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放置されたい私と何も知らない旦那様  作者: 鉤咲蓮
一章 病弱(?)令嬢マリアンネ・フランセン
5/9

5.聞いてしまった内緒話




 今夜も料理屋キーヴィットは忙しい。


「シーラちゃん、これ七番テーブルでそっちは二番ね!」

「はいっおかみさん!」

「すみません、注文いいですかー」

「はいはい、ただいま!」


 人々の笑顔、カトラリーの音、楽しそうな話し声に、木製ジョッキをカンとぶつけ合う姿。

 新たな料理が運ばれれば食欲をそそる香りが漂い、野菜でも炒め合わせているのか、厨房からはジュワッと小気味良い油の音が聞こえて、客はますます腹が減って「もう一品」と追加を頼む。


 紺色の髪を団子にまとめ上げ、簡素な服の上からエプロンをつけたマリアンネはくるくると働いていた。

 しばらく留守にしていたせいだろう、時々しか来ない客の中には今だに「戻ってたのか」と驚き、挨拶してくれる者もいる。多くの人との縁を嬉しく思いながら、マリアンネは笑顔で働いていた。


「お疲れ様、シーラちゃん!ひと段落ついたから、あんたもまかない食べちゃいな。」

「はーい、ありがたく戴くわね。」

 晩飯どきのピークを過ぎれば客足は少し落ち着いて、酒場として利用する客の割合が増えて来るものだ。

 手早くエプロンを解き、マリアンネはカウンター席の一番隅に腰掛けた。休憩の時にそこを利用するのはいつもの事なので、店主も初めからわかっていた様子で料理皿を渡す。


「ああ、美味しそう。早速いただきます!」

「おう、召し上がれ!」

 本日のまかないメニューは赤魔牛のワイン煮込み、ライス付きだ。

 目をきらきらさせるマリアンネに店主も満足そうである。


「昨日騎士団が何頭か討ち取ったものを仕入れてね、充分な量があるんだ。」

「何頭も出たの?それじゃ、今頃ブロウスさん達が張り切ってるわね。」

「ははっ、そうだろうなぁ。」

 ブロウスはゼイルの街に住む毛皮職人だ。

 赤魔牛は顔の前面と脚以外が茶褐色の毛に覆われており、保温性が高い上に処理をすれば毛も柔らかくなるので、加工品は冬場に重宝する。

 鮮やかな赤色の角は削って粉にすれば薬の材料、肉は臭みに気を付ければ充分おいしく食べる事ができ、骨は部位によって強度が少し違うので用途が異なるのだ。


 ――こういう魔物の素材を安く新鮮に仕入れられるのは、ゼイルの特権ね。


 濃厚なソースをスプーン一杯とろりとライスにかけ、切り分けた肉のひとかけと共に口に入れる。

 ふわっと広がる香り、柔らかい肉を噛めば溢れ出る旨味。とろりと幸せそうに頬を緩め、マリアンネはむぐむぐと味わって咀嚼した。


 魔物料理自体はそう珍しくもないが、強い魔物のそれとなれば王都では高級品だ。

 赤魔牛は二メートルを超える魔物で体重は数百キロあり、突進攻撃は人間が作った家屋など容易く壊してしまう。

 生息地域は大まか限られているが、それ以外の山岳地帯でも稀に出現し、備えのない村が下手に刺激すると甚大な被害を伴う魔物だ。


 ゼイルの街はどうかといえば、魔物が出るからこその騎士団だ。安全は担保されている。

 討伐のために他の街から魔物狩り(ハンター)を呼び、依頼して、報酬を払う――という出費もなければ、素材が料理人や職人の手に渡るまでが短く、運送の経費や時間もかからない。


「ああ~…、おいしい……っ!」

 店主は作業に戻っているし、おかみさんは客の注文をとっている。

 多少落ち着いたとはいえがやがや賑わう店内で、マリアンネの独り言を聞いた者はいなかった。ただ遠目からチラチラ彼女を見ていた男達は、そのうっとりした表情に「今日も美人だなぁ」と頷き合う。


