第十六話:騎士の誓いと、新たな決意
グレイグが頭を上げてからも、フィオナはしばらく彼を黙って見つめていた。手斧を握る手は、まだ力を緩めていない。
「……あなたの目的は何です? 私に同情して、王国へ連れ戻しに来たとでも言うのですか? だとしたら、お断りします」
フィオナの声は、氷のように冷たかった。一度捨てられた場所に、今さら戻る気など毛頭ない。
その言葉に、グレイグはかぶりを振った。
「いえ、そのようなおこがましいことを言うつもりは毛頭ございません。ただ、フィオナ様……いや、フィオナ殿。貴女が我々にとって、いかに重要な存在であったかを、我々はあまりにも愚かにも、失ってからようやく気付いたのです」
グレイグは、王国の惨状を、ありのままに語り始めた。
アールグレイ家の収入が激減し、貴族社会が混乱していること。宮廷の機能が麻痺し始めていること。そして何より、国境を守る騎士団が、装備の劣化と物資不足によって、崩壊の危機に瀕していること。
「全ては、貴女という、真の『至宝』を失ったからに他ならない。ヴァレリウス公爵も、アールグレイ伯爵も、未だにその事実から目を逸らし、責任のなすりつけ合いを続けている。このままでは、王国は、遠からず内から崩壊するでしょう」
その言葉に、フィオナの心は揺れた。
自分を虐げ、追放した者たちが苦しんでいると聞いても、当然の報いだとしか思えない。しかし、彼らの愚かさのせいで、名も知らぬ多くの兵士や、民が危険に晒されているという事実は、無視できなかった。
「……私に、どうしろと?」
フィオナの問いに、グレイグは膝をつき、再び深く頭を垂れた。
「フィオナ殿。私は、王国を捨て、貴女にお仕えしたい。このグレイグ・ノーマン、残りの生涯を懸けて、貴女の剣となり、盾となることをお誓い申し上げる」
「なっ……!?」
予想外の申し出に、フィオナは絶句した。騎士団長という名誉ある地位を捨てて、追放された自分に仕えるというのだ。
「正気ですか? 私は、もう何の身分もない、ただの追放者です。あなたに与えられるものなど、何もありません」
「いいえ、貴女にはある」
グレイグは、顔を上げて、真っ直ぐにフィオナの瞳を見つめた。
「貴女には、この死の大地を、人の住める場所に変えるほどの、圧倒的な知識と技術がある。そして、魔獣すら手懐ける、不思議な魅力がある。それは、王城の玉座に座る、どの王族よりも、遥かに尊い『王の器』です」
王の器。
その言葉は、今のフィオナには、あまりにも現実離れして聞こえた。
「私は、国を救いたい。だが、今の王国に、その価値はない。ならば、私は、新たな国を、新たな主君と共に、この地に築きたい。フィオナ殿、どうか、我々を見捨てないでいただきたい」
彼の瞳は、真剣だった。そこには、私利私欲も、偽りもない、ただ国と民を憂う、実直な騎士の魂が宿っていた。
フィオナは、答えに窮した。
隣では、ノクトが、心配そうに彼女の顔を覗き込んでいる。彼の呪いを解くという目的だけでも、手一杯だというのに。
しかし、同時に、フィオナの心の中に、新たな感情が芽生えているのも事実だった。
それは、屋根裏部屋で、ただ搾取されるだけだった頃には、決して感じることのなかった感情。
自分の力が、誰かの役に立つかもしれない。自分の知識と技術で、人々を救えるかもしれない。そして、この不毛の大地を、本当に人々の楽園に変えられるかもしれないという、壮大な野心。
フィオナは、静かに手斧を下ろした。
「……分かりました。今すぐ、あなたを家臣として受け入れることはできません。ですが、あなたの力を借りることは、やぶさかではありません」
「おお……!」
「ただし、条件があります。私は、王国には戻らない。そして、私のやり方で、この土地を開拓していく。あなたは、それに従ってもらいます」
それは、実質的に、彼の申し出を受け入れるという宣言だった。
グレイグの顔が、喜びに輝いた。
「はっ! この身、この剣、全てを貴女のために!」
彼は、高らかに誓った。
この日、フィオナの「国造り」は、たった一人の騎士を最初の「民」として、静かにその第一歩を踏み出した。
呪われた荒れ地に灯った、小さな開拓の火は、今や、王国全体を巻き込む、巨大な燎原の火へと変わろうとしていた。フィオナ自身も、まだその運命の大きさに、気づいてはいなかった。




