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放置されたい私と何も知らない旦那様  作者: 鉤咲蓮
三章 レオン・エーヴェとシーラ・クライン

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18/19

18.貴方はあくまでお友達




 ――俺が正体を明かした時、皆はどう思うのだろうか。


 ユリウスは幾つもの潜入先で別人として過ごし、そこで出会った人々と言葉を交わしてきた。

 そこを去る時には毎度、適当な理由をつけて別れ、二度と会う事はない。けれど今回は勝手が違うのだ。


 これまで通りにいかない事だけは確かだろう。

 気安く接してくれていた人々が堅苦しくなり、「レオンさん」とは絶対に呼ばれない。シーラがこうして友として、同志として話してくれる時間も無くなる。


 ――…失いたくは、ない。惜しい。


 それでも仕方がない事だとわかっていた。

 メルテンス伯爵は「自分はもう長くはない」と、文官を通じて夫人にも内緒で王家に嘆願を出したらしい。自分の後任にはどうか、立派な若者をつけてほしいと。


 国の要所であるゼイルを守り抜くだけの力を持つ――そう、平民でありながら向かうところ魔物(てき)なしの豪傑、指揮官としても優秀であり性格も大変真面目だという――レオン・エーヴェのような人材を、あてがってほしいと。


 ユリウスは、レオンとして真面目に働いていた。

 その結果がこれである。潜入捜査より魔物討伐の指揮官として、なおかつ領主として赴任する方が、()()()向いているのではないか。そう判断されてしまったようだ。


 飛兎のシチューをスプーンでひとすくい。

 旨味と栄養がたっぷり溶け込んだ味わい深いスープに、程よい弾力で食べ応えのある肉。つい、なるほどと頷いた。


「美味いな…」

「でしょう?今日来たお客さん、皆大満足なんだから。」

「君は食べたのか?」

「一口だけね。味見役」

「なら、もう少し食べるといい。」

 レオンはカトラリーの入ったボックスからまだ使われていないスプーンを取り、シーラに差し出した。

 自分もまだ一口しか食べておらず、使ったスプーンはシチューに戻していない。今なら、シーラが一口貰ったところで差し支えないだろう。


「あら、いいの?」

「本当なら半分ほどやっても構わないが」

「半分!?」

「君は女性の友人で、互いに家族があるしな。同じ皿から食べていくのは駄目な気がする。」

「もちろん…というか、人の物をそんなに食べないわよ、もう……じゃあ、一口だけ。ありがたく頂くわね」

 レオンが器を彼女の方に寄せてやると、シーラはそっとスプーンをシチューに差し込んだ。

 反対の手を受け皿のように添えて、火傷しないように息を吹きかけ、垂らさないよう気を付けながらぱくりと含む。その頬が色づき、幸福に緩んでいく。


「~~っ、美味しい……!」

「よかった。」

「ありがとう、レオンさん。……でも、なにもそんなにじっと見ていなくてもいいじゃない。」

 レオンは瞬いた。

 そんなに見ていただろうかと考えて、確かに目を離さなかったと思い至る。見ていたかったから。


「…気を悪くさせたなら、すまない。」

「気を悪くはしてないけれど。女性としては、ちょっと恥ずかしいというか。」

「幸せそうに食べている君を見ると、俺も嬉しい気持ちになる……眩しいくらいだ。なにも恥じる必要はないと思うが。」

「……ありがとう。」

 にこりと笑って済ませながら、シーラは心の中で「なんて事を言うの」と両手で顔を覆った。それでよく自覚がないものだ。

 目にも表情にも声色にも下心が見当たらないのに、天然とはまったく恐ろしい。


 ――どうしたらいいの。だって、「幸せそうな姿を見ると嬉しい」って、そんなの恋どころか…


 心の中で言葉にしないように、気を付けていた。レオン自身に気付かせるような事があってはならない。

 逃げ出してしまいたいのを堪えて、シーラは何でもないように振舞っていた。

 困っていた、動揺していた、恥じらう心がある自分を責めた。


 ちょうどよくやってきた料理を受け取って、「いただきます」と言う。

 女将が明らかに「あら~分けてもらったの~」と嬉しそうにしていたが、見えなかった事にした。


