頼むぞ!!!」
「頑張ってくれ!!!」
「ゲリュカの力を見せてやれ!!!」
盛り上がる人々を前に、副団長がコッソリと私に聞いた。
「……そんな条件で、ゲリュカは聖女の貸し出しを認めたのでしたっけ?」
「少なくとも私は初耳だ」
病院と学校の建設。まともに履行しようとすれば、当然、聖女個人に支払う褒賞金よりたくさんかかる。
出発前にゲリュカの国王や聖女と話し合う必要があるかと思ったが、聖女が力強く、一歩を踏み出した。
「準備はできています。出発しましょう!!」
協力的なのは助かるが、出発前に確認したいことができた。外交用の笑顔を浮かべ、聖女に言った。
「気持ちは有難いが、積もる話もあるだろうし、出発は翌朝で……」
私が断ったのに、やはり聖女は前のめりで言う。
「いえ、大丈夫です。自分、行けます!」
後ろに騎士達を控えた副団長が口を挟んだ。
「あの、一晩は我々も休息が欲しい……」
「それは、失礼した」
国王が私達のやり取りを見て、間に入った。前のめりである聖女を宥めてくれるのかと思った。
しかし、そうではなかった。国王は高らかに言った。
「よし。では、聖女と帝国の皆様の道中の安全を祈り、一晩中踊り明かすか!!」
その一言で、広場に灯りがともされ、人々は更に活気づいた。話し合いの機会を待ったが、送別の踊りは本当に夜通し続けられ、翌朝の出発となった――
◇◇◇◇◇
聖女の浄化の旅への意識は高かったものの、浄化の旅についてきた神官は、聖女の立ち居振る舞いに「これでは中央神殿の新米巫女以下だ」、「何故、このような人間が聖女としての能力を開花させたのか」と度々眉を顰めた。
しかし、浄化の旅の前に、王都の神殿にて、神殿に伝わる浄化の術を聖女に伝えたところ、圧倒的な浄化の力を発揮した。聖女も、神殿に伝わる方法での浄化の強大さに驚いていたが、神官達も、想像すらしなかったもののようで、その力を前に息を吞むしかないほどだった。
そして、浄化の旅が始まると、神官はますます何も言えなくなった。
「こっちの瘴気が濃いです!!」
「ううっ……」
聖女が森の奥を示し、そう言い、神官は、そちらの方向を睨みつけたものの、結局、一歩すら動けない様子だった。
それもそのはずで、自分にも十分伝わるほど、瘴気は禍々しい。地の穢れとは、こんなに凄絶なものなのか。分かっていても、瘴気に向かって、動くのを躊躇してしまう。信仰強く、神の加護にこれまで守られてきた神官であれば尚更だろう。
聖女は我々の様子を見て、状況を察したらしい。
「私、早く祓ってきます! ついて来られる人だけついてきてください!!」
聖女は、神官から、かつての聖女が使っていたという聖杖を借り、毅然とそう言うなり駆け出した。その足に躊躇はない。聖女から、貴族であっても、ゲリュカでは、平民と大きく変わらない生活をしていたと聞いたことを思い出した。更に、ゲリュカは山が多い土地で、坂道は慣れているとも言っていた。
神官が青い顔をして、膝をつき、騎士達が瘴気の濃さに加え、馬が使えず、まごつく中、足を踏み出した。
「あっ、殿下!」
「行くぞ!!」
禍々しい瘴気に、込み上がる吐き気を抑え、沽券に関わると堪えて、慣れない獣道を聖女について行く。騎士の多くも同様だった。
瘴気がどんどん濃くなる先へと進むと、やがて聖女が足を止め、静かに手を組み、膝をついた。そして、何か小さな声で祈りの言葉を捧げた。
すると、風が吹き、濁っていた空気が浄められた。息が楽になり、えずくような不快感が消え去るのを呆然と見ていると、やがて、黒い煤のようなものを巻き込みながら、風は小さな竜巻のように収束した。黒い煤と風はどんどん小さくなり、聖女の前に、小さな黒光りする石となって、ポトリと落ちた。空気はどこまでも澄んでいた。
目の前で聖女の力を見せつけられ、聖女と我々は、浄化の旅を続けた。その力はまぐれなどではなく、いつ何処に行っても明らかで、聖女の噂は瞬く間に広まった。
半信半疑だった各地の領主は、皇帝陛下に、我が領土へも聖女を遣わしてほしいと請願し、求心力が高まった陛下は、これまでにない上機嫌だと伝え聞く。
「聖女様、皆様、ありがとうございました」
今回も、とある伯爵領の浄化を終えた。半信半疑だった伯爵とその地の人々だったが、聖女の力を見せつけられ、現金なもので、大盛り上がりで我々を見送った。聖女は、元気いっぱいに手を振って応えた。
やがて、人々の姿も見えなくなり、荷馬車の中で、次の行先の確認のため、地図を広げた。副団長を呼んだところで、聖女が寄ってきた。
「あ、次の行先ですか。私も見せてください!」
こちらが何も答えていないが、聖女は我々の隣に座り込んだ。特に断る理由もないので、話を続けた。
「次に行くのは、ここから北東にあるガーディナー子爵領。畑の収量が落ちていて、更に、ヘフゥルム山の獣が、このところ、人を襲うことが多いとか」
「ヘフゥルム山に穢された場所があるのでしょうか」
「その可能性は高いです」
聖女はこちらの言葉を聞き、じっと地図を見つめた。
今も貴族用の高級馬車ではなく、行軍用の荷馬車で、決して優雅な旅とはいえない。移動と瘴気と向き合うことばかりの浄化の旅は過酷で、神官は既に脱落している。更に、今回、ヘフゥルム山を浄化するとなると、山中で数日を過ごすこととなる。
旅の前、聖女の気が落ち込むようなことがあれば、王都に連れて行き、歓待を受けさせ、浄化の旅を続けさせるように計画していた。今のところ、聖女にその必要があるようには感じられないが、見誤らないようにしなければ――
努めて、優しく響くように問いかけた。
