19.そして聖火は青く燃え
ゼイルで火祭りが行われる今日、マリアンネは午前のうちからシーラの服に着替えていた。
普段は刺繍をしたり、伯爵夫人から教えを受ける時間帯だが、前々からこの日は休みにさせてほしいと伝えておいたのだ。
キーヴィットのランチタイムを手伝いたいという事もあるし、たまには昼のゼイルを歩きたい気持ちもあり、何より。
――自由に行ける、最後の火祭りになるかもしれないもの。
レオンに告げたように、来年はユリウスを連れて行くかもしれない。
あるいは護衛を必ずつけるように言われるか、最悪は、何かしらの事情でもう行けないかもしれない。
「【あなたは別の色が似合う】」
マリアンネの浅緑色の髪と瞳が紺色に染まる。
髪を櫛で整える侍女の姿を鏡越しに見やると、彼女はすぐ視線に気付いた。
「プリスカ。よければ貴女も一緒に来る?」
「嬉しいお誘いですが、よろしいのですか?扉の見張りは。」
マリアンネの固有魔法で空間を繋ぐには、幾つか条件がある。
たとえば繋ぐ先においては、扉を「開ける」段取りを踏む以上、その扉が「閉じている」必要があること。魔法を隠したいのであれば、扉を出入りする瞬間を見られないようにすることだ。
ゆえにプリスカはこれまで、マリアンネが出かける間ヴィンケル伯爵邸の自室に待機していた。
「私がゼイルに行っている間、この屋敷の方々は要望通りそっとしておいてくれたのでしょう?」
「ええ。声をかけられた事もありません」
「それにもう、私が開けられる扉はここだけじゃない。何かあっても戻って来られるわ」
扉繋ぎの魔法の対象にするためには、マリアンネ自身が一度でもその扉を開けていなければならない。
当初は自室の扉しか触れられなかったが、屋敷で過ごすうちに少しずつ、開けた事のある扉を増やしてきた。万が一自室の扉に戻れなくても、他の扉から戻る事ができる。
「ではお言葉に甘えて、ご同行させて頂きます。」
「同じ色だもの、聞かれたら親戚という事にしましょうか。名前は何がいい?」
「プリスカのままで構いません。」
「私の事はシーラと呼び捨てにするのよ?」
「お嬢様を呼び捨て……?いえ、確かにそうでなければおかしいですね。」
首を傾げながらも支度の早いプリスカは、マリアンネが気付いた時にはもう町娘の服装になっていた。
普段はくるりと巻いてバレッタで留めている長い髪も下ろし、低い位置で縛るだけの簡素なものにしている。
企むように目を細め、プリスカは口角を上げた。
「話に聞く小隊長様ともお会いできるでしょうか。楽しみです」
「どうかしら。騎士の方は大体がお仕事中だと思うし」
そんな話をしながら、二人は部屋の扉の前に立つ。
マリアンネが魔力をこめた手をかざした。
「【これはかの地へ通じる扉。開きましょう】」
かちりと、鍵が開く音がする。
これから王国史に残る大事件が起きる事など露知らず、マリアンネはいつも通りにドアノブへ手をかけた。
「こんにちは、シーラちゃん!」
「そっちの人はお姉さん?」
「後で寄ってくれよ、広場に店を出してるんだ。」
「火祭りだから早めに来たのかい?午後に領主様の奥方が来るらしいよ!」
キーヴィットに着くまでの間、シーラは街の人々に何度も声をかけられていた。
初めて会う「シーラの従姉」にさえ、皆が笑顔で挨拶する。プリスカが思っていた以上に、シーラは街で愛されているようだ。
――お嬢様が王都の貴族だと知っていたら、こうはいかないでしょう。
シーラの笑顔は品がありながらも素直で、貴族らしくはない。
街の人々は料理屋で働く姿も見ているのだから余計に、彼女が貴族だとは思いもしないだろう。
フランセン子爵家の娘として誇り高く生きている時間、シーラを名乗って心のままに生きている時間。
淑女そのものとして生きる二人の姉とは違う形で、マリアンネは切り替えを会得した。
人によっては腹芸で、人によっては演技で、人によっては言葉遊び。
