第十三話:軋む王国、後悔の足音
フィオナが呪われた荒れ地で着実に生命の基盤を築いている頃、王国では、不協和音が日増しに大きくなっていた。
「伯爵! いったいどうなっているのです! 今月も、約束の回復薬が一つも納品されておりませんぞ!」
「ギルドに卸すはずの万能軟膏もです! これでは、我が商会は信用を失ってしまいます!」
アールグレイ伯爵の屋敷には、連日、取引先の商人や貴族たちが詰めかけ、怒号を響かせていた。
伯爵は「生産が追いつかぬだけで、すぐに元に戻る」と虚勢を張ってはいるものの、その顔は日に日にやつれていった。屋敷の錬金術師たちにどれだけ金と材料を注ぎ込んでも、フィオナが作っていた品の品質には、遠く及ばないのだ。
ついに、伯爵家の収入は、フィオナがいた頃の二十分の一以下にまで落ち込んだ。
華やかなドレスや宝飾品を買い漁っていた夫人の浪費癖も、もはや許される状況ではない。セラとヴァレリウス公爵の盛大な婚約披露宴の費用すら、捻出できるか怪しくなっていた。
「お父様、わたくしの婚約披露宴は、王国一のものにしてくださると約束したではございませんか!」
「うるさい! 金がないと言っているだろう!」
セラからのヒステリックな要求に、父が怒鳴り返す。かつての栄華は見る影もなく、アールグレイ家は、不満と焦燥感が渦巻く、冷え切った場所へと変わり果てていた。
その影響は、国の中枢にも暗い影を落とし始めていた。
北の国境を守る騎士団から、緊急の報告がヴァレリウス公爵の元へと届いた。
「報告します! 先日の小競り合いにて、防具の劣化が原因で多数の負傷者が出ました! 支給される回復薬も粗悪品ばかりで、兵士たちの士気は地に落ちております!」
ヴァレリウスは、その報告書を苛立たしげに握りつぶした。
たかが辺境の蛮族との小競り合いでの、惨敗。公爵家の名誉に、泥を塗る結果だった。
「アールグレイ家の怠慢か……! あの強欲な伯爵め、金を惜しんでいるに違いない!」
彼は、全ての原因を婚約者の実家にあると信じて疑わなかった。無能なフィオナを切り捨て、聖女セラを手に入れた自分の判断は、完璧だったはずだ。どこにも間違いなどあるはずがない。
しかし、彼の心の片隅で、小さな疑念が芽生え始めていた。
奇妙なのだ。
国のあらゆる場所で起きている、原因不明の品質低下。その全てが、まるで示し合わせたかのように、あの女――フィオナを追放した直後から始まっている。
まさか。ありえない。
あの地味で、何の取り柄もなかった女に、このようなことができるはずがない。
ヴァレリウスは、頭を振って疑念を打ち消した。
その夜、彼は古い記録を保管する書庫にいた。過去数年間の、アールグレイ家からの納品記録を調べていたのだ。記録上、全ての品はアールグレイ伯爵の名で納められている。そこに、フィオナの名前はない。
だが、彼は一つの奇妙な事実に気づいた。
五年前、フィオナが貴族学院を卒業し、屋敷の屋根裏部屋に引きこもるようになった時期。その時期を境に、「アールグレイ家の秘薬」の品質と生産量が、劇的に向上しているのだ。
そして、全ての供給が止まったのは、三ヶ月前。
フィオナを、呪われた荒れ地へと追放した、あの日。
偶然だ。そう思うには、あまりにも出来すぎている。
ヴァレリウスの背筋を、ぞっとするような冷たい汗が伝った。
もし、万が一。
国を裏から支えていた、あの高度な錬金術の才能の主が。
自分が「無能」と断じ、屑のように捨てた、あの女だったとしたら――?
ヴァレリウスは、自分の犯した過ちの、あまりの巨大さに気づきかけていた。
しかし、今さら後戻りはできない。彼は、震える手で記録を閉じると、何事もなかったかのように書庫を後にした。
後悔の足音が、すぐ背後まで迫ってきている。
だが、彼はまだ、その音から耳を塞ぎ続けることしかできなかった。