「聖女様、何か心配がありますか? それとも、疲れなど出てきた頃でしょうか?」
「いえ、行程はいつもよく練られていて、感嘆こそすれ、心配はありません。疲れは勿論ありますが、それは皆様も同じことで、私も旅に障らない程度です」
では、聖女は何を思っているのかと考えを巡らせていると、聖女はパッと明るい顔で、顔を上げた。
「ガーディナー子爵領というと、ジェームス様の故郷ですね!」
ジェームスという名前の聖騎士は確かにいた。でも、数十名で構成された聖騎士団の中では役職もなく、事務的な会話を交わしたことしかなく、ガーディナー子爵領の出身であったかも分からない。
「……そうなのか?」
副団長の方を向くと、私とあまり変わらない状況らしく、確証がない様子で、少し気まずそうに答えた。
「ええと、言われてみるとそうだった気がします」
聖女は、いつもと変わらない元気いっぱいの笑顔で言った。
「どこでも浄化しますが、やはりその土地のことを知ると気合が入りますよね!」
やがて馬車は、ガーディナー子爵領に到着した。決して楽ではなかったが、無事に浄化も終えると、子爵領の人々から感謝と共に見送られた。ジェームスは嬉しそうだった。
ガーディナー子爵領を発ち、次の目的地であるアンダーソン伯爵領に向かった。伯爵領に着くと、広場には大勢の人が集まっていた。貴族だけでなく、市民にも評判が広がっているらしく、我々は到着するなり、大勢の人の視線に晒された。
聖女は馬車から下りて、もっと近くで人々と顔を合わせたいと言った。馬車は行軍用の実用性重視のもので、別に歩こうが馬車に乗ろうが、聖女を権威付けるのに役にも立たない。群衆は礼儀正しく、我々との距離を空けて、雪崩を打つこともなさそうだった。
危険があれば、すぐに馬車に入ってもらうようにだけ伝えると、聖女は嬉しそうにピョンと馬車から飛び出し、元気いっぱい、手を振った。
人々の歓声を受け、歩いていると、白い花束を持った子供達がいるところに差し掛かった。聖女も子供達に気付いたらしく、近付き、声を掛けた。
「綺麗なお花ですね!」
声を掛けられると思っていなかったらしい子供たちは、びっくりしながらも答えた。
「む、昔の聖女様が好きだったという花です……!」
「昔は、この辺りでは、よく咲いていたらしいんだけど、もう、瘴気がすごくて、私も咲いていたところを見たことがないから、伝承を参考に布で作ったんです……」
「い、今の聖女様がお好きか分かりませんが……」
心臓の音が今にも聞こえてきそうなくらい緊張した子供達を前に、聖女はニコッと笑った。
「ありがとう。とっても素敵です。私も好きになりました! 貴方達、お名前は?」
心の底から嬉しそうにする聖女を見て、子供達は喜びで顔を赤くし、満面の笑みを浮かべ、名を答えた。
「聖女様、そろそろ」
「ああ、ごめんなさい」
私が後ろから声を掛けると、聖女は少し立ち止まり過ぎていたことに気付いたらしかった。
再び足を進める前に、聖女は子供達と目を合わせ、力強く言った。
「再び、そのお花をこの地に咲かせられるように頑張るからね!!」
その声は子供達だけでなく、周囲に響き、歓声が一際大きくなった。
その後のアンダーソン伯爵領での浄化も大きな成果を上げた。瘴気の発生元を見つけ出し、浄化し、土地の空気は澄んだ。
聖女は、訪問した地全てで浄化に成功した。そして、この年、帝国で、一年に取れた作物の収量はここ十年で最も多かった。
◆◆◆◆◆
多くの領地の要望を受け、二年目も、聖女の浄化の旅を行うことになった。皇帝陛下は求心力が回復していることに、大変満足している。
王都での任命式を終え、浄化のための荷馬車に乗り込み、旅の計画書を手に聖女は張り切って言った。
「次は、ウェスト伯爵領ですね!」
出発前に簡単に話しただけだが、聖女は旅の計画をすっかり頭に入れているらしい。
「獣の出没で困っているとか。瘴気が原因なら取り除きたいですが、獣が出没する場所に私一人では行けません。皆様のお力添えを頼りにしています」
聖女が周囲を見渡しながら、騎士達に言うと、騎士達は誇らしげに、力強く頷いた。
聖女は、これまで名が残っている聖女と比べて、勝るとも劣らない力があるように見えた。
それは、浄化の力だけではなく、悪路を厭わない果敢さ、更には、聖騎士の名前を全て覚える物覚えのよさや、初めて会った異国の子供に声を掛ける気さくさも含めてであるようだった。
皆の士気が高い馬車の中で、聖女が私に話し掛けてきた。
「殿下、ゲリュカに病院と学校の建設に着手いただき、どうもありがとうございました!」
聖女は、二年目の浄化の旅の前に、一度、ゲリュカに帰り、帝国からの支援の状況を確認していた。
病院や学校の建築が、彼女が満足するものだったらしい。国を代表する皇子として、穏やかな笑みを浮かべた。
「いえ。約束を皇帝陛下が果たされただけのことです」
私がそう言うと、聖女が眩しそうに手で顔を覆った。
「どうされましたか?」
「ピカピカの王子様スマイルが眩しいです」
万人を魅了する笑みは、皇室の一員として習得していた。そして、美人と称される母の遺伝か、女性が好む容貌をしているらしく、旅の先々で、聖女に次いで、歓声を浴びたのは私だった。とはいえ――
「……実際に光を発しているわけでもないですし、顔を手で覆わなくても大丈夫ですよ」
受け入れる側も半信半疑の手探りだった一年目とは異なり、聖女の評判が広がっている二年目は、どこにいっても好意的に受け入れられた。
浄化の後、聖女は、初めての土地では、興味津々にその土地の人々に色々と尋ね、交流した。
例えば、浄化を終え、領主主催の晩餐に招かれた時だった。メインの肉料理を一口頬張るなり、感嘆の声を上げた。
