第二十七話:砕け散る呪いと、銀色の王子
『『オオオオオオオオオオッッッ!!!』』
ノクトの魂の咆哮が、精神世界に響き渡る。フィオナの光に導かれ、増幅されたその力は、もはや呪いの闇を圧倒していた。
現実世界では、祭壇の上のノクトの体が、金色の光を内側から放ち、激しく痙攣していた。
「今よ、ノクト! その楔を、砕きなさい!」
フィオナの叫びに応えるかのように、ノクトは最後の力を振り絞った。
その額にある「魂縛の黒晶」に、ピシリ、と一本の亀裂が走る。
その瞬間、呪いが、最後の断末魔を上げた。
黒晶から、凄まじい量の黒い瘴気が噴き出し、嵐となって、精神世界のフィオナに襲いかかったのだ。
「ぐっ……ぁっ……!」
フィオナの体に、ノクトが長年受け続けてきた、想像を絶する苦痛と絶望が、濁流となって流れ込んでくる。意識が、憎悪の闇に塗りつぶされそうになる。
「フィオナ様!」
祭壇の下で、グレイグが悲痛な叫びを上げた。
現実世界のフィオナの体からも、力が抜け、その場に崩れ落ちそうになっていた。しかし、彼女は、倒れない。膝をつきながらも、必死に祭壇に手を付き、ノクトとの繋がりを保ち続けている。
(ここで、私が負けるわけには、いかない……!)
フィオナは、歯を食いしばった。彼女は、自分の生命力そのものを、魔力に変換し、ノクトへと送り込み始めた。それは、自らの命を削る、禁じ手だった。
「あなたの痛みも、絶望も、全て、私が半分受け止める! だから、あなたも、諦めないで!」
フィオナの決死の覚悟が、魂となって、ノクトへと伝わる。
それに呼応するかのように、ノクトの魂の光が、再び力強く燃え上がった。
そして、ついにその時が来た。
ピキ、ピキピキッ……パリンッ!
魂縛の黒晶が、甲高い音を立てて、内側から弾けるように砕け散った。
呪いの楔を失った二本の角も、根本から砂のように崩れ落ちていく。
直後、ノクトの体から、もはや制御できないほどの、眩いばかりの銀色の光が、衝撃波となって放たれた。黒い瘴気は、その神々しい光に触れた瞬間、朝霧のように、跡形もなく消滅していく。
儀式場にいた誰もが、あまりの光量に、思わず腕で目を覆った。
やがて、光が、ゆっくりと収まっていく。
人々が、恐る恐る目を開けた時、祭壇の上にあった、あの巨大な魔獣の姿は、どこにもなかった。
代わりに、祭壇の中央に、一人の青年が、静かに横たわっていた。
陽に当たったことのないような、透き通るように白い肌。闇夜を溶かし込んだかのような、しなやかな黒髪。そして、長い眠りについているかのように、安らかな寝顔。その顔立ちは、気品に満ち、明らかに、高貴な生まれであることを示していた。
かつて魔獣の体を覆っていた漆黒の毛皮は、上質なローブとなって、彼の体を優しく包んでいる。
フィオナは、残った最後の力を振り絞り、ふらつきながら、その青年の元へと歩み寄った。
そして、彼の傍らで、ついに力尽きて、その場に崩れ落ちる。
意識が遠のく中、彼女は、そっと、青年の頬に手を伸ばした。
その時、青年の瞼が、ゆっくりと持ち上げられた。
現れたのは、一対の瞳。
フィオナが、この荒れ地で出会い、心を交わし、救うと誓った、あの、誰よりも知性的で、そして優しい、銀色の瞳だった。
「……フィオナ」
青年が、初めて人間の声で、彼女の名前を呼んだ。
それは、フィオナが今まで聞いた、どんな音楽よりも美しい響きを持っていた。
「……よかった」
その一言を最後に、フィオナの意識は、安らかな闇の中へと、静かに落ちていった。
彼女は、やり遂げたのだ。
呪いは解かれ、青年は、長い眠りから目覚めた。
呪われた荒れ地に、本当の夜明けが訪れた瞬間だった。




