第十七話:開拓者たちと、空っぽの玉座
グレイグがフィオナに忠誠を誓ってから、三ヶ月が過ぎた。
呪われた荒れ地は、その姿を劇的に変えようとしていた。
グレイグの元を慕い、王国を見限った十数名の騎士たちが、彼の後を追ってこの地にたどり着いたのだ。彼らは、目の前の光景に最初は愕然としながらも、フィオナの知識とグレイグの統率力、そして何より、この土地が秘める可能性に触れ、新たな開拓者となることを決意した。
フィオナが「オアシス」と名付けた洞窟周辺の集落は、今や小さな村の様相を呈していた。
騎士たちの労働力によって、畑は大きく広げられ、陽の実だけでなく、フィオナが改良した数種類の野菜が力強く育っている。
フィオナが設計し、騎士たちが建てた簡素な家々が立ち並び、魔導鉄で作られた頑丈な防壁が、集落の周りを囲んでいた。中央には、フィオナが作った炉を使った鍛冶場があり、日夜、道具や武具を改良する音が響いている。
フィオナは、もはや汚れた令嬢ではなかった。彼女は、この集落の頭脳であり、心臓だった。作業着を身につけ、泥にまみれながらも、的確な指示を騎士たちに与える。その姿には、誰もが自然と頭を垂れる、不思議なカリスマ性が備わっていた。
「フィオナ様! 用水路の第二区画、完成しました!」
「ご苦労さま。次は、あちらの岩盤を崩して、土壌に混ぜるための石灰岩を採掘してください。配合は、私が指示します」
彼女の言葉は、絶対だ。騎士たちは、当初は半信半疑だった錬金術による土木作業に、今では全幅の信頼を寄せている。
ノクトも、すっかり元気を取り戻していた。彼の脇腹の傷は、フィオナが作った特製の軟膏のおかげで、ほぼ完治している。日中は、集落の周りを悠々と歩き回り、危険な魔獣が近づかないように縄張りを主張する、頼れる守護神となっていた。
誰もが、希望に満ちていた。死の大地を、自分たちの手で、楽園へと変えていく。その確かな手応えが、彼らを突き動かしていた。
その頃、栄華を誇ったはずの王国は、まるで砂上の楼閣のように、音を立てて崩れ始めていた。
「パンをよこせ!」「子供が飢えているんだ!」
王都では、食料価格の高騰に耐えかねた民による、暴動が頻発していた。地方の農村からの食料供給が、原因不明の凶作によって、激減しているのだ。その凶作の原因が、フィオナが供給していた、土壌を活性化させる特殊な肥料が途絶えたことにあると気づく者は、まだ誰もいない。
玉座に座る国王は、無能な大臣たちを怒鳴りつけるだけだった。
そして、全ての期待は、聖女セラへと集まっていた。
「セラよ! お前の祈りで、この飢饉をどうにかできぬのか!」
「は、はい、陛下! ただいま、天に祈りを……!」
追い詰められたセラは、一世一代の大芝居を打つ。
広場に民衆を集め、天に「雨乞いの祈り」を捧げるという儀式を執り行ったのだ。しかし、いくら彼女が涙ながらに祈っても、空は皮肉なほど青く澄み渡るばかり。
数時間後、一滴の雨も降らず、祈りの儀式は、民衆の嘲笑と怒号の中で、無残に失敗した。
「偽物の聖女だ!」「俺たちをもてあそびやがって!」
聖女への信仰は、この日を境に、地に落ちた。
ヴァレリウス公爵は、自室で頭を抱えていた。
もはや、全ての元凶が、自分が捨てたあの女にあることは、疑いようもなかった。しかし、今さら「私の判断が間違っていました。追放したフィオナを連れ戻してください」などと、口が裂けても言えるはずがない。
彼は、他の錬金術師たちを極秘に集め、フィオナが作っていた品の再現を命じたが、結果は惨憺たるものだった。
「不可能です、公爵様!」「これは、人間の成せる技ではございません!」
報告を聞くたびに、彼のプライドは、ずたずたに引き裂かれていった。
秋の初め。
フィオナたちの畑で、最初の収穫祭が行われた。採れたての野菜で作った温かいスープと、陽の実の果実酒。開拓者たちの、素朴で、しかし心からの笑顔が、焚き火の光に照らされている。
同じ日。
王都では、飢えた民衆が、ついに貴族の食料庫を襲撃する事件が発生した。
豊かな実りに笑い声が響く、呪われた荒れ地。
空っぽの食料庫を前に、怒号と悲鳴が渦巻く、祝福された王国。
二つの世界のコントラストは、あまりにも鮮やかに、そして残酷に、勝敗の行方を物語っていた。