「美味しい! これは何という料理ですか?」
「鹿のローストの無花果ソース掛けです。どちらもこの地の名産なんですよ」
「素敵ですね……」
うっとりとした表情で皿を見つめる聖女に、気をよくしたらしい領主が少し得意げに聞いた。
「鹿は無理ですが、無花果畑はこの屋敷の近くにあるのですよ。明日、見に行ってみますか?」
「是非!! あ、でも……」
前のめりで答えてから、遠慮がちにこちらを見た。聖騎士団の団長として、何を求められているか瞬時に察すると、ため息交じりに答えた。
「今回の浄化も順調でしたし、一年目に問題の大きな土地の浄化は済んでいますし、半日くらいなら、旅程に影響しないと思いますよ」
聖女は手を叩いて喜び、周囲は温かな笑いに包まれた。
二度目の土地では、明るく人々に声を掛け、その土地に来たのが二回目であることが信じられないくらいに馴染んだ。
例えば、アンダーソン伯爵領に再び来た時だった。
「こんにちは! お久しぶりです」
聖女一行である我々は、人々が待つ広場に到着し、聖女は元気よく手を振り、周囲を見渡しながら、挨拶をした。聖女は、とある子供達を見つけ、声を掛けた。
「アルバート、リオ、オリヴィア、久し振り。花は咲きましたか?」
聖女の言葉を聞き、聖女が話し掛けたのは、一年前、白い花を持って、聖女を出迎えていた子供達だったことを思い出した。
名前も含めて、一年前に少しあっただけの子供達を覚えていることには驚いたが、それは子供達も同じだったようで、びっくりしながら、辛うじて返した。
「ま、まだです」
子供の反応が当然だと思った。でも、聖女は当たり前のように言って、前を向いた。
「そう。一筋縄ではいかないものね。今回も頑張るわ!」
聖女は、浄化から人々の触れ合いまで、興味をもち、全てのことを明るくこなした。その明るさで、回る先々の人々を惹きつけ、二年目の浄化の旅も終える頃には、聖女の人気は、国中で高まっていた。
帝都への帰路につき、その日は、帝都から一つ手前の街にある宿屋に宿泊予定となっていた。夕暮れが近付いているが、予定通り、宿屋には着けそうだった。今日の移動もあと少しで終わる。
馬車から、街の周囲にある民家がポツポツと見える。我々に気付いた人々は手を振り、荷馬車から外を見ていた聖女が手を振って応えた。
皇太子ではなくとも、皇子として宮殿で育ってきた自分が、こんな間近で、この国に生きる人々の生活を見る機会などなかった。
素朴な田園風景につい目を離せず、手を振っていた人々が見えなくても、移り行く景色を眺めていた。しばらくして、視線を感じ、振り返ると、何か言いたげに聖女がこちらを見ているのに気が付いた。
「どうしましたか?」
私が声を掛けると、聖女は思い切ったように口を開いた。
「殿下は、どれくらいお金を持っているんですか?」
意外な質問には面食らったが、なかなか恩を売らせない聖女に、懐柔するチャンスかと内心ほくそ笑んだ。浄化の旅を始める前に、故郷に病院と学校を作ることを強引に要望してきた他は、聖女自身は無欲だった。
「何か欲しい物でもありましたか?」
でも、申し訳なさそうな顔で聖女が言ったのは、聖女自身の要望ではなかった。
「とある筋から、殿下が私費を投じて、ゲリュカへの医師や教師の手配をしてくれたと聞きました」
――誰だ、言った奴は。最大級の舌打ちをしたくなるのを抑え、何とか笑顔を保った。
聖女が言ったことは事実だった。皇帝陛下は求心力が回復していることに、大変満足している。そのくせ、陛下も側近も「属国の連中に価値など分からない」「これで十分」と、建物の建築だけをダラダラ進め、箱物を作るだけで済ませるつもりだった。
我が父ながら、金と権力の使いどころが分かっていない。
聖女は、浄化とその土地の人々との交流を通じて、領地による貧富や福祉の差を理解していた。ケチるとすぐにばれて信頼を失うと陛下には進言したが、信頼を失ったところで何なのかと、ゲリュカも聖女も甘く見ている陛下は、全く行動を改善する気配がなかった。
仕方なく、母の弟である公爵を頼り、優秀な医師と教師をゲリュカに派遣してもらい、病院や学校の設備も充実させた。その時に掛かったお金の一部を私が負担することになったから、聖女の最初の質問に答えるなら「負債しかない」だ。
とはいえ、そのまま答えるのは流石に格好がつかない。
「約束を果たしたまでです。聖女様のご尽力には、感謝しています」
暗に聖女の指摘を認め、これで話は終わったと思ったが、聖女は、初めて出会った時と同じ決意を滲ませる目で言った。
「殿下お一人に負担をさせるわけにはいきません。私もお金を出します」
「お金があるのですか?」
当然、聖女に出資してほしいとは思っていなかったが、彼女にお金を出す当てがあるのかという好奇心からの質問だった。
聖女は、至極まじめな顔で答えた。
「何か売りましょう。例えば、ゲリュカ風聖女クッキーとかどうですかね。あ、私、結構、上手に焼けるんですよ?」
聖女自ら焼いたクッキー、それは間違いなく、多くの人間の興味を集め、売れるだろうが――
「折角の提案ですが止めましょう。浄化の旅が行商になります」
「ですが――」
なおも続けようとする聖女に、ニッコリと笑顔で止めた。
「聖女様の貢献には、もう十分、感謝していますよ」
◇◇◇◇◇
当初の予定通り、聖女は三年目も浄化の旅を行うことになった。しかし、三年目は、様子がこれまでと少し違っていた。
出発前には、宮殿に多くの人が集められ、皇帝陛下から直々に声を掛けられた後、帝都の人々から盛大な見送りを受けた。聖騎士団には、聖女の信奉者、名誉を求める者等、入団希望者が殺到し、人を増やすことにもなった。