「…レオンさんはそうやって、私を見守るような時があるわよね。まるで血の繋がった兄、それか実は、親戚のお兄さんなのかしら。」

「いっそのこと、本当に親戚(そう)だったら遠慮なく力になれたんだが……君の方はどうなんだ。夫の方は。」

「……実は、こちらも便りがあったの。」

「そうか…それはよかったな。」

 少し意外そうに目を見開きつつも、眼差しを和らげたレオンは純粋に祝福しているようだ。

 シーラの幸福を願っている、その気持ちが伝わってくる。


「短い文だったけれど…何と言うか、不器用ながらもこちらを気遣おうとする姿勢は見えたわ。」

「うん?相手は不器用そうなのか。」

「そうね、少なくとも女性の相手は慣れていないと思う。」

 女慣れしていたらきっと、便箋も封筒も良い物を選んで、なんなら香水も振りかけた、優しく甘い手紙がもっと早くに届いていただろう。

 ぎこちなく、けれど精一杯自分が知っている花について書いてきた婚約者を思って、()()()()()はついくすりと笑った。


「今どこにいるのか知れないけれど……いずれ会えたら、今度こそゆっくり話をして…お互いに向き合えるんじゃないかって期待しているの。」

「……シーラさんは、できるならここで働き続けたいという事だったな。」

「ええ。妻は妻なりに仕事もあるようだし、忙しくなって、今ほどは来れないかもしれないけれど……夫の許しが出るなら、きちんと断った上で働きたいのよね。」

「許しが出なかったら?」

「こっそり来ようかしら。なんてね」

 悪戯っぽい笑みを見せてから、シーラはからりと笑って流す。

 夫――ユリウス・ヴィンケルが戻ってきた後の自由がどれほどあるかなど、今はまだわからないのだ。当然ながら彼女は、隣にいる男が変装した夫だなどとは想像だにしていない。


 シーラはなんとも平和的に偽鯖のソテーをほくりとほぐし、ソースに絡めている。

 シチューについてきたパンをちぎりながら、レオンが口を開いた。


「働き者は褒められるべきだと思うが、どうなんだろうな。シーラさんの内面を知っている人であれば、夜に働きに出ようが妙な心配はしないはずだ。安全面は仕方ないが。」

「あら、夜道を一人で歩くようになって長いのよ?これでも一人、二人くらいなら、ある程度の自信があるわ。かわして大通りまで逃げるくらいはしてやるんだから。」

「そこは、相手によるとしか言えないな。俺は多分、君を拘束して連れ去る程度は苦労しないぞ。」

「魔物をバタバタ倒すような小隊長様を、引き合いに出さないでくれる?私は酔っ払いとかの話をしているのよ。」

 ちょっとばかり腕の立つ侍女がいるマリアンネは、彼女から護身術を学んでいるのだ。

 特にシーラの姿であれば、ドレスの裾を踏んでつんのめる心配だってない。


「もし何か夫を説得する必要があれば、君がここでどれだけいきいきと働いているのか、友人として証言するのも(やぶさ)かではない。」

「貴方の証言は、遠慮しようかしら……。」

「そうか?」

「美化が過ぎるというか……それに貴方が近くにいるってわかると、余計に心配される可能性があるかも」

「…俺はそんなに危険人物だったか。」

「ある意味ね?ある意味。」

 自分の顔の良さもあまり自覚がないのだろう、レオンは困ったように眉を顰めている。

 もぐもぐと食べ進めながら、シーラは夫であるユリウスの顔を思い浮かべようとした。彼は彼で美形なので、レオンの見た目のせいで浮気を疑うという事はないかもしれない。


 ――整ったお顔立ちだったという感想は、覚えているのだけど。屋敷にある肖像画は子供の頃のものだったし……「あと半年は帰れません」なんてなった暁には、私、会った時にきちんとわかるか不安だわ。


 どうもシーラは、ユリウスを思い出そうとしたり、子供のユリウスが成長した姿を思い浮かべようとすると、レオンを思い出してしまうのだ。

 片や、一度数分だけ会ったきり。片や、その年代の男性で今一番よく接する相手なので、無理もないかもしれない。


「……レオンさんは、いつ奥さんに会ってあげられそうなの?」

()()が一段落ついたら、帰郷するつもりだ。」

「…そう。寂しくなるわね。」

 薄く微笑んだシーラの表情に、声に、含みは何もなかったはずだった。

 たとえレオンと二人で話す間柄になっていなくとも、「シーラ」は同じように言っただろう。部下と一緒に来てくれていた小隊長様が、顔を出さなくなる寂しさ。それだけの気持ちで。


