第二十一話:敗者の帰還と、王の決断
フィオナが背を向けて去った後も、ヴァレリウスとセラは、まるで雷に打たれたかのようにその場に立ち尽くしていた。
「爵位の剥奪……全財産の没収……平民として、差し出せ、だと……?」
ヴァレリウスが、信じられないというように、その言葉を繰り返す。それは、彼が生まれてから一度も想像したことすらない、最も屈辱的な要求だった。一介の、しかも自分たちが捨てた女から、絶対的な生殺与奪の権利を突きつけられたのだ。
「公爵、お引き取りを。ここは、貴殿らがいていい場所ではない」
グレイグが、冷たく言い放つ。騎士たちが、じりじりと包囲の輪を狭めてくる。その無言の圧力に、護衛の騎士たちは完全に戦意を喪失していた。
もはや、選択肢はなかった。
ヴァレリウスとセラは、反論の一言も口にできぬまま、来た道をすごすごと引き返すしかなかった。その背中に、開拓者たちの冷ややかな視線が突き刺さる。
王国への帰り道は、地獄のようだった。
セラは、ただぶつぶつと「ありえない」「何かの間違いよ」と虚ろに繰り返すだけ。ヴァレリウスの頭の中では、フィオナの鋼のような瞳と、冷たい声が、何度も何度も反響していた。
怒り。屈辱。そして、自分のちっぽけなプライドが、国そのものを滅ぼしかねないという、遅すぎた理解。様々な感情が渦巻き、彼の精神を蝕んでいく。
王都に帰り着いた一行を待っていたのは、更なる絶望だった。
彼らがフィオナの元へ向かっているという噂は、すでに貴族たちの間に広まっていた。誰もが、公爵が「無能な元婚約者」を連れ戻し、事態を収拾することを期待していたのだ。
しかし、彼らが持ち帰ったのは、完全な敗北と、フィオナからの理不尽とも思える要求だけだった。
「―――それが、あの女の答えだと申すか、ヴァレリウス!」
玉座の間で、国王の怒声が響き渡った。報告を聞いた国王は、怒りで顔を真っ赤にしている。
「ふざけるな! たかが追放された小娘一人が、王家に対して、何を思い上がったことを!」
「も、申し訳ございません、陛下……。しかし、あの女の背後には、グレイグをはじめとする、元王国騎士団が控えており……」
「黙れ!」
国王は、ヴァレリウスの言い訳を一蹴した。しかし、その怒りは、フィオナに対してだけではなかった。
「そもそも、こうなったのは、誰のせいだ! お前たちが、揃いも揃って、真の才能を持つ者を見抜けず、私利私欲のために追放したからではないか!」
国王は、全てを知っていたわけではない。だが、国が傾くほどの事態を引き起こした「才能」が、フィオナのものであったことには、薄々感づいていたのだ。
玉座の間には、アールグレイ伯爵夫妻も呼び出されていた。彼らは、国王の剣幕に、ただ震え上がっている。
国王は、玉座から立ち上がると、ゆっくりと三人の前に歩み寄った。その瞳には、もはや怒りではなく、冷え切った、非情な光が宿っていた。
「フィオナの要求、面白いではないか」
「へ、陛下……?」
「考えてみれば、当然のことだ。あの子が受けた屈辱を思えば、むしろ生ぬるいくらいやもしれぬ」
国王は、ヴァレリウスとアールグレイ伯爵夫妻を、一人ひとり、値踏みするように見つめた。
「王国か、お前たちか。どちらかを選べというのなら、答えは決まっておるだろう」
その言葉が、何を意味するのか。
ヴァレリウスたちの顔から、血の気が引いた。
「ま、待ってください、陛下! そ、それは……」
「衛兵!」
国王が鋭く叫ぶ。すぐさま、重装備の衛兵たちが、玉座の間に駆け込んできた。
「アールグレイ伯爵夫妻、および、聖女を騙ったその娘セラを捕らえ、地下牢へ投獄せよ! 爵位は剥奪、全財産は王家が没収する!」
「ひぃぃっ!」「お許しを、陛下!」
悲鳴を上げる三人は、衛兵たちによって、無様に引きずられていく。
残されたヴァレリウスは、恐怖にその場で立ち尽くしていた。
「さて、ヴァレリウス公爵」
国王は、冷たく彼に言い放った。
「お前は、この国に必要な男だと思っていたが……どうやら、私の買い被りだったようだな。お前も、頭を冷やすがいい」
「陛下、お待ちくだ……!」
「ヴァレリウス公爵を、自邸にて謹慎させる! 一歩たりとも、外へ出ることは許さん!」
それは、フィオナの要求を、部分的にではあるが、受け入れるという、国王の決断だった。
もちろん、彼自身も、フィオナの言いなりになるつもりはない。だが、交渉のテーブルにつくためには、まず、こちらが「誠意」を示さなければならない。
王国を救うためなら、腐った貴族の一家や、思い上がった公爵一人のプライドなど、安いものだ。
ヴァレリウスは、衛兵に両脇を固められ、力なくその場に膝をついた。
自分が築き上げてきた全てが、音を立てて崩れ落ちていく。
自分たちが仕掛けた、理不尽なゲーム。その駒であったはずの少女に、今や、自分たちが、チェス盤の隅へと追い詰められてしまったのだ。
チェックメイトを告げる、女王の冷徹な声が、すぐそこまで迫ってきていた。




