第二十三話:女王の取引と、新たな秩序
一週間後。国王の使者である老文官は、今度は王国の宰相をはじめとする数名の大臣を引き連れ、再びオアシスの門をくぐった。彼らの表情には、かつての尊大さはなく、ただただ、追い詰められた者の焦りと疲労が色濃く浮かんでいた。
彼らが案内されたのは、洞窟の中ではなかった。集落の中央に、フィオナが「集会所」と呼ぶ、新しく建てられた質素だが広々とした建物だった。
その中央に、フィオナは静かに座っていた。豪華な玉座ではない。騎士たちが作った、頑丈な木の椅子だ。しかし、彼女がそこに座るだけで、そこは、王国の玉座よりも遥かに、重みと権威を持つ場所に見えた。
彼女の隣には、もちろん、守護者のようにノクトが控えている。
「……フィオナ殿。我々は、陛下の全権代理として参った」
宰相が、乾いた唇を湿らせながら口を開いた。
彼は、王国が今直面している、破滅的な状況を、包み隠さず語り始めた。飢饉、暴動、そして、それを好機と見た隣国が、国境で不穏な動きを見せ始めていること。
「もはや、一刻の猶予もない。どうか、貴女のその大いなる力で、この国をお救いいただきたい。陛下は、貴女に、公爵夫人の地位と、望むだけの富と名誉を約束すると仰せだ」
それは、王国が提示できる、最大限の譲歩だった。彼らは、まだ、フィオナが「富」や「名誉」といった、旧来の価値観で動くと信じようとしていた。
フィオナは、宰相の話を、最後まで黙って聞いていた。
そして、全員が話し終えたのを見計らって、静かに、しかし、その場の誰もが聞き逃すことのできない、凛とした声で言った。
「お話は、それだけでしょうか」
たった一言。しかし、その言葉に含まれた絶対的な自信と、かすかな失望の色に、大臣たちは息をのんだ。
「まず、訂正させていただきますが、私は、あなた方の国を『救う』つもりはありません」
「なっ……!?」
「私がするのは、取引です。あなた方が、私の要求を全て飲むのであれば、見返りとして、食料と、いくつかの錬金術製品を『売って』差し上げましょう」
救済ではない。対等な、いや、圧倒的にこちらが優位な立場での、ビジネス。フィオナは、その現実を、彼らに容赦なく突きつけた。
「私が要求するのは、三つ」
フィオナは、指を一本ずつ立てていく。
「一つ。この『オアシス』を、王国の干渉を一切受けない、永久的な自治領として、正式に認めること。ここの全ての資源と、民は、私のものです」
大臣たちが、ゴクリと喉を鳴らす。それは、事実上の、独立宣言だった。
「二つ。私の研究に必要な、特定の資源と、人材を、王国が全面的に提供すること。必要な資源のリストです」
フィオオナは、グレイグに目配せした。グレイグは、羊皮紙の巻物を、宰相の前に広げる。そこには、王国内でも産出量の少ない希少金属や、特殊な魔石、そして、数千人単位の、熟練した鉱夫や、建築家、学者といった人材のリストが、びっしりと書き込まれていた。
「ば、馬鹿な! これでは、まるで国一つ分の……!」
「そして、三つめ」
フィオナは、驚愕する大臣たちを無視して続けた。
「アールグレイ家と、ヴァレリウス公爵の身柄。彼らの処遇は、全ての取引が完了した後、私が決定します。それまで、王国は、私の『人質』として、彼らを丁重に管理すること」
それは、王国に、一切の逃げ道を与えないという、強い意志表示だった。
「以上が、私の条件です。持ち帰り、国王陛下にご報告なさい。答えは、イエスか、あるいは、王国との全ての交渉を打ち切り、滅びの道を静かに見届けるか。その二つに一つです」
宰相たちは、もはや何も言い返すことができなかった。
フィオナが提示した条件は、単なる王国への援助要請ではない。それは、旧い秩序を破壊し、この地に、全く新しい国家を誕生させるという、壮大な建国の設計図そのものだった。
彼らは、自分たちが、歴史の大きな転換点に、ただただ無力な証人として立ち会っているのだということを、悟らざるを得なかった。
「……必ず、陛下にお伝えいたします」
絞り出すような声でそう言うと、宰相たちは、まるで魂が抜け殻になったかのように、ふらふらと集会所を後にした。
彼らが去った後、フィオナは、静かに立ち上がると、洞窟の壁に描かれた、ノクトの解呪のための錬金術式を見つめた。
リストアップした資源と人材は、全て、この大掛かりな儀式を執り行うために必要なものだった。
(待っていて、ノクト)
彼女の心は、王国への復讐ではなく、ただ一人、愛する相棒を救うという、純粋な願いで満たされていた。
その願いが、結果として、一つの国を滅ぼし、一つの国を創り出すことになる。
歴史は、時に、一人の人間の、ささやかで、しかし切実な祈りによって、大きく、大きく動かされていく。




