双子の桜(2)
「やだ、咲さま! 殿方からの贈り物……、それも長からの贈り物を、憐みの所為だなんて思っちゃ駄目ですよう! これはれっきとした好意! そうに決まってます!」
なんて言ったって、朧に名をくださる咲さまのおやさしさに、感銘を受けられたのだわ!
なとど、スズが興奮している。それとは反対に、襖の外に控えていると思しきハチの声が、部屋に届いた。
「スズ。お前が長と咲さまの間に、なんの浪漫を感じているか知らないが、咲さまは人の里に帰られるお方だぞ。長だって、そのあたりはお分かりになっていらっしゃるんじゃないのか。俺たちは、咲さまの逗留中になんのご不便もないよう心を尽くすだけの役割で、勝手にお二人の関係を想像して良いってもんじゃない」
ハチの冷静な言葉に、咲も我に返ることが出来た。そうだよね、ここに居られる期間は限られているわけだし、そもそも違う種族の生き物。千牙がなにかを想って桜をくれたなどと、思っちゃ駄目だよね。
咲がそう思う中、スズはハチの言葉に不満のようだった。ハチは乙女心を分かってない、とか、長が執務室から頻繁に出てくるなんて、珍しいことだって小夜さんが言ってたんだから、などと、ぶつぶつ言っている。そうなると咲としては、スズを宥めるしか他なく……。
「スズ。私は大鬼の前で命が途切れるところを、千牙さんに救って頂いただけで、もうそれ以外は何もいらないの。もし、次に行く邑が、破妖の力とは関係のない邑だったら、無能の私でも穏やかに生きていけるかもしれないでしょう? だから、その未来が来るまでの間、少しだけハチやスズと仲良く出来たら、それだけで私は満足よ」
にこりと微笑むと、スズは、咲さまぁ~、と涙ぐんで、ぎゅっと咲に抱き付いてきた。
「わたし、咲さまとお別れしたくないですぅ~……。咲さまが、ずっとこの里に居て下さればいいのに……」
「スズがそう思ってくれた、っていう事実だけで、私、これからを生きていけるわ」
スズの背を撫でながら、咲は言う。でもこれが千牙だったら、自分はどう思っただろう、などと言うことをふと思ってしまって、咲はその思考を否定するのに苦労した。
執務室で、千牙は小夜と向かい合わせになって、難しい顔をしていた。
「いかがなさいますか、長。あの人間ども、一度、厳しくしつけてやらねばならないと思いますが」
「うむ……。それは考えてはいるが……」
千牙は悩んでいた。先ごろから、咲の邑の邑人たちが、結界の域をひろげようと画策している。その行為は古の協定に違反するもので、人妖の世界を統べる千牙が均衡を保つ努力をしなければならない。しかし……。
「市子たちが力を失えば、欲に憑かれたあの邑での行き場がなくなり、路頭に迷うだろう。最悪、結界の外に追い出されたら、私にはもう庇い立てが出来ぬ」
「なにをお迷いになられます。彼らには既に、無為に滅されたあやかしが幾体もいるではありませんか。命をもって命を償う。どの世界にも、通用することかと」
小夜の言うことは正しい。市子たちが我欲の為に境界を拡大し、邑の面積を増やしてきたのは事実だし、その度に弱きあやかしが犠牲となってきた。均衡を破って来たのは向こうだ。裁きを受けるのも、しかりと言うべきだろう。しかし。
(咲にとって、市子たちは肉親……。私たちの考えの及ばぬところで、彼女は市子たちに対する想いがある筈……)
朧たちに言祝ぎの名をつけた咲。おそらく自分の名をその意味でつけてくれた親にも、なににも代えがたい気持ちがある筈。
「いま一度、熟慮する。下がれ」
千牙の言葉に、小夜は、御意、とこうべを垂れた。障子窓の外の、桜の木がさわりと揺れた。
夜、咲は千牙に伴われて、今日も境界に生まれる朧の名づけに来ていた。千牙の力によってその場に顕現した朧たちを前に、千牙は咲に問うた。
「咲。おぬしの大事なものとは、なんだ」
急に問われた咲は、一瞬虚を突かれ、即座に返事を返せなかった。
「だいじな、もの……」
「うむ。これだけ毎日、朧の顕現に尽力してくれているおぬしに、出来れば悲嘆なきよう、努めたい」
厳しい面持ちの千牙から、どこか緊張感を感じた。
「……なにか、起こるのですか……? よくないことが……?」
咲はサッと顔を青ざめさせた。咲の気持ちを慮ってくれるということは、今の平穏が未来までない、と言うことを意味するのだろう。おそらく、咲が心を寄せるどこかで、それが崩れて行こうとしているのだ。
しかし、自分に口を出す権利はないのだ。ここはあやかしの里。異種である自分が追いやられるのも道理だし、先程聞いた『境界の際で……』という言葉が今の千牙の言葉に掛かってくるのなら、それは人とあやかしの両者を調停する千牙の権限に従うべきだ。そもそもほとんどだれにも頼れず生きてきた。自分の行く末なら自分で責任が持てるし、千牙が決めたことなら、それを粛々と行えばいいと思う。
「私の大事なものなど、どうでもいいのです。ひとりの人間の『大事』と、人妖界の調停を司る千牙さんの抱える『大事』では、重さが違います。どうか、千牙さんの『大事』を優先してください」
微笑みながら応えた時、咲は決めた。いっときのやすらぎをくれた、この人やスズやハチたちが、このあとの永い時間、幸せで居られるよう、自分は霞のようにこの里から消えた方がいいのだと。咲が応えたあとも、千牙は難しい顔をして、口を引き結んでいた。やや黙っていると、やがて、はあ、と、大きなため息をつかれた。
「……おぬしは本当に、望みを口にしない。おぬしの望みひとつを叶えることで、私の心が安らぐとは、思わないのか」
やや脅しに聞こえるが、普段平静な千牙らしくなく眉宇が揺れて、それが本意ではないと示していた。本意でないことを咲に付きつけて、どうしたいのか。望みを叶えれば、千牙は咲から解放される。その結果を得たいのだと咲は気付き、背筋を正して言葉を発した。
「では、望みを……。……千牙さんがこの先、とこしえに幸せであるよう、……私を人の里に降ろしてください」
千牙は朧と自身の恩人である咲を、恩を付きとおすがために自ら突き放せない。であれば、咲から退くしかない。永遠の春なんてない。春を知れば、やがて夏が来て、時は移ろっていく。それが咲の時間だ。千牙の時間とは違う。交わって良い時間軸ではなかった。何気なく朧たちに名をつけたばっかりに……!
(こんなに安寧な幸せを得てしまったあとなんて、何処へ行っても私には同じ……)
居場所を得た。役割を得た。その中で、やさしさを得た。水を得た心には、ただ一人へと向かって咲き誇る花があった。でも、もうそれもおしまい。違う世界へと降りて、もう二度と会えない。会わなければ心は再び干からびて、やがて花は枯れるだろう。そうしてそうして、人の世界で生きていく。命を救ってもらった時から、決まってしまっていたことだった。咲の言葉を受けて、千牙はわずかの瞑目ののち、承った、と小さく呟いた。とこしえの春の世界で、木枯らしが吹いたように感じた。