強い力を持ちながらも気さくな聖女の噂は国中に広がり、まだ浄化の旅に立ち寄っていない地は勿論、既に浄化を行った地からも再訪を希望され、三年目は、これまで以上に多くの地を回ることになっている。
一年目に、聖女が本当に成果を上げるのか分からない中、皇帝主導の浄化の旅と銘打って失敗してはいけないと、ひっそりと旅立たされたことを思うと、隔世の感があった。
最初の目的地に向かう馬車の中で、聖女とサイモンが私の元に来た。聖女はいつもと変わらずニコニコしていて、サイモンは緊張した面持ちだった。
サイモンは、北方にある伯爵家の三男だ。浄化の旅に最初から参加し、穏やかな性格で、聖騎士団の誰とでも仲が良く、そして、騎士としては珍しく、事務仕事を厭わないので、旅のあちこちで重宝されていた。
聖騎士達の名前と出身地、そして性格も、もう知っていた。
サイモンが、緊張からか少し上擦った声で、私に聞いた。
「聖騎士団の団長であり、皇子殿下であるルーカス様にお伺いします。私に浄化の旅の記録を出版させていただけないでしょうか?」
聖女が笑顔のまま、言い添えた。
「サイモンは、騎士の引退後、文筆業を狙っているみたいですよ。私も日記をつけていたので、少し手伝えます」
提案に、少し考えてみた。この浄化の旅は、地力を上げ、民の生活を向上させることで、国中を熱狂させ、一つにまとめるという大成功を収めている。その成功を記録しておくことは、レガシーとして残すことに有意義だろう。とはいえ、神殿もこの成果を自分のものにしたいはず――
しかし、一年目は、過酷な旅に、神殿から参加していた神官は早々に脱落していた。皇帝陛下が集めた聖騎士団が、三年間ずっと聖女に付き従っていたことを考えると、陛下の名の元で浄化の旅の記録を出すことで、押し切れるだろう。
「分かった。その方向で準備してよい。神殿とは私が調整しよう」
聖女とサイモンは手を叩いて喜んだ。その姿に、少し引っ掛かりを感じた。
「旅を主導した帝国や執筆者となるサイモンはともかく、聖女様の特に利になる話ではないかと思うのですが、よろしいのですか?」
表情を変えず、当然のように聖女は答えた。
「浄化の旅でどんなことがあったか、多くの方に知っていただくのは、いいことだと思いますよ?」
浄化の旅で聖女として成し遂げたことを記録しておくことは、この国における聖女の名声を確固たるものにするだろう。しかし、ゲリュカの人間である聖女にとって、それで十分なのかと考えながら、じっと聖女を見つめていると、聖女はふと思いついたみたいに言った。
「あ、でも、お願いしてもいいのであれば、一つお力を貸してほしいことがあります」
「何ですか?」
「この旅の後、折角作っていただいた病院や学校の維持のため、私の故郷であるゲリュカで作っているお茶を売りたいなと思っているんです」
その言葉を聞いて、ゲリュカはお茶の名産地であったことを思い出した。しかし、『属国で作ったもの』と帝国内では甘んじられ、ゲリュカに対し安く買い叩き、帝国内で売る時は産地を隠すことが常だった。
しかし、浄化の旅を通じ、聖女の人気は非常に高まった。その聖女の故郷で作っているお茶、ということになれば――
「よく売れそうですね。ゲリュカを発展させるための良い原資になりそうです」
私の言葉を聞いて、聖女は輝くような明るい顔になった。
「本当ですか?! 殿下にそう言っていただけると自信になります」
その表情に目を奪われ、聖女から目を離せないでいると、聖女は興奮してしまったことに気付いて、少し恥ずかしそうにしながらも、言った。
「旅の途中、色々考えたんですよ。どうしたら、旅の後も、この国の人たちともっと仲良くなれるのかなって。そして、作ったところも知らず、この国でゲリュカのお茶が飲まれていることを知った時、まずは知ってもらうことだと思ったんです。
属国であるゲリュカのことを下に見ている人がいるのも知っています。ゲリュカで作られたお茶だと明らかにしたら、手に取ってくれない人もいるかもしれない。でも、手に取ってくれたら、ゲリュカのことを好きになってくれるかもしれない。それで、ゲリュカのお茶がもっと売れるようになって、自分達の力で、病院も学校も維持して、いつか帝国の皆さんも知らなかった何かを見つけ、共に発展できれば最高ですよね!」
希望を胸に生き生きと話す聖女を、眩しい気持ちで見た。聖女は続けた。
「手に取ってもらうためのアイディアもあります。私はこの国中を旅して、少しはこの国の人達と馴染めたので、腹痛に効くハーブを混ぜて、聖女茶として売り出すとか――」
いい話だったが、何か引っ掛かるものを感じた。
「……何故、腹痛に効くハーブなのですか?」
私が聞いたところ、聖女は少し動きを止めた後、内緒話を打ち明けるみたいにいたずらな顔で笑った。
「ふふふ。殿下、流石です。よくお気づきになりましたね。聖女って、食中毒にならないんですよ」
「どうして、そんなことが分かったのですか?」
「昔から、お腹が強いなあとは思っていました。でも、実は、この国に来て一年目に毒を盛られたのですが、それでも平気で。これは聖女の力に違いない、と」
「待ってください」
寝耳に水の話に頭を抱えた。確かに一年目、敵は多かった。この国の重鎮は、皇帝陛下が属国から呼び寄せた聖女を魔女のように思っていたし、神殿は、自分達を差し置いて、浄化の旅を行い、成果を上げる聖女を苦々しい思いで見ていたし、この国の国民は、属国の人間への蔑視があった。
だからといって、毒――?
