鬼神の里(3)
「か、顔を上げてください……! 千牙さんは何も悪いことをしていません……っ。私に『辛かったか』と気遣ってくださっただけで、十分なんです……っ。ハチやスズが人寄り過ぎるのだと思います……っ」
焦る咲に、千牙は顔を上げると、ふわりと笑みを見せた。……思いもよらない反応に、どきりとする。
「人から見て、人を食うあやかしは憎き存在であると思うのだが、咲はそのように思わないのだな」
「だって、千牙さんは何も悪いことしてませんよ、少なくとも私に対して……。邑から追い出されて、行く当てもない私に、期限付きですけど居場所を下さって……。いえ、期限はつけるべきだと思いますけど……」
人とあやかしは違う種類の存在だ。おにかみの里から見てみれば、異物混入の扱いをされてもおかしくないのに。
「すまぬな。終の棲家としては、おぬしにとってここの里は相応しくない故。ところで、咲。今から少し、出られるか」
すっと立ち上がった千牙を、慌てて追って立ち上がる。夜着だったため、スズが羽織を掛けてくれた。
「里と邑の際まで行く。朧が生まれるのは、主に夜だからな」
千牙の言葉を、咲は意外な気持ちで聞いた。咲は朧と昼にしか会っておらず、スズやハチもそのようにして出会った。
「『主に夜』なのには、理由があるんですか?」
「人が思案に暮れるのは、夜が多い故」
屋敷を出た千牙はそう言うと、咲を抱きかかえて、ひょいっと空を飛んだ。
「きゃっ!」
咲は驚きで千牙の袷にしがみつき、はっと我に返って、身を離した。千牙のひと蹴りで、里の屋敷や、他のあやかしたちの住まいの灯りが光の粒ほどに小さくなる。夜の空気を駆けて、咲は千牙と出会った場所に運ばれた。咲にも分かる邑の結界の際で、結界と地面の接地面から、淡い光の粒が、ポコポコと浮かび上がっていた。まるで、地上から星が生まれ、天に昇っていくようだ。
「きれい……」
咲が光の浮遊に見とれて呟くと、呑気にしている暇はないぞ、と千牙が厳しい目で言った。
「これらに、名をつけてもらわねばならない。名を得た朧は、私が器を与えてこの場に顕現できるようになる。顕現出来れば、悪鬼になることがなくなるのだが……」
名を得て、朧が顕現する。その様子を咲は、ハチやスズの実体化と言う事象として実際に体験している。顕現することによって、どうなるのか、顕現できなかったら、どうなるのか、と言うことについては知識がなかったが、今の千牙の言葉でおのずと知れた。
「では、朧たち。あなたがたを、こう呼びましょう。ミノリ、ナギ、チヨ、アズサ……」
咲が光の粒ひとつひとつを指さし、名を呼んでいくと、光の粒がゆうらりと地上に降りてその場に留まり、その光の粒に千牙が手をかざすことで人型を取っていく。光を放つ透けた人型が、みるみるうちに光を手放し、質感のある人型の朧となる。こうなるともう、見た目は人間だ。
「ユキ、アカツキ、ヒナ、リク……」
浮き上がろうとしていた光の粒が、どんどん地上に集まってくる。千牙がもれなくそれらに人型を与えていく。
「シロガネ、ムツミ、タイラ、ヒジリ……」
発生していた全ての朧に名をつけ終わり、千牙が器を与えきると、その場には幼い子供の成りをした朧がずらりと揃った。彼らはきらきらした目で咲を見ている。みな、生を受けて喜びを隠しきれない子供の顔をしていた。
「見事だな、咲。一気にこれだけの数の朧を顕現とは。しかも全て、彼らを慶する名だな」
「母には、素敵な名前を付けてもらいました。私は長女だったので、両親の期待のもと、破妖の力が満開に花開くようにと、『咲』と名付けられたんです。……期待に沿えなくて、申し訳ないばかりでしたが……」
だから、自分の分も朧たちには幸せになって欲しかった。朧たちが、名を得ることで良き生を生きられるならと、そう願って付けたのだ。
「君のような考え方は新鮮だな。私は朧に名を与えてくれとは言ったが、名に言祝ぎを与えてくれとは言わなかった」
おかしなことを言う。名をつけるとはつまり、その相手の未来を祈ること。幸多からんと祈らないなんて、聞いたこともない。
咲がそう言うと、千牙が口端を歪めて目を伏せた。
「……そうか、名をつけるとは、そう言う意味があるのだな……」
「千牙さん……?」
わずかに寂しそうな千牙の表情が目に焼き付く。……そういえば、『千牙』とは、どういう意味をもってつけられたのだろうか。
「……あやかしの人たちの名前は、どなたが付けているのですか?」
朧たちは名を持たないと言った。では、千牙をはじめ、『朧ではないあやかし』は違うのだろう。だとしたら、誰が付けているのだろうか。咲の素直な疑問に、千牙はちゃんと答えてくれる。
「あやかしは生まれた時から名を持つ。朧のような弱いあやかしは名を持つことが出来ぬが、力が備わっていれば、その力を制御すべく、名を内包して生まれてくる」
「そうなんですね……。人間とは全然違う……」
「そうだな、だから、その者の未来を祝する彼らの名は、彼らにとっても喜びだろう。良い名を、ありがとう。咲」
微笑んで千牙がそう言うものだから、咲は戸惑いつつも、照れて頭を描いた。そんな大層なことをしたとは思っていないからだ。
「じゃあ、千牙さんのお名前は、どういう力を制御するために持って生まれたんですか?」
何気ない疑問だった。千の牙、の名は、なにを意味するのだろうと。すると、咲の問いに、問いで応えられた。
「では咲はどんな意味だと思う。言葉の意味を色々知っている咲なら、分かるのではないか?」
どんな名とは……。強そう、とは思うが……。
「『強い力をもって、おにかみの里を護るものたれ』……、とかいう感じですか……?」
漢字の雰囲気で応じると、千牙は、なるほど、と感心したように目を瞠った。
「咲の口から出てくる名は、全部美しいな。私の名が、そういう意味だったらよかっただろうと思うよ」
では、違うということだ。まあ、あやかしの力を制御する名前なんて、咲には見当もつかないから、当たらなくて当然だ。
「じゃあ、どんな意味なんですか? なぞかけをしたら、仕掛けた人は、答えを教えてくれるべきだと思いますが……」
咲が言うと、千牙はそういうものか、と言って、口許を歪めながら、こう応えた。
「私のもとの名は別にある。この名は、私が人とあやかしの間を調停する者としてその責を任じられた時に、神々から与えられたものだ」
「与えられたもの……」
命名、みたいなものだろうか。咲が考えていると、人と違ってな、と前置きをして千牙は更に続けた。




