第十四話:芽吹く命と、呪いの正体
ノクトが見つけてきた赤い果実――フィオナが「陽の実」と名付けたそれ――は、二人の生活に彩りを与えただけでなく、新たな可能性の扉を開いた。
「この種、もしかしたら……」
フィオナは、陽の実の種を注意深く取り出し、丹念に洗い、そして、洞窟の前に作った小さな畑に植えてみることにした。
この呪われた大地で、植物が育つ保証などどこにもない。だが、あの木が自生していたのなら、可能性はゼロではないはずだ。
彼女は、浄水装置で作った綺麗な水をたっぷりと与え、畑の土に、栄養素となる鉱物の粉末を独自の配合で混ぜ込んだ。それは、錬金術による土壌改良の試みだった。
それから数日、フィオナは毎日、祈るような気持ちで畑の様子を見守った。
そして、種を植えてから五日目の朝。信じられない光景が、彼女の目の前に広がっていた。
「……芽が、出てる」
乾いた土を押し分けて、小さな、しかし力強い緑色の双葉が顔を出していたのだ。
それは、この死の大地で、フィオナが自らの手で生み出した、最初の「命」だった。
「見て、ノクト! 芽が出たわ!」
フィオナは、駆け寄ってきたノクトに、喜びの声を上げた。ノクトも、その小さな双葉の周りの匂いをくんくんと嗅ぎ、嬉しそうに尻尾を振った。
この小さな芽は、フィオナに大きな自信を与えた。
土壌さえ改良すれば、この土地は、不毛の荒れ地から、豊かな農地に生まれ変わるかもしれない。自分たちの手で、この大地を緑で満たすことができるかもしれないのだ。
希望に胸を膨らませるフィオナだったが、その一方で、彼女はノクトの呪いについて、密かに研究を進めていた。
ノクトの額に触れた時に見た、あの断片的な記憶。炎に包まれた王宮。そして、額に黒い宝石を埋め込まれ、絶望する銀色の瞳の青年。
(あの宝石が、呪いの中核に違いないわ)
問題は、どうやってその呪いを解くかだ。
下手に手を出せば、ノクトの命に関わる危険性がある。呪いを解くには、まずその正体を正確に知る必要があった。
フィオナは、ノクトが眠っている間に、彼の体から抜け落ちた毛や、傷口の手当ての際に付着した血液を少量採取した。それらを、錬金術で精製した試薬と反応させ、呪いの成分を分析していく。
それは、屋根裏部屋で薬を作っていた頃よりも、遥かに高度で、精密な作業だった。しかし、今のフィオナには、誰にも邪魔されない時間と、この荒れ地がもたらす豊富な資源があった。
分析の結果、驚くべき事実が判明した。
ノクトを蝕む呪いは、単一のものではなかったのだ。
「……これは、二重の呪い(デュアル・カース)?」
一つは、彼の肉体を魔獣の姿に変え、理性を奪う「変身の呪い」。
そしてもう一つが、より悪質で、彼の生命力そのものを蝕み続ける「魂蝕の呪い」。
額の宝石は、この二つの呪いを繋ぎ止め、彼の魂に深く根を張らせるための、楔の役割を果たしているようだった。
「なんて、悪趣味な……」
フィオナは、その呪いをかけた術師の、底知れない悪意に身震いした。これは、ただ殺すためだけの呪いではない。相手に最大限の苦しみと絶望を与え、その魂ごと弄ぶための、外道の術だ。
呪いを解くには、二つの呪いを同時に、かつ寸分の狂いもなく無効化しなければならない。少しでもバランスが崩れれば、彼の魂は呪いの奔流に飲み込まれ、二度と人の形には戻れないだろう。
絶望的なほどの難題。
しかし、フィオナの瞳には、諦めの色ではなく、むしろ闘志の炎が燃え上がっていた。
(必ず、方法はあるはず)
彼女は、洞窟の壁に、複雑な錬金術式と、考えうる限りの解呪のプロセスを書き込み始めた。それは、一人の錬金術師が、強大な悪意に立ち向かうための、壮大な戦いの設計図だった。
その夜、フィオナは、穏やかに眠るノクトの寝顔を見つめながら、静かに誓った。
(待っていて、ノクト。私が必ず、あなたを人間の姿に戻してみせる。そして、あなたから全てを奪った奴らに、必ず報いを受けさせてあげるから)
彼女の灰色の瞳は、もはや地味な令嬢のものではなかった。それは、大切なものを守るためならば、神にすら挑む覚悟を決めた、一人の戦士の瞳だった。