こちらが青褪めているのにも気づかない様子で、聖女は胸を張った。
「神殿で借りた古文書にも、毒矢で射られたいつかの聖女が奇跡的に回復した記述があったから、間違いないと思います! 腹痛に効くお茶は、あやかれそうでピッタリでしょう? あ、サイモンも旅の記録にいいネタにもなりそうですね」
止まらない聖女を止めるため、肩を掴んだ。
聖女はようやく私を見ると、びっくりした。恐らくただならぬ気迫に圧倒されているらしい。でも、こちらとしても、それで言うべきことを飲み込んだりはしない。
「毒を盛ったのは、誰ですか?」
「……もう話はついているので、黙秘します」
申し訳なさそうにはしているが、意思を感じさせる言葉だった。話はついているということは、聖女は見返りを受け入れたか、事情からやむを得ないと納得している。となると、恐らく、その時のことを白状させることはできないだろう。
それでも、命を狙われた状況というのに看過できない。いつだったのかと、腸が煮えくり返る想いで、これまであったことを思い出しながら、目に力を込めて、聖女に伝えた。
「こういうことは、きちんと相談してください」
真剣さは伝わったみたいで、聖女はバツが悪そうにしたあと、もごもごと言った。
「……すみません。毒を盛られた頃は、誰が味方か分からなかったので」
そう言われて、言葉に詰まったのは、今度は私の方だった。
出会ってばかりの頃、確かに、我々の間に信頼関係はなかった。聖女からすれば、私が毒を盛った可能性だって、排除できなかっただろう。
大きな溜め息を吐いた後、目に力を入れ、伝えた。
「これからは、きちんと話してくださいね」
聖女は無言でこくりと頷いた。
浄化の旅も三年目となり、初めて訪問する地でも、気さくな聖女の噂は広がり、大歓迎を受けた。
もはや大規模に浄化が必要な地はなく、国中を遍く、皇帝陛下の命を受けた聖女が訪問することで、陛下の求心力を高めるという側面が強かった。
その地でも、早々に浄化を終えると、屋敷での領主への挨拶や広場での民衆への顔見せをし、更に、その地の神殿が管理している孤児院への慰問をすることになった。
子供達は期待に満ちた目で聖女を見つめた。緊張した面持ちの子供達が聖歌を歌い、朗読をした後、聖女も含め、皆でパズルを使って遊ぶことになった。
しばらくパズルをしていたが、子供の一人が好奇心に耐え兼ねたみたいに言った。
「聖女様は色々な所に行かれたのですよね?」
「ええ。そうですよ」
「お話を聞かせてください!」
突然言われて、聖女が驚いたが、すぐに、多くの人にとって、旅は簡単なものではないとピンときたようだった。
「そうね。では、何処の話がいいかな――」
聖女がこれまでの旅で巡った地を思い浮かべていると、別の子供が言った。
「聖女様の故郷のお話!!」
驚いた顔で、聖女は子供達を見渡した。子供達は、一様に期待を込めた目をしていた。聖女ははにかんだ。
「では。私の故郷はゲリュカといいます。豊かな自然に囲まれ――」
また、聖女は三回目に訪れる地でも、勿論、歓迎された。例えば、アンダーソン伯爵領だった。
聖女と我々は、白い花束と共に迎えられた。一年目に、子供達が歓迎のときにも持ってきてくれたものと似ていたが、その時より花弁は柔らかそうで、また、その時とは違って、甘い香りが周囲を満たしていた。
子供達は胸を張って、大きな声で言った。
「聖女様、瘴気前にあった花が、再び咲きましたよ!」
「私達が見つけて、育てたんです!」
聖女は目を輝かせた。
「すごいわ!」
その後も、聖女と子供達は言葉を交わしたが、これから領主の屋敷に向かう途中である。切り上げさせるよう声を掛けたところ、名残惜しそうにしながらも、聖女と子供達は別れを告げた。
「聖女様、浄化の旅、ありがとうございました!」
「今度は、私達が会いに行きますね!」
子供達の中にも、その周囲の人達の中にも、聖女の出身である属国であるゲリュカに対する蔑視などなかった。
聖女は、振り返ると、嬉しそうに大きく手を振り、応えた。
こうして、三年目の浄化の旅も終え、帝都に戻ることにした。
二年目までに浄化はほとんど終えていたが、何処に行っても聖女を一目見たいという人々が集まっていて、平和ではあったが、忙しさでいうならば、一年目を超えていたかもしれないくらいだった。
全てを終え、馬車の中で船を漕ぐ聖女を見て、騎士達が微笑ましく話した。
「聖女様も流石にお疲れのようですね」
「何処に行っても、お祭り騒ぎだったからな」
「天真爛漫で明るくて。人気が出るのも分かります」
彼らが言うことは正しい。しかし――
「……それだけじゃない」
「え?」
ポツリと零した言葉に、騎士達が私を見た。口が滑った自分に、苦笑して、小さく首を横に振った。
「すまない。何でもないんだ。気にしないでくれ」
◆◆◆◆◆
帝都に戻るとすぐ、大神殿での祈祷の後、宮殿でパーティーが開かれた。
聖女は浄化の旅を行い、成果を上げると共に、国中を夢中にさせた。更に、属国とはいえ一国の王の血縁者である。
兄である皇太子を始め、多くの人間が聖女のエスコートを希望したが、第三皇子であり、聖騎士団の団長を務めた私が、その任を果たすことになった。
宮殿の一室で準備をする聖女を迎えに行った。扉をノックすると、開けられ、中には着飾った聖女がいた。
ドレスの色こそ旅の間と同じ白だが、汚れがついても洗いやすい綿ではなく、光沢のある絹で作られている。デザインにしても、旅では、獣道を歩くこともあるから、余計な引っ掛かりがないよう、ごく簡素なワンピースだったが、今は、流れるようなドレープが腕や裾までを覆い、優美に見える。薄化粧が施され、胸元では、いつの間にかゲリュカから取り寄せたらしい、ゲリュカ原産の蛋白石のペンダントが虹色に輝いていた。