 シーラは今や料理屋キーヴィットの看板娘であり、皆の癒しなのだ。

 流れ者が軽い気持ちで下世話な話を持ちかけようものなら、店の客全員に睨まれおかみさんに叩かれ、客として来ていた騎士に引きずり出されるだろう。私服で酒を飲み笑っていたら、新参者にはそれが騎士だと見抜けないものだ。


「なぁ聞いたか?最近街に出入りしてる男どものこと。」

「ああ……領主様の奥方が、自分の相手させるために呼んだ奴らだったって話だろ?」

「…けど、ピシッと背筋伸ばしてお堅そうな夫人だったじゃないか。最後に見たのも随分前だが」

「案外、旦那が病に臥せったのを良い事に本性を現したんじゃないか。ほら、領主様が外でお子を作ったって噂があったろう」

「もしお互い愛人持ちだとしたら、貴族ってのはわからんもんだねぇ……。」


 近いテーブル席の会話が聞こえてきて、マリアンネは少々ぎくりとする。

 愛人の存在など貴族社会ではそう珍しくもないが、あのロッテが「断言させていただきますが」と前置きするくらいだ。

 マリアンネの夫であるユリウスの為人は――少なくとも妹のロッテにとって――そちらの懸念は一切ないのだろう。


 ――状況的に疑って然るべきとはいえ、あれは私が軽率だったわね。こちらの態度をはっきりさせた方が良いと思ったけれど、もう少し情報が揃ってからにすべきだった……失礼な事を言ってしまったわ。


 付け合わせの野菜にフォークを刺して口元へ運びながら、小さく息を吐く。

 マリアンネはユリウスに愛人がいたって構わないし、愛人との子供を後継ぎにしたいと言われても構わない。反対にユリウスが帰ってきて、毎日顔を合わせる事になっても構わない。

 夜、こうしてゼイルの街へ来る事を許可してくれるのならば。


 ――なんて。実際のところ……ユリウス様が帰ってきてしまったら、夜に一人で出歩くなんて許されるはずもないけれど。


 貴婦人が平民の格好をして、男達が飲み食いする料理屋で働く。

 そんなのは、本来あってはならない事だ。


 護衛の手が届かない。

 平民の真似事をして酔狂だと笑われる。

 子ができた時に父親を疑われる。

 今はプリスカしか知らない事とはいえ、「愛人がいる」と疑われても仕方ない事をしているのはマリアンネも同じだった。


 ――だからこそ、このまま長く私を放置してほしいわね。


「ご馳走様でした!今日も本当に美味しかったわ」

「はいよっ!お前さんはいつもそう言ってくれるから、嬉しいねぇ。」

「ふふ、だって本当のことだもの。」

 笑いながら食器をカウンター越しに店主へ渡し、仕事に戻ろうと立ち上がる。

 エプロンを手に振り向けば、ちょうどこちらを見やったらしい、離れた席の男性と目が合った。


 低い位置で結んだ赤髪に日焼けした肌、右目の眼帯に鼻周りのそばかす。小隊長のレオンだ。

 マリアンネがまかないを味わっているうちに、いつの間にか部下を連れて入店していたらしい。にこりと笑って会釈すれば、レオンも緩く笑って頷いてくれた。


 カランカランと鳴ったのは店のドアベルだ。

 マリアンネは反射的にそちらを見やり、「いらっしゃいませ」と声をかける。走ってきたのかぜぇはぁと呼吸を整えているのは、時折この街にやってくる騎士だった。

 前髪を上げた茶髪は短く整っていて、背が高く体格もよく、左のこめかみには古い切り傷がある。


 ――確か、レオンさんの古い知り合いね。名前はディーデリックさん。


 同じテーブルに着くかもしれない、そう思いながら一歩近づいたが、マリアンネと目が合ったディーデリックは「ごめんな」という顔で両手を合わせ、すぐにレオンへと向き直った。

