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第七話:命の水と、芽生えた信頼

 翌朝、フィオナは体中の痛みで目を覚ました。硬い岩肌の上で眠ったのだから当然だ。しかし、それ以上に彼女を苦しめたのは、喉の焼けるような渇きだった。


(水が、ない……)


 昨日、魔獣の手当てで残りの水を全て使ってしまった。このままでは、今日一日もたないだろう。


 フィオナはふらつく足で立ち上がると、洞窟の奥をそっと窺った。魔獣は昨日と同じ場所で静かに横たわっている。銀色の瞳が、こちらをじっと見つめていた。その瞳には、もう敵意の色はない。


 フィオナは、小さく頷いてみせると、意を決して洞窟の外へ出た。


 生きるためには、水を探さなければならない。


 陽の光はまだ弱々しいが、それでも荒れ地の空気は乾燥しきっている。フィオナは、前世の知識を総動員して、水脈のありかを探し始めた。


 乾いた川床のような窪地を見つけ、その土を手に取る。植物の根の痕跡すらない。だが、諦めずに歩き続けると、窪地が合流し、わずかに深くえぐれている場所を見つけた。そこは、周囲の地形から考えて、雨が降れば水が溜まりやすい場所のはずだ。


(ここなら、地下に水が残っているかもしれない)


 問題は、どうやって掘るかだ。道具は何もない。フィオナは、辺りを見回し、手頃な大きさの、平たい石を見つけ出した。それをシャベル代わりに、乾いた地面を根気強く掘り始める。


 硬い土を少しずつ、少しずつ削っていく。爪が割れ、指先から血が滲む。体力の消耗も激しい。何度も意識が遠のきそうになったが、そのたびに、洞窟で待つ銀色の瞳を思い出した。


(私だけじゃない。あの魔獣も、きっと喉が渇いている)


 その思いだけが、フィオナを突き動かしていた。


 どれくらい時間が経っただろうか。一メートルほど掘り進めた時、石の先端が、ふっと湿った感触を捉えた。


「……あった!」


 希望の光が見え、フィオナは夢中で土を掻き出す。やがて、指先に泥がまとわりつき、そこから、黒く濁った水がじわりと滲み出してきた。


 泥水。


 とても飲めるような状態ではない。しかし、フィオナの顔には、安堵の笑みが浮かんだ。


「これなら……!」


 彼女は、旅装束のもう一方の裾を裂くと、近くに落ちていた比較的目の細かい砂と、炭の代わりになりそうな黒い石の欠片を集めた。そして、即席のろ過装置を作り上げる。これも、前世のサバイバルの知識だ。


 泥水を布で掬い、ろ過装置に注ぐ。ぽた、ぽたと、不純物が取り除かれた水が、水筒だった容器にゆっくりと溜まっていく。決して綺麗とは言えないが、命を繋ぐには十分な水だった。


 フィオナは、まず自分の喉を潤すと、残りの水を満たした水筒を手に、洞窟へと戻った。


 洞窟の中は、ひんやりとしていた。奥へ進むと、魔獣が身じろぎもせず、フィオナの帰りを待っていた。その銀色の瞳は、彼女が手に持つ水筒に釘付けになっている。


 フィオナは、昨日と同じように魔獣のそばに膝をつくと、水筒をそっと差し出した。


「飲んで。綺麗ではないけれど、毒はないわ」


 魔獣は、すぐには動かなかった。差し出された水を、疑うように見つめている。長年、人間から裏切られ続けてきたのだろう。その警戒心は、骨の髄まで染み付いているに違いなかった。


 フィオナは、急かさずにじっと待った。


 やがて、魔獣は意を決したように、ゆっくりと首をもたげた。そして、恐る恐る、水筒の縁に鼻先を近づける。水の匂いを確かめると、ようやく、ペロリと舌を伸ばして水を舐めた。


 その瞬間、魔獣の銀色の瞳が、わずかに見開かれた。


 まるで、何年も忘れていた、命の味を思い出したかのように。


 魔獣は、夢中で水を飲み始めた。フィオナは、水筒が空になるまで、その体を優しく支え続けた。


 水を飲み干した魔獣は、満足したように小さく息をつくと、おもむろに、その大きな頭をフィオナの膝へとすり寄せた。それは、まるで子猫が甘えるかのような、不器用で、けれど確かな信頼を示す仕草だった。


 温かい毛皮の感触と、ずしりとした重み。


 フィオナは、驚きながらも、その大きな頭を優しく撫でた。


 言葉は通じない。けれど、心は確かに通じ合った。


 絶望の荒れ地で、フィオナは、初めて自分を頼ってくれる存在を得たのだ。その温もりは、何よりも雄弁に、彼女の孤独な心を癒してくれた。

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