時に探り合い騙し合いも必要になる貴族社会において、大事な能力だ。
――ユリウス・ヴィンケル様がお戻りになった時、お嬢様をどこまで公的な場に連れていくかは不明ですが。
マリアンネがユリウスにどこまで明かせるか、それもまた、今はまだ不明だ。
たとえどうなろうともプリスカはただ、マリアンネが笑顔でいられるように力を尽くす。それだけの事だった。
マリアンネがキーヴィットの看板を指し、「あそこよ」と足を早める。
二人が店の入り口に着くと、笑顔の女将が迎えてくれた。
「待ってたよ、シーラちゃん!早速入ってくれるかい?混むのが思ったより早くてねぇ」
「そうみたいね。もしよければ助っ人も連れてきたわ。従姉のプリスカよ」
「お邪魔でなければ、よろしくお願いします。」
「おやおや!大歓迎だよ、今日は眠璃猫の手だって借りたいんだ。」
ランチタイムにはまだ早いというのに、料理屋キーヴィットは既にいつもより賑わっている。
慣れた手つきでエプロンを締め、シーラはすぐに手伝い始めた。
プリスカも持ち前の高い能力を存分に発揮し、出来上がった料理をてきぱきと運び、状況によって皿洗いにテーブル拭き、注文の聞き取りに片付けにと活躍している。
そうして三時間ほど経った頃。
ピークも過ぎたし広場を見に行っておいでと、二人は女将によって半ば強引に店の外へ押し出された。せっかく連れてきた従姉と、ちゃんと楽しんできなさいという事らしい。
「確かに、もうすぐ広場で領主夫人の挨拶があるそうですよ。」
「そんな話も聞いたわね。どうせ広場に行くなら出店で何か買いましょうか。」
「お嬢様との買い食いも久々ですね。贅沢です」
早めに軽食をとったため、お腹が空いてつらい程ではなかったが、懸命に働いた二人は小腹が空いていた。
肉も野菜も甘いものも何だって見つかるだろう出店を目指す。
広場の中心では、装飾を施した木枠を組んだ中で聖火が大きく燃え盛っていた。
建物は明るい色の飾り布や魔物製の何やかやで飾り付けられ、北側に設けた舞台で楽隊が陽気な曲を奏でている。広場の端をぐるりとなぞるように、食べ物だけでなく小物や食器、道具類まで色んな出店が並んでいた。
勧められるままに三角豚の肉を挟んだサンドイッチを齧りながら、プリスカは周囲に不審者がいない事を確認する。
騎士服の者が数名ずつ点在している他、私服だが目の配り方が騎士だなと思う者もいくらかいた。この街にとって大事な祭りという事もあって、警備はそれなりに厳重であるらしい。
しかし騎士が対応するのは基本、荒事になりそうな場合だ。
軽薄なナンパ男に声をかけられた程度で、彼らが割り込んでくれるわけではない。
たとえ着飾って目立つような事がなくても、マリアンネは元々美しく愛らしい顔立ちである。どこかの馬の骨がそれに気付き、うっかり引き寄せられてしまう事も考えられた。
その場合は自分が相手の骨――否、心を折ってやろうと、プリスカは小さく頷いた。
「エーヴェ小隊長は、街の人からも人気が高いようですね。真面目な人だという声が多かったです」
「あの忙しい中でそんな聞き込みをしていたの?」
「シーラの友人がどんな人か興味があるのです。今日はせっかくの機会ですから。」
「なにも警戒する事はないのに。貴女、ガレトでリシェに会った時もあの子に詰め寄っていたでしょう。」
「詰め寄ってはいませんよ。高い位置から見下ろすのも失礼と思い、目線の高さを近付ける努力をしたまでです。」
しれっとそう返すプリスカの顔に悪びれた様子はない。
そんな過保護な面があるのにマリアンネが一人で出歩くのをよしとするのは、彼女自ら護身術を教え込んだ事と、何より、マリアンネにお願いされると最終的に折れてしまうからである。
「おっ。来てくれたのか、シーラ!」
「寄ってくれって言ったの貴方じゃない。もちろんお安くしてくれるんでしょ?」
「わはは、ちょっとだけな!どれにする?」