 なのにじくりと、胸の奥が潰される心地がする。

 ただの客ではなくなった、友人になったレオンと会えなくなる。


 ――そう。友達に会えない寂しさでしか、ないのよ。


 レオンと過ごす時間は居心地がよかった。

 真面目で、ちょっと天然で、なんだか目を離せない、つい気にかけてしまいたくなる人。優しく紳士的で、たまに騎士らしい無骨さの見える人。

 マリアンネの仕事ぶりを認めてくれる人。欲のない瞳で、ただ幸せを願ってくれる人。


 ――これ以上、考えてはいけない。


 自分の心の奥底に温かな感情がある事を、マリアンネは薄々察していた。

 見ない事で、考えない事で、「まだ理解していない」事にした。気付いても、わかっても、希望も意味もない感情(もの)だから。


「…いや、帰郷は……」


 一時的なものだと、そう言おうとしたレオンの声が途切れる。

 目をそらして「寂しくなる」と言ったシーラの瞳が、ほんの一瞬、切なげに揺らいだように見えたのだ。


 ――そんな顔をさせたくなかった。


 ずきりと胸が痛んだ、はずなのに。

 どうしてかレオンの心には、本人もまったく意味の分からない感情があった。「喜び」だ。

 シーラが発した言葉は、去る者に対するありきたりな言い回しだったというのに。その瞳に浮かんだ「行かないでほしい」という本心が、見えてしまった。それを喜ぶ自分に、気付いてしまった。


 理解する。


 同時に、正体がユリウスである自分は決してそれを口に出してはいけないという事も、わかっていた。

 ディーデリックが何をそんなに心配していたのか。きっと彼はユリウスより早く、この事実に気付いていたのだ。


 ――…俺は、シーラさんの事が好きなんだな。


 既に夫がいる女性で、それ以前に平民で。働く事が好きな彼女は絶対に、貴族夫人にはなりたくないだろう。この先何がどう転んだって、ユリウスと生きる事は叶わない。


 ユリウスには既に子爵令嬢の妻がいて、いずれ叙爵する事も、拝領する事も決まっている。

 特に妻は、不義理を責める事なく夫の帰りを待ってくれているのだ。それらを放り出して平民になるつもりなど毛頭ないし、万が一そんな酔狂をしてシーラを選べば、信頼を裏切られた周囲の矛先は彼女にも向かう。


 ――…今のうちに、自分の感情に気付けて良かった。我ながら淡白な性格だと思っていたが、こんな感情を持つ事があると知れて良かった。


 レオンの正体を知った時、シーラが何と思うかはユリウスにはわからなかった。

 仮に今後彼女に何かあって「友人として手助けしたい」と思っても、「領主様にそこまでして頂くわけには」と断りそうな人だ。周囲の邪推を呼ぶ手助けは負担になってしまう。


 全力で力になる事は決してできない。

 彼女と穏やかに過ごす時間も関係性も失って、それが当たり前になっていく。わかりきった未来を少しだけ、苦しく思った。


 ――それでも俺は、君を好きになれて良かった。


 ユリウスは薄く微笑んでいる。

 絶対に口にできない、決して叶わない感情でも。他人が知れば非難されるものだとしても。これから手放し、時の流れと新しい出会いの中で、溶け消えるまで放っておかねばならないとしても。


 初めて好きになった相手がこんなにも素敵な女性(ひと)だという事実は、人生で得られた宝の一つだろう。

 だからこそユリウスは、心からこの言葉を口にする。


「ありがとう。シーラさん」

「え?……ああいえ、レオンさんは皆の人気者だもの。誰だって寂しいと思うわ」

「そうだな。」

 てっきり「そうだろうか」と聞き返されると思ったシーラは、ぱちりと瞬いた。レオンの左目はカウンターの奥へ向いていて、何を考えているのかわからない。


「…いつかの火祭りには、奥さんと一緒に遊びに来れたらいいわね。」

「ああ。問題なさそうなら、いずれ。」

 レオンが当然の流れのように返す。

 優しい彼はきっと、まだ顔もわからない妻をこれから知って、大事にしていくのだろう。それを「羨ましい」と思う事など、マリアンネ自身が許さない。


「私もいつか、夫を連れてくるわ。それくらいの関係を築けるように頑張らないと。」

「俺も随分と放っておいてしまったから、まずは会って、誠意を持って話し合うところからだ。」

「あら。意外と放置を楽しんでいるかもしれないわよ?わからないけれど、いるより自由だもの。」

「そういう可能性もあるのか?やはり俺は、女性の気持ちについて無知だな……」


 これは自身の心との決別だと、二人は思っていた。


 レオン・エーヴェとシーラ・クラインは、ただの友人なのだから。




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