第十二話:錬成、生活の基盤
フィオナの日常は、日を追うごとに「サバイバル」から「生活」へとその姿を変えていった。
きっかけは、あの黒い鉱石――フィオナが仮に「魔導鉄」と名付けた金属――の発見だった。
手斧の成功に自信をつけた彼女は、次々と新しい道具の錬成に取り掛かった。
まずは、鍬とシャベル。
これまで石で掘っていたのが嘘のように、土を掘る作業が格段に楽になった。水場までの道を整備し、雨水を効率的に溜めるための溝を掘る。洞窟の周りの地面を耕し、いつか何かを育てるための、ささやかな畑の原型を作り始めた。
次に、鍋とナイフ。
火で炙るだけだった調理法に、「煮る」と「切る」という選択肢が加わった。根菜を煮込んだスープは、塩気こそないものの、素材の味が染み出した優しい味わいで、フィオナとノクトの胃を温かく満たした。ナイフは、素材の加工精度を格段に向上させ、より複雑な道具作りを可能にした。
そして、フィオナはついに、彼女の知識と技術の真骨頂ともいえるものの製作に取り掛かる。
それは、簡易的な「浄水装置」だった。
これまでのろ過装置は、泥や砂を取り除くだけで、水に溶け込んだ微細な不純物や、この土地特有の有害なアルカリ成分までは除去しきれていなかった。
フィオナは、まず魔導鉄を錬成して、大きな桶を二つ作った。一つ目の桶に汲んだ水を入れ、そこに、砕いた特定の岩石(ゼオライトに似た性質を持つ)を投入する。これで、水中の重金属や有害物質を吸着させる。
次に、その水を、木炭を敷き詰めた別の桶へと移す。木炭は、燃焼温度を調整して作った、多孔質の高品質なものだ。これが、残った臭いや不純物をさらに吸着する。
仕上げに、フィオナは浄化槽に手をかざし、ごく微量の魔力を流し込んだ。これは、一種の殺菌処理だった。魔力によって水分子をわずかに振動させ、雑菌の繁殖を抑制する。
そうして出来上がった水は、これまでの濁った水とは比べ物にならないほど、澄み切っていた。
フィオナがそれを口に含むと、雑味のない、まろやかな水の味がした。
「……できたわ、ノクト。本当の、飲める水よ」
フィオナは、その水をノクトにも分け与えた。ノクトは、その水の味の違いが分かったのか、嬉しそうに喉を鳴らした。
生活の基盤である「水」が安定したことで、フィオナの心には、さらなる余裕が生まれた。
彼女は、洞窟の壁に、道具作りの設計図や、この土地で見つけた鉱石や植物の性質などを、炭で書き込み始めた。それは、彼女だけの研究ノートであり、この荒れ地を開拓していくための、未来への設計図だった。
日々の労働は楽ではなかったが、フィオナの顔には、屋根裏部屋で過ごしていた頃にはなかった、生き生きとした輝きがあった。
自分の知識が、技術が、一つひとつ形になっていく。それが、誰かに搾取されるためではなく、自分と、大切な相棒の「生」に直結している。その手応えが、何よりの喜びだった。
一方、ノクトの傷も、質の良い水を飲み、栄養のある食事を摂るようになったことで、目に見えて回復していった。時折、自力で立ち上がり、洞窟の周りをゆっくりと歩き回れるまでになった。
ある晴れた日、フィオナが畑を耕していると、ノクトが口に何かを咥えて、彼女の元へやってきた。
それは、鮮やかな赤い果実だった。この荒れ地では見たこともない、瑞々しい果実。
「ノクト、これ、どこで見つけたの?」
ノクトは、「ついてこい」とでも言うように、フィオナを促して歩き出した。
彼の後に続いていくと、岩場の影に隠れるようにして、一本の奇妙な木が生えているのを見つけた。黒い幹に、赤い果実。それは、この呪われた大地が、初めて二人に見せた、優しさの欠片のようだった。
フィオナは、その果実を一つ手に取り、ノクトと分け合って食べた。
甘酸っぱい味が、口いっぱいに広がる。
それは、絶望の大地で見つけた、ささやかで、しかし確かな希望の味だった。
二人の開拓生活は、まだ始まったばかりだ。