「柔林檎の蜜がけ一つと…赤馬菜はチョコソースで二つね。」
「はいよ!」
皿に載せて渡されたデザートをひとかじりしたところで、舞台の方からワッと拍手が聞こえてきた。
どうやら領主の妻――ヘンドリカ・メルテンス伯爵夫人が登壇したようだ。
「王国の平和を守る礎、誇り高き街、ゼイルの皆さん。昨年は訪れる事ができず、今年も私だけの訪問となってしまいましたが…」
夫人を見る民の目は多くが好意的で、一部は疑念と嫌悪、好奇心を露わにしている。
伯爵が臥せっているのに夫人は愛人と遊んでいる、そんな噂を知っているか、知らないか、信じているか、信じていないか、その違いだろう。
自然と舞台周りの人垣に近付きながら、シーラは紺色の瞳を伯爵夫人に向けた。
王都のマリアンネ・フランセンは茶会やパーティーにあまり出なかったし、王都に来る機会が多くないだろう夫人と挨拶を交わした覚えもない。プリスカの色変えの魔法で変装しているのだから猶更、同じ「貴族」の括りだろうと素性がバレる心配はなかった。
――…でも、何かしら。上手く言葉にできないけれど……変な笑い方。
夫が治らない嘆きを曝け出す事なく、夫人は薄く微笑んで仕事をこなしている。
その目が暗いような気がするのは、単に緊張して強張っているのか、疲れが滲んでしまっているのか。シーラが咀嚼していたものを飲み込んだところで、プリスカがぼそりと声をかけた。
「あそこにいる方がエーヴェ小隊長ですか?」
「…そうよ。よくわかったわね」
「赤髪で眼帯をつけている騎士という時点で、とても特徴のある方かと。」
それもそうかとシーラは思った。
舞台の周囲を固めているのは伯爵夫人や楽隊を護衛する役割で、レオンのように遠巻きに配置されているのは広場全体を警戒する役割といったところだろうか。
右目が眼帯で塞がっている彼は、左目だけで辺りを見回している。
――…何事も起きませんように。
レオンを見つめ、シーラは心の中で祈りを唱えた。
彼がとても強いらしい事は聞いている。強力な個体でも一人で倒してしまう、しかも固有魔法は発現しておらず素の実力だという。
それでも、大切な友人の身に危険が及ばないように。
目が合った。
つい驚いた顔をしてしまった気がして、シーラは「失礼だったかしら」と焦りながら軽く会釈する。仕事中の彼がそれを返す事はなかったが、ゆるりと一度瞬くだけの仕草に、プリスカの存在に対する疑問を感じ取った。
普段の彼なら首を傾げていたかもと、自然に口角が上がる。
――後で会えたら、従姉だって教えてあげましょう。
何事もなかったように、レオンの瞳はまた警戒に戻る。
集まった人々から大きな拍手が起きて、シーラははっとして舞台に視線を戻した。
「今年からは、今日という日を特別に。ご覧ください、多くの人の手を借りて成した伝説の復活です!」
伯爵夫人の手が示した先、騎士団の部隊長が燃え盛る聖火の傍で脚立に上る。
彼は炎の熱に怯える事なく持っていたバケツをひっくり返し、黄色い何かがどさどさと落とし込まれる。
聖火が青く染まった。
眠璃猫:一日のうち合計で一時間ほどしか起きないと言われる魔物。滅多に人前に姿を現さず、巣でひっそりと眠っている事が多い。見つかって捕獲され飼育されても警戒より眠りをとるため、人の手伝いなどするはずもない。余分な魔力を体内で固形化し、時折これを吐き出す。宝石のようなそれは瑠璃色をしている。
柔林檎:見た目と大きさは林檎に似ているが、皮と果肉はもったりと柔らかく、熱すると冷めにくい性質を持つ。噛むとじゅわりと溢れる果汁はさっぱりした甘さ。まがい物を食べているようで気味が悪いと嫌がる貴族もいる。
赤馬菜:赤馬という馬型の魔物のたてがみは厚い菜っ葉のようなものの集合であり、かじると程よい甘酸っぱさがある。刻んで料理に入れたり、肉をこれで巻いたり、丸めて串や茎で留めたものをそのまま食べたり、蜜やソースをかけておやつにする。




