第十九話:境界線と、招かれざる客
ヴァレリウス一行が、呪われた荒れ地に足を踏み入れた時、まず感じたのは、強烈な違和感だった。
「……なんだ、これは?」
かつて、フィオナを追放した際に見た、草木一本ない不毛の大地とは、明らかに様子が違っていた。道が、あるのだ。馬が通れるくらいに踏み固められ、整備された道が、地平線の先まで続いている。
道の脇には、等間隔に、奇妙な黒い杭が打ち込まれていた。杭には、フィオナが錬金術で作り出した、燐光を放つ石がはめ込まれており、夜になれば、道標として淡く光るのだろうと推測できた。
「フィオナの仕業か……。小賢しい真似を」
ヴァレリウスは吐き捨てるように言ったが、その内心には、焦りと、得体の知れない恐怖が芽生え始めていた。ここは、死の大地のはずだった。追放された者が、絶望して野垂れ死ぬだけの場所のはずだった。しかし、目の前の光景は、ここが、誰かの「領地」であることを明確に示していた。
一行が道を進むと、やがて、その道の先に、巨大な壁が見えてきた。
黒い魔導鉄と、この土地の岩を組み合わせて作られた、高さ十メートルはあろうかという、堅牢な城壁。その上には、物見櫓まで設えられており、何人かの人影が、こちらを監視しているのが見えた。
「なっ……城壁だと!? 馬鹿な、誰がこんなものを……」
護衛の騎士たちが、信じられないというように声を上げる。
一行が城壁の前にたどり着くと、その中央にある、巨大な門が、重々しい音を立ててゆっくりと開いた。
門の前に立っていたのは、一人の屈強な騎士だった。歴戦の傷跡が刻まれた、グレイグ・ノーマンその人だ。彼の後ろには、同じく王国を捨てた十数名の騎士たちが、整然と隊列を組んで並んでいる。その装備は、王国騎士団のものより、遥かに手入れが行き届いていた。
「……グレイグ団長。貴様、生きていたのか。王国を裏切り、追放者に与するなど、騎士の風上にも置けぬ奴め」
ヴァレリウスが、侮蔑を込めて言い放つ。
しかし、グレイグは眉一つ動かさなかった。彼は、ヴァレリウスではなく、その隣で怯えているセラを一瞥すると、冷たい声で言った。
「ここは、我らが主、フィオナ様の土地。招かれざる客が、土足で踏み入れて良い場所ではない。目的を告げられよ」
「だまれ、裏切り者が!」
ヴァレリウスが声を荒らげたが、グレイグは動じない。その落ち着き払った態度が、ヴァレリウスをさらに苛立たせた。
「フィオナに会わせろ。話は、直接あの女とする」
「フィオナ様が、貴殿のような方にお会いになるかどうか。まずは、私が貴殿の要件を伺おう」
その態度は、まるで、女王に謁見を願う使者に対する、近衛騎士のようだった。主従が、完全に入れ替わっている。その事実が、ヴァレリウスのプライドを、やすりのように削っていく。
「……いいだろう。ならば、言わせてもらう」
ヴァレリウスは、馬の上から、グレイグを見下ろす形で言った。
「我々は、フィオナを迎えに来た。王国は、彼女の過去の非礼を水に流し、再びアールグレイ家の人間として、そして、私の補佐役として、王都に戻ることを許可する、と。……どうだ、これ以上ないほど、寛大な申し出だろう?」
彼は、まだ自分が「許す」側の立場にいると信じている。フィオナが、この申し出に、涙を流して感謝すると、本気で思っているのだ。
その傲慢極まりない言葉に、グレイグの後ろにいた騎士たちが、侮辱されたように剣の柄に手をかけた。しかし、グレイグは、それを手で制した。
彼は、哀れなものを見るかのような目で、ヴァレリウスを見つめると、静かに言った。
「その言葉、確かに、我が主にお伝えしよう。……だが、覚悟されるがいい。貴殿が今、どれほど愚かで、取り返しのつかない発言をしたのかを、その身をもって知ることになるだろう」
グレイグは、部下の一人に目配せした。騎士は、すぐに集落の中心部へと馬を走らせる。
ヴァレリウスは、まだ気づいていない。
自分たちが、許しを与えるために来たのではない。許しを乞うために、この地に立っているのだということに。
そして、その許しを与えるかどうかの決定権は、全て、自分たちが「無能」と蔑み、捨てた、一人の女の手に握られているということを。
審判の時が、刻一刻と近づいていた。