着飾った美しい女性なら、これまで何度も見てきた。女性を褒める美辞麗句なら、叩き込まれている。実際に神に愛されていて、更に、厳かささえ感じる神秘的に装っている聖女なら、いくらだって褒めることができるはずだった。
しかし、上手く言葉が出なかった。
今の装いは美しいが、これまでの旅の姿と比べて、美しいというわけではない。実用性重視のワンピースを纏い、実際に、何処にだって足を運ぶ姿は尊ぶべきもののように感じていたし、ほんのり日に焼けた肌に、誰とだって笑顔で接する彼女はいつも輝いていた。
「うわあ! 格好いいですね!!」
言葉に迷う私を前に、沈黙を破ったのは聖女だった。聖女はいつもと変わらない笑顔で続けた。
「いつも殿下は隙なく洗練されていますが、つやつやの銀色の御髪と紫水晶の瞳も相まって、今日は更に光り輝くばかりです。そういえば、皇子様でしたっけ!」
明るく言われて、ようやく普段の調子で答えることができた。
「そういう美辞麗句は私に言わせてください。というか、忘れていたのですか……」
聖女はそれには答えず、ふふふと笑って、楽しそうにした。
「皇子様のエスコートでのパーティーなんて、一生の思い出になりそうです」
広間に向かう回廊で、聖女に伝えた。
「聖女様、分かっているとは思いますが、ここにいるのは化け物ばかりです」
聖女は胸を張ると得意げにした。
「大丈夫です。私、浄化できます!」
旅では頼もしいが、今回ばかりは素直に頷けない。
「浄化できない化け物で、対応は、私の方が得意なタイプなんですよ。何かあれば、必ず私を頼ってくださいね」
こちらの真摯さが伝わったようで、聖女は真面目な顔で頷いた。
聖女の力が明らかになってから、聖女の今後については、帝国内で色々議論があった。
神殿は、聖女の力を認めるなり、神殿の一員とし、その力を取り込もうとした。帝国の貴族の中には、ゲリュカの国王に釣書を送り、聖女の血を取り込むことを目論んでいる人間もある。
実際、三年目に聖騎士を志望した人の中には、聖女と縁付くことを目的にしていると思われるものもあった。当然、書類や面接での選考で落としている。
旅を始める前は、山の物とも海の物ともつかない聖女の旅に、第三とはいえ、皇子である自分が団長まで務める必要があるのかと疑問が上がっていたが、今となっては、皇帝の血がなければ、虫を追い払えないところまで、聖女の名声は高まっている。
ゲリュカからも含め、大勢の客を迎え、皇帝陛下は名声の回復に機嫌が良く、パーティーは朝まで続きそうなくらいだった。
夜が更ける前に、聖女と共に、パーティーを抜け出した。
「主役を退席させてしまいましたが、よろしかったですか?」
聖女に聞くと、特に気にした風でもなく、いつも通り、機嫌よく言った。
「いいと思います。聖女様が朝まで騒いでいては、示しがつかないですもんね」
ふと、聖女に初めて会いに行った時の賑やかな歓迎を思い出した。
「ゲリュカ出発前は、一晩騒いでいましたよね」
「しーーっ。それは、内緒にしてください!」
私の言葉に聖女が慌て、その様に笑いが漏れた。笑いが止まらなくなった私を見て、聖女も笑った。
大広間と客を泊めるための離宮の間にある中庭に差し掛かっていた。月明かりの元、静かで、我々以外は誰もいなかった。
笑いが止まったところで、聞いてみることにした。
「この後、聖女様はどうされるつもりですか?」
「ゲリュカに帰る以外の選択肢があるのですか?」
三年間、一緒にいたが、不思議そうに聞き返す聖女は、まだこちらのことを完全には信用してくれていないらしい。
少し悔しい気持ちで、表情は変わらなくても、冷ややかな声になった。
「本気で仰っていますか? 当初、貴女を冷遇した神殿も、完全に貴女の力を求め、神殿の一員となって欲しいと思っている。浄化の仕方で、神殿に教えを請い、顔を立ててあげたことも、相手が態度を軟化できた理由の一つかもしれませんね。
浄化の旅を行った聖女の名声は高く、聖女の血を取り込みたいと、帝国には貴女を妻に迎えたい家は多い。実際に、皇帝陛下にまで許可を求めてきている家もいくつもある」
聖女はこちらの言葉に困ったように笑った。
「でも、ゲリュカ出身ですよ?」
聖女の自身の故郷であるゲリュカを卑下するような言葉に、強烈な違和感を覚えた。聖女は、旅で属国出身の聖女と蔑む視線に晒されても、何が問題なのかと全く気に留める様子もなく、笑顔を崩さなかった。
彼女の発言は、恐らく、自分の考えを確かめたくて、その答えを私に言わせるためのものだろう。
薄笑いで、素直に求める答えを口にした。
「ゲリュカ出身だからと、今更、どうこう思っている人間は、この国にはいませんよ。帝国の民にゲリュカを認めさせた。
――見事に聖女様の思い通りですね」
最後の私の一言に、一瞬、動きを止めた後、聖女は、楽しそうに笑った。
「そうですね。思っていた以上にうまくいきました」
答え合わせを始めるため、口を開いた。
「属国という立場上、ゲリュカはセダム帝国から、聖女の派遣要請を断れない。しかし、当然、ゲリュカとしては面白くない。特に、三年前、帝国は斜陽しつつあった。ゲリュカ内で、これを機に、独立を目指そうという動きもあったと聞いています」
「おっしゃる通りです。でも、もし、今の帝国とゲリュカの状況が、私が聖女としての能力を目覚めさせたことによるのであれば、一時的なものでしかない。