 どうもキーヴィットの客として来たわけではなく、彼を探しに来たらしい。


「悪いな、ちょっと今すぐツラ貸してくれるか?お前に相談がある。」

「……?わかった。」

 心当たりがないのか、軽く首を傾げつつもレオンは立ち上がった。

 一緒に来た部下達に断りを入れ、戻らない可能性があると思ったのだろう、テーブルに金を置き、ディーデリックに続いて店を出て行く。

 どうしたのだろうかとその背を見送り、マリアンネは今度こそ仕事に戻ろうとした。


「あっ!」

「何だ、どうした?」

 声を上げたのはレオンの部下達だ。

 飲み物を零したかカトラリーを落としたかと、マリアンネは「何かあったの?」と声をかけながらそちらへ向かった。


「いや、基地を出る時にエーヴェ隊長の鍵を借りたままでした!まずい、届け――」

 革製のケースを握り締めて立ち上がった騎士の手がジョッキにあたり、ひっくり返って彼のズボンを盛大に濡らした。まだ少ししか口をつけていなかったのだろう、零れた中身がびっしょりと大きな染みになっている。


「うわーっ!」

「何やってるんだ、お前!僕まで濡れたじゃないか!」

 騒ぐ騎士達を前に慌てず、騒がず。

 振り返ったマリアンネの視線の先で、おかみさんがおしぼりをポポイと三つ投げてくれた。こういう事はよくあるので、連携は慣れたものだ。

 危なげなくキャッチして、騎士達に一つずつと、残る一つでさっとテーブルを拭く。


「よければ、鍵は私が届けましょうか?」

「えっ!いいんですかシーラさん。」

「ああでも、レオンさんが戻らなかった時に貴方達が帰れないかしら?」

「…僕が自分のを持ってるので、それは問題ありません。こんな夜に、女性にお願いするのは申し訳ないですが。」

「大丈夫よ、すぐそこだもの。行ってくるわね」

 既に話の合間でおかみさんと目配せし、行ってよいと許可を貰っている。パッと行ってパッと帰れば何も問題ないだろう。

 レオンらしい柄も飾りもないキーケースを受け取って、マリアンネは夜の街へ出た。


 本来、騎士団にかかわる鍵など一時的にでも他人に預けてはならない。

 しかしマリアンネはレオンが来た去年よりも前からキーヴィットで働いているし、気心も知れていて、人前で堂々と鍵を受け取った上に、レオン達はまだ姿が見える位置にいるはずだ。

 だから渡されたという事は、マリアンネもわかっている。


「すぐ渡して戻らないと…」

 呟きながら通りを見回すと、ちょうど二人が建物の角を曲がっていった。

 基地に向かったわけでも、他の店に向かったわけでもなかったらしい。あと数秒遅ければ見失っていた。


 ――あの建物は空き家だし、奥には何もなかったはずだけど。


 結構な内緒話なのだとしたら、まずいタイミングにならないよう早めに渡してしまいたい。

 マリアンネは急いでそちらへ向かい、同じように空き家の角を曲がった。明かりがないのでだいぶ暗いけれど、通りからの光が一切届いていないわけでもない。

 星空からも光は放たれ、けれど薄暗く人気のない道は不気味だった。湿って少し柔らかい土を踏んで進む。


「…とは珍しいじゃないか。何があった」

「お前、本当……いいか、落ち着いて聞けよ!?本当、あの。わかんねぇんだけど!」

「お前が落ち着いた方がいいかもしれないな。」

 話し声が聞こえてきて、マリアンネは少し焦った。

 何かしらまずい事を聞いてしまう前に、声を出してこちらの存在を主張すべきかもしれない。


「レオンさ」

「結婚してんだよ!」

 ディーデリックの声に掻き消されてしまったようだ。

 しかし誰かの結婚なら、少なくとも騎士団の機密などではないのだろう。マリアンネはひとまずホッと胸を撫でおろし、二人がいるだろう建物の裏へ顔を出そうとした。


「そうか。おめでとう」

「俺じゃねぇ!」

「あのっ――」

「お前が結婚してるんだよ!!」

「「えっ?」」




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