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第二話:砕け散る硝子の靴

 王城の大広間は、目もくらむほどの光と熱気に満ちていた。天井の巨大なシャンデリアが振りまく光の粒が、着飾った貴族たちの宝石や絹のドレスに反射して、きらきらと乱舞している。


 その華やかな空間の隅で、フィオナは息を殺すように壁際に立っていた。まるで、灰色のがくを持つ、地味な花のように。


「まあ、アールグレイ伯爵家のご令嬢。セラ様は今夜も天使のようね」

「それに比べて、姉の方は……いつも通り、いるかいないかも分からないような方ですこと」


 ひそひそと交わされる声が、フィオナの耳を刺す。視線を上げれば、輪の中心で、彼女の妹セラが蝶のように舞っていた。純白のドレスをふわりと揺らし、金の髪をきらめかせながら、有力な貴族の子息たちに愛想を振りまいている。その隣には、フィオナの婚約者であるヴァレリウス公爵が、完璧な笑みを浮かべて寄り添っていた。


 セラが何か面白いことを言ったのだろうか。ヴァレリウスが楽しそうに笑い、セラの髪に優しく触れる。その親密な様子は、誰が見ても恋人同士のそれだった。フィオナとヴァレリウスが婚約者であるという事実など、この場では誰も気にしていないようだった。


(……もう、慣れたはずなのに)


 胸の奥が、ちくりと痛む。分かっていたことだ。ヴァレリウスが求めているのは、アールグレイ伯爵家の家格と、聖女と噂される美しいセラの名声だけ。フィオナ自身は、その取引についてくる、どうでもいいおまけに過ぎない。


 耐えきれず、フィオナは人のいないバルコニーへとそっと抜け出した。ひんやりとした夜風が、火照った頬に心地よい。下を見下ろせば、王城の美しい庭園が広がっていた。


「――こんなところにいたのか」


 冷たい声に振り返ると、そこに立っていたのはヴァレリウス公爵だった。月明かりに照らされた彼の顔は、彫像のように美しく、そして同じくらい、感情というものが感じられなかった。


「ヴァレリウス様……」

「セラが探していたぞ。姉はどこに行ったのか、と心配していた」


 彼の口から出るのは、いつも妹のセラのことばかりだ。フィオナ自身のことを尋ねられたことなど、一度もなかった。


「少し、風にあたっておりました。すぐに戻ります」

「いや、その必要はない」


 ヴァレリウスは冷ややかに言い放つと、一歩フィオナに近づいた。その瞳には、今まで以上に明確な侮蔑の色が浮かんでいる。


「ちょうどいい。二人きりで話しておきたいことがあった」


 その言葉に、フィオナの心臓が嫌な音を立てて跳ねた。ヴァレリウスは、まるで汚いものでも見るかのような目で、フィオナの古びたドレスから、灰色の髪、そして顔へと視線を走らせた。


「フィオナ・アールグレイ。私は、君との婚約を破棄する」


 それは、あまりにも唐突で、あまりにも無慈悲な宣告だった。


「……え?」

「聞こえなかったか? 君のような地味で、何の取り柄もない女は、私の隣に立つにふさわしくない。公爵夫人として、我がヴァレリウス家を輝かせることなど到底できまい」


 言葉が、鋭い氷の礫となってフィオナの胸に突き刺さる。


 ちょうどその時、バルコニーの入り口から、セラが心配そうな顔を覗かせた。


「お姉様! ヴァレリウス様! こんなところで何を……」

「セラ、ちょうどいいところに来た」


 ヴァレリウスはセラに優しく微笑むと、フィオナに向き直り、再び冷たい声で言った。


「見ての通りだ。君のように何の才能もなく、ただ家に寄生しているだけの女ではなく、聖女として皆に愛されるセラこそが、私の隣に立つべき女性だ。そうだ、皆の前で改めて宣言してやろう」


 そう言うと、ヴァレリウスはフィオナの腕を乱暴に掴み、大広間へと引きずり戻した。突然のことにざわめく人々の中、彼は音楽を止めさせ、高らかに声を張り上げた。


「皆、聞いてくれ! 私は本日をもって、フィオナ・アールグレイとの婚約を破棄する! 彼女の無能さと嫉妬深さに、私はもう耐えられない!」


 大広間が、水を打ったように静まり返る。すべての視線が、フィオナ一人に集中した。同情する者は、誰一人いない。好奇と嘲笑の目が、無数の針となって彼女を突き刺す。


 フィオナは、何も言い返すことができなかった。頭の中が真っ白になり、まるで悪い夢でも見ているかのようだった。


 砕け散ってしまった。


 幼い頃に夢見た、いつか王子様が迎えに来てくれるという淡い期待。いつか自分も幸せになれるかもしれないと願った、硝子の靴。


 その全てが、今、彼の冷たい一言で、木っ端微塵に砕け散ったのだ。


 唇が震え、涙がこぼれ落ちそうになるのを、フィオナは必死でこらえた。


 これが、長年にわたる理不尽な日々の、残酷な結末だった。しかし、本当の絶望が、この先に待っていることを、彼女はまだ知らなかった。

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