血を流し、独立を果たしたところで、帝国という後ろ盾を失い、別の国から服従を求められることもあるかもしれない。帝国と敵対して、その先に幸福はあるのかと思って」
当時の苦悩を思い出したのか、少し苦しそうな表情を浮かべた後、聖女は優しく微笑み、こちらを見た。
「一生懸命考えているうちに、帝国の人は冷たいだとか帝国は落ち目だとかそんな噂だけは聞くけれど、実際のところは何も知らない自分に気が付いたんです。
私、聖女として帝国に行き、精一杯、帝国の人を知ることにしました。そして、帝国の人にも私やゲリュカのことを知ってもらおうと思いました」
まっすぐにこちらを見る聖女の瞳は、どこまでも澄んでいた。その瞳が濁ることがあるのかと気になって、聞いてみた。
「それで、貴女はゲリュカの人々を説得して、帝国に行くことを決めた。でも、何も分からない中で、良かったのですか? 帝国が貴女の期待に応えるものではなかったなら、どうするつもりだったのですか?」
「ゲリュカを蔑ろにし、議論を尽くせる相手ではなければ、勿論、怒りますよ。もう絶対に力は貸さないと思ったでしょう」
意地悪く、怖がらせるように更に質問を重ねる。
「貴女やゲリュカの意向なんて無視で、帝国に来るなり、貴女の身を拘束して、自由を奪われたかもしれませんよ?」
「そんなの許しませんよ。私だけじゃなくて、全てのゲリュカの人々が」
聖女は不敵とも思える笑みを浮かべた後、雰囲気を変えるように、明るく言った。
「まあ、浄化が目的ですから、要請に応じて帝国に来た聖女である私を、いきなり拘束することはないんじゃないかなと思っていました」
「そして、浄化の旅のためという名目で、神殿からは、これまで手探りだった浄化に関する知識を得て、旅を通じて、帝国の地理、各地の関係を情報収集する。聖女の力についても、毒が効かないこと以外も、本人だから知ったこともあるのではないですか?
結果は上々でしたね。大した外交官だ」
私の言葉に、聖女は特に否定もせず、苦笑した。
「そんなに露悪的に見ないでください。もし誠意を尽くしても、応えてくれる相手でなければ、こちらも覚悟を決めないといけないとは思っていましたが、そんなことを望んでいたわけではありません。
何かをするときの理由が一つというわけでもありませんし。知ってもらえさえすれば、帝国の人達もゲリュカのことを好きになるかもしれない。困っている人がいるなら、助けたい。仲良く楽しく過ごせる方がいい。尊重し合える関係になりたい。それも本心です。殿下もそうではないですか?」
突然、水を向けられ、咄嗟に返す言葉が出なかった。無言の私を前に、聖女は続けた。
「聖女の力を利用して、帝国の求心力を復活させたい。浄化の旅を成功させ、自らの帝国での地位を向上させたい。
でも、搾取するのではなく、ゲリュカと協力的な関係は築きたい。ああ、ゲリュカだけではなく、聖女として協力する私ともですよね」
こちらからの返事がないのを肯定と受け取ったのか、聖女はこれ以上、話を続けることはせず、夜空を見上げた。聖女は、しばらく瞬く星を眺めた後、覚悟を決めたみたいに切り出した。
「折角の機会なので、今後の私の立ち回りについて相談に乗ってくれませんか?」
「相手が私でいいのですか? 帝国の人間ですよ」
「ここまで話したんです。それに、殿下のことは、信じているので!」
聖女は、初めて出会った時と変わらず、星にも負けないくらい瞳を輝かせて、元気いっぱいに言った。
「私は、これからも、帝国とゲリュカを繋ぐ役割をしたいです! 私達、もっと仲良くなれると思います!!」
その眩しさに、言葉を見つけられないでいる間に、聖女は話し始めた。聖女の中で、私なら相談に乗ると信じきっているのだろう。
「ええと、今、私の今後としての候補は、神殿に入ること、この国の誰かと結婚すること、あとはゲリュカに戻ることですよね」
顎に手を当てて、聖女は考え込んだ。
「神殿に入るのも、国を超えて、できることがあるかもしれないですが、浄化を終えてしまったから、今までみたいな旅は少なくて、浄化を行った聖女として神殿の中の名誉職に就き、神殿の中で地位を上げていくみたいな感じになりますかね。
たまに何処かに呼ばれていくことはあるかもしれませんが、それだと、神殿中心の活動になってしまいそうですが、私は帝国の人ともゲリュカの人ともいっぱい会っていきたいので、ちょっと違うかなと思って」
私が小さく頷いたのを見て、聖女は続けた。
「帝国の貴族様と結婚というのは、ゲリュカとの交流を望んでくれる家とならいいのかもしれないですが、どうしてもゲリュカには簡単に戻れなくなりそうで……。それに、一応、ゲリュカの貴族の出ではありますが、帝国の貴族様とは違う生活をしてきたから、たまになら猫を被ることはできても、毎日ずっとだとボロが出てきて、失望されそうだし……。
あと、正直に言うと、聖女の血が目当てにされているということを、上手に割り切れなくて……。私自身を求められているわけではないんだと思うと、どうしても、前向きになれないんですよね……」
聖女は苦悩の表情を浮かべ、打ち明けた。
「となると、ゲリュカに戻ることになるのですが、それはそれで、神殿と帝国の貴族様を袖にしたことで、神殿と一部の貴族様が、私とゲリュカの悪口を流して、一部の帝国の人がそれを信じないかなという不安があって……。
もう誤解はされたくないから、私とゲリュカの悪口を言われたら、すぐに否定できるようにしたいです。そうなると、やっぱり、この国の神殿にいるのがいいのかな……」
