第二十五話:大儀式の準備と、集いし賢者たち
王国の屈服から、一ヶ月。
オアシスは、もはやただの開拓地ではなく、巨大な研究施設、あるいは、一つの都市国家と呼ぶにふさわしい熱気に満ちていた。
フィオナの指揮のもと、王国から送り込まれてきた技術者や学者たちは、それぞれの専門知識を活かし、来るべき「大儀式」のための準備に邁進していた。
集落の北側、巨大な岩盤が広がる一帯が、儀式の場として選ばれた。
建築家たちは、フィオナが描いた精密な設計図に基づき、巨大な祭壇と、それを取り囲むようにして、複雑な魔力回路となる溝を掘り進めていく。
鉱夫たちは、フィオナが指定した希少な鉱石を、寸分の狂いもなく採掘し、精錬していく。
学者たちは、王家の書庫から持ち出された古文書を解読し、フィオナの理論に間違いがないか、別の角度から検証を重ねていた。
彼らは、当初、追放された一人の少女の指揮下に入ることに、少なからず抵抗を感じていた。しかし、フィオナの圧倒的な知識と、的確で無駄のない指示、そして何より、彼女がやろうとしていることの、あまりの壮大さと独創性に触れるうちに、その感情は、畏敬と、純粋な知的好奇心へと変わっていった。
「信じられん……この術式は、古代文明の錬金術理論を、さらに発展させたものだ」
「この魔力回路の設計は、完璧だ。少しのロスもなく、中央の祭壇へとエネルギーを集中させることができる」
「彼女は、我々が数十年かけて研究してきたことを、たった一人で、遥かに凌駕している……!」
技術者たちは、寝食を忘れ、目を輝かせながら作業に没頭した。腐敗した王国で、燻っていた彼らの情熱が、フィオナという触媒によって、再び激しく燃え上がったのだ。
フィオナ自身も、休むことなく準備を進めていた。
彼女が最も心血を注いでいたのは、儀式の中核となる「触媒」――ノクトの魂の力を増幅させるための、巨大な魔力結晶の錬成だった。
それは、並大抵の作業ではない。
まず、王国から運ばれてきた、最高純度のダイヤモンドの原石を核とする。その周りに、この土地で採れる、複数の種類の魔力鉱石の粉末を、特殊な液体と共に塗り重ねていく。そして、炉の中で、魔力を流しながら、繊細な温度管理のもとで焼き固める。この工程を、何十回と繰り返すのだ。
それは、まるで星を生み出すかのような、途方もない作業だった。
一度でも配合や温度を間違えれば、結晶はたちまちその輝きを失い、ただの石ころになってしまう。
フィオナは、三日三晩、ほとんど眠らずに炉の前に立ち続けた。彼女の顔には疲労の色が浮かんでいたが、その瞳は、一点の曇りもなく、澄み切っていた。
傍らでは、ノクトが、心配そうに、しかし静かに彼女を見守っている。彼もまた、これから自分の身に起ころうとしていることの重大さを、理解しているようだった。
そして、儀式の前夜。
ついに、触媒となる魔力結晶が完成した。
それは、人の頭ほどの大きさがあり、内側から、まるで銀河を閉じ込めたかのように、無数の光の粒が、複雑な軌道を描きながら、ゆっくりと明滅していた。あまりの美しさに、その場にいた誰もが、息をのんだ。
「……できたわ」
フィオナは、その結晶を、愛おしむように両手で抱え上げた。
準備は、全て整った。
明日、この呪われた荒れ地で、歴史上誰も成し遂げたことのない、奇跡を起こすための儀式が始まる。
それは、一人の男の呪いを解くための儀式であり、同時に、この地に、新たな神話を刻むための、戴冠式でもあった。
フィオナは、完成した結晶を抱えたまま、ノクトの前に立った。
「ノクト。怖い?」
ノクトは、静かに首を振ると、その大きな頭を、フィオナの体に優しく擦り付けた。その銀色の瞳には、恐怖はなく、フィオナへの、絶対的な信頼の色だけが浮かんでいた。
「ありがとう。……さあ、行きましょう。私たちの、新しい夜明けを迎えに」
二人は、ゆっくりと、ライトアップされた巨大な祭壇へと、歩き始めた。
運命の夜が、静かに幕を開けようとしていた。




