第二十九話:新しき国の名と、最後の審判
アークライトが元の姿を取り戻してから、一週間が過ぎた。
彼の回復は目覚ましく、今では、グレイグを稽古で打ち負かすほどに、かつての力を取り戻していた。しかし、彼がその剣を振るうのは、フィオナと、このオアシスを守るためだけだった。
その日、集会所には、この地の未来を担う三人の男女が集まっていた。
創設者であり、最高指導者であるフィオナ。
そのパートナーであり、軍事面の最高責任者となるアークライト。
そして、彼らに忠誠を誓う、騎士団長のグレイグ。
彼らは、新しい国の、最初の評議会を開いていた。
「まず、我々の国の名前を決めなければなりません」
フィオナが、テーブルに広げられた地図を指しながら言った。地図には、オアシスを中心に、今後開拓していくべき土地の境界線が、力強く引かれている。
「私は、『アルジェンティス』という名を提案したい」
アークライトが、静かに口を開いた。
「ラテン語で『銀』を意味する言葉だ。君が、私の絶望の中に見た光の色。そして、我々が、この地で起こした奇跡の光の色。……何より、君のその、鋼のような灰色の瞳の色にも、似ている」
彼は、そう言うと、フィオナに優しく微笑んだ。
その名に、反対する者はいなかった。追放された者たちが、銀色の希望を見出し、築き上げる国。それ以上に、ふさわしい名前はないだろう。
「次に、国の体制です」と、フィオナは続けた。「私は、旧い王国のような、血筋だけで地位が決まる世襲制には反対です。この国は、誰もが、その功績と能力によって、正当に評価されるべきです」
彼女が提案したのは、各分野の専門家や、民の代表者による合議制を基本とし、その最終決定権を、指導者である自分が持つという、新しい統治体制だった。彼女は「女王」ではなく、民を導く「筆頭執政官」として、この国に立つことを望んだ。
アークライトは軍の総司令官として、グレイグはその補佐として、フィオナを支えることになる。
「素晴らしいお考えです。それこそ、我らが理想とした国の姿だ」
グレイグが、心からの賛同を示した。
そして、議題は、最後の、そして最も厄介な問題へと移った。
旧王国と、そこに囚われている「人質」たちの処遇について。
「旧王国は、もはや自壊寸前です。フィオナ様とアークライト様が、お望みであれば、我ら騎士団が、いつでも王都を攻め落とし、玉座を奪い返すことも可能ですが……」
グレイグの言葉に、アークライトは静かに首を振った。
「その必要はない。腐った果実は、いずれ地に落ちる。我々は、落ちた果実を拾うのではなく、この地に、新しい種を蒔き、大樹を育てることに集中すべきだ。国を捨て、我々の理念に賛同する者だけを、民として受け入れよう」
それは、武力による征服ではなく、理念による、平和的な国家の拡大だった。
「では、ヴァレリウスたちについては、どうなさいますか?」
グレイグの問いに、フィオナは、しばらくの間、目を閉じていた。
憎しみは、もうない。しかし、彼らが犯した罪を、許すつもりもなかった。彼らには、その罪を、きちんと償ってもらう必要がある。
やがて、フィオナは、目を開けると、静かに、しかし、揺るぎない声で言った。
「彼らに、死よりも重い罰を与えましょう」
「……と、申しますと?」
「彼らから、名前と身分、その全てのプライドを剥奪します。そして、一人の労働者として、このアルジェンティスに貢献させましょう」
その言葉に、アークライトとグレイグは、息をのんだ。
「ヴァレリウスには、鉱山で、鉱夫たちと共に、ツルハシを振るわせなさい。彼が、かつて見下していた者たちと、同じ汗と泥にまみれて、この国を文字通り『支える』礎となるのです」
「セラには、開拓民の子供たちの世話や、炊き出しの手伝いを。彼女が、その美しい手で、誰かのために尽くすことの本当の意味を、その身で学ぶまで」
「そして、アールグレイ伯爵夫妻には、畑の開墾を。彼らが、自分たちの手で、土を耕し、種を蒔き、作物を育てるという、生命の尊厳を理解するまで。それが、彼らに科す、終身刑です」
それは、単なる復讐ではなかった。
彼らが、人間としての最低限の尊厳と、労働の価値を、その骨の髄まで思い知るための、あまりにも的確で、そして、ある意味では、慈悲のない「教育」だった。
「……承知いたしました。それが、フィオナ様の、いえ、アーコンのお考えであれば」
グレイグは、深く頭を下げた。
数日後。
新生国家「アルジェンティス」の建国宣言と、旧王国の罪人たちへの判決を記した一通の書状が、王都へと送られた。
それは、旧時代の終わりと、新時代の幕開けを、全世界に高らかに告げる、ファンファーレとなった。
フィオナとアークライトは、集会所の窓から、活気に満ちた自分たちの国を見下ろしていた。
彼らの物語は、まだ始まったばかり。
しかし、その未来が、どこまでも明るく、輝かしいものであることを、そこにいる誰もが、確信していた。