頭を抱え込んだ聖女に、そっと声を掛けた。
「もう一つ、心当たりがあります」
「何ですか?」
聖女は、パッと顔をあげ、私を見た。
「帝国を本拠にしていただきますが、ゲリュカと帝国の橋渡しになるものです。ゲリュカへの帰省も十分に叶うでしょう。病院や学校の運営の確認や、ゲリュカの特産品の帝国内での販売への協力は勿論、将来的に、帝国の技術を使って、ゲリュカに道路の舗装と水道の敷設もできるかもしれません」
私の言葉を聞き、聖女は、再び目をキラキラと輝かせた。その可愛らしさに笑いたくなるのを堪えた。
「聖女様が望むものではないかもしれないのですが……」
もったいぶる私に、想像通り、聖女は前のめりで言った。
「大丈夫ですから、言ってみてください!」
その様に、とうとう我慢できなくて、笑ってしまった。
――ああ、可愛いな。
瘴気を浄化したのは、聖女としての力だったが、人々の心を解いたのは、彼女自身の魅力だった。傷付くことを恐れず、人の輪に飛び込み、好意を示す。そして、周囲の人々に、やがて親愛の情を持たせ、彼女の笑顔をもっと見たいと思わせた。
かといって、ただ単に善意の人ではなく、密かに故郷への思いを燃やし続け、いつもそのために何ができるか考えていた。
第三とはいえ、皇子である自分が、三年間も浄化の旅に付き添うことに異論もあった。でも、彼女のことを知る度、惹かれ、彼女の隣は誰にも譲れなくなった。まるで、中毒性のある毒みたいだった。
三年間、彼女の傍にいた。こんな毒を大量に食らって、これまで通りでいられるはずがない。毒を食らわば皿まで、だ――
「私と結婚すること」
考えてもいなかったようで、聖女は鳩が豆鉄砲を食ったように、目をパチクリさせた。逃がさないというつもりで、言い募る。
「先ほど、何かをする理由は一つじゃないと言いましたよね。全面的に同意します。確かに、浄化の旅を通じて、私は帝国の権威を回復させたかった。私自身の帝国内での地位も確保したかった。帝国の人々の生活を改善したかった。聖女を派遣してくれたゲリュカに対して、きちんと誠意をもって相対したかった。どれも真実です。
そんな中、貴女が、故郷への思いを胸に、傷付くのも恐れず、奮闘する姿に感銘を受けました。私も、帝国だけでなく、ゲリュカの発展に微力を尽くしたいと思うようになりました」
考えたこともなかったらしく、聖女は目を白黒させながら、一生懸命、思考を巡らせた。その様子も、やはり可愛かった。
「ええと、皇子殿下がそんなことを考えてくださっていたなんて、あ、有難いお話です。でも、それだと、私にとって有利過ぎるというか……。他に条件は……?」
「帝国に聖女を招くことができるというのは十分に栄誉なことです。私が貴女をきちんと大事にすれば、ゲリュカの人々も帝国に良い感情を持ち、友好的な関係を築くのに資するでしょう。こちらにとっても十分に利があることです。
もし、注意が必要だとすれば――」
双方に利があることだと納得したらしく、安堵したように見えた聖女だが、続きがあると知り、気を引き締めるよう、口を引き結んだ。
私がこれから言うことで、聖女はどんな反応をするのだろうか。楽しみな気持ちで、続きを口にした。
「私は貴女に恋情を抱いていることでしょうか」
その言葉を聞くと、彼女は、これ以上ないくらい、目を大きく開いた。そして、顔を赤くした。悪くない反応に満ち足りた気持ちになる。機嫌良く、つい口角が上がる。
「その点だけは覚悟してほしい。他の男には目を向けさせないし、私と同じくらい、貴女からも愛情を向けてもらうように努力するつもりです」
彼女は周囲を見渡し、右往左往して、周囲に他に誰もいないのを確認した。そして、ゴクリと生唾を飲んで、私に聞いた。
「殿下は、私のことが好きなんですか?」
「はい。愛しているので、誰よりも傍にいたいし、私の手で幸せにしたいと思っています」
こちらが即答したのに、とうとう耐えかねたように、顔を手で覆った。隠せていない耳は、真っ赤だった。
「で、殿下ってそんな人でしたっけ……。もっとクールというか、約束は守るけれど、私情は挟まないみたいなイメージだったので……」
「貴女と出会う前であれば、その人物評は間違ってはいません。でも、貴女みたいな人たらしの傍に、三年間、一番、近くにいたんです。これまで通りでいられるはずがない」
「何ですか、それは……!」
彼女は小さく唸った後、そのまま動かなくなった。照れる姿もいいけれど、やはり、この距離で二人きりなのだから、少し物足りない。
「顔を見せてください」
いつまでもこうしているわけにはいかないと思ったらしく、彼女は観念したように、手を放すと、再び目が合った。初めて見る狼狽えた涙目だった。やはり可愛い。どうしても笑ってしまう。
含み笑いを止めない私に、彼女は悔しそうに、怨み言を言った。
「殿下、いつも、いかにも上っ面みたいな本音を明かさない胡散臭い笑顔ばかりなんですよ。なのに、今、初めてこんな甘い笑顔見せられると、本気にしてしまうじゃないですか」
「だから、本気です」
一歩踏み出し、顔を覗き込み、目を合わせた。
「それで、提案は受け入れてくれますか? 受け入れてくれないなら、その気になるまで口説くけど」
「も、もう、心臓に悪いので、一旦、止めてください」
「でも――」
「ま、前向きに検討しますから……!」
こちらの言葉に心を動かせられ、顔を真っ赤にさせて、狼狽えてくれる姿は、どこまでも可愛くて、心が躍る。絶対に手放したくない。
聖女であることは知っているけれど、それだけでなく、やはり、天性の魔性だ。




