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放置されたい私と何も知らない旦那様  作者: 鉤咲蓮
三章 レオン・エーヴェとシーラ・クライン

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15/15

15.全てが嘘とも限らない




 ユリウスからカードが届いてすぐ、マリアンネは返事を書いた。

 封筒はロッテが「勝手に見るような真似はしません」と固く約束して回収し、どこの住所へ出したかはわからないままだ。


 ――大した事は書いてないから、見られても困りはしないけれど。


 婚姻という契約で結んだ信頼関係だ。

 ただでさえユリウスの不在で心証の悪いヴィンケル伯爵家が、興味本位に開けるような真似はしないだろう。マリアンネは「大げさね」と言い、「もちろん信じているわ」と微笑んだ。



 それからほんの、数日後のこと。

 朝の身支度を整えている時から、マリアンネはプリスカの様子がおかしい事に気付いていた。仕事にミスはないが、どこか考え込むようにほんの僅か眉を顰めているのだ。

 伯爵夫人による午前中の授業を終えた後、部屋に戻ったマリアンネは椅子ではなくベッドに腰掛けた。


「それで?」


 唐突な問い。

 プリスカは一瞬目を見開いたが、察されてしまったのだとすぐに理解して眉尻を下げた。腹の前で両手を揃え、一礼する。


「気を付けていたつもりでしたが……申し訳ありません。」

「いいのよ、私が悩みそうな内容なのでしょう。でも知らないよりはいいと思うの。」

「…わかりました。少々、信じ難い事ではあるのですが」

 そこまで言って、プリスカは一度言葉を切った。

 誰の足音も聞こえない事を、気配がない事を確かめるようにちらりと、部屋の扉を見る。視線がマリアンネに戻ったという事は、廊下には今、誰もいないらしい。


「どうやら、この家の者達の誰も……伯爵様ですら、ユリウス様の正確な居場所をご存じないようなのです。」

「……何ですって?」

 さすがに予想外だったという顔になりつつ、マリアンネは続きを促した。

 プリスカはどうやら、表では伯爵家の使用人達と仲良くしながらも、身を隠して密かに会話を聞いたり、屋敷を訪れた者が誰と会ったかなどを調べていたようだ。


「先日の手紙ですが、返信先はユリウス様が指定した偽の住所だと伯爵様が仰ったそうです。ようやく連絡手段が見つかった、そんな風に喜ぶ様子だったと……廊下を通りかかった侍女の話です。」

「…宛先が偽なのは、中継して、正しい宛先を知られないようにするためね。仕事という言葉を信じるなら、遠征か何かの任務中なのでしょう。」

 ユリウスが騎士団本部に勤める騎士だという事は、マリアンネも知っている。

 文官でも他の職員でもなく、騎士だ。ゼイルにいるレオン達のように魔物と戦うのか、王城にいる騎士のように貴人の護衛をしているのか、それはわからない。街の治安維持を担う部隊の増援に行った可能性もある。


「ある者は、ユリウス様の部屋が何年も未使用だと言いました。ある者は、ユリウス様から便りが来たのはかなり久し振りの事だと言いました。ある者は、ロッテ様は何年も兄君に会えていないようで可哀想だと言いました。」

「……全容が見えないわ。仮に伯爵家が連絡を取れていなかったのなら、彼が結婚式に来たのはなぜ?」

「仮に、それが変装した偽物だったとしましょう。」

 ぴくりと、マリアンネの眉が動いた。

 あまり考えたくなかった可能性だ。その「仮」が「真」であった場合、ヴィンケル伯爵家はフランセン子爵家を騙した事になる。


「些細な違いを見破れる距離にいたのは、初対面のお嬢様と、そんな事想像だにしていないだろう神父様だけです。」

「…ありえないと断言はできないわね。偽物を()()調()()()()()とは思えないから、その場合いつから仕組まれていたのだか。でも、計画的だとすると態度が腑に落ちないわ。」

 ユリウスが式に現われたのは誓いに間に合うギリギリの時間だ。

 計画的ならもっと丁寧に行えただろうし、真っ青になってマリアンネに謝罪したのは何だったのか。


「偽物については、まだ想像に過ぎませんが……この家がお嬢様に対して、ユリウス様に関する何かを隠しているのは確かです。お嬢様との話が持ち上がった頃から、使用人を下げてお三方で話し込まれる時が幾度もあったとか。」

「……放置系で嬉しいなんて思っていたけれど、ちょっと事情が違うのかしら。」

 マリアンネは立ち上がり、机の引き出しにしまっておいたユリウスからのカードを取り出した。

 几帳面な文字だが、二人にはこれがユリウス・ヴィンケル本人の筆跡かどうかはわからない。


「改めて読み返すと……この方、《帰る》とは仰っていないわね。《今しばし時間をください》……さすがに、これすら偽物で、実はユリウス様はもういない…なんて事でなければいいけれど。」

「強行するほど、お嬢様との結婚はこの家に利があったという事でしょうか。」

「わからないわ。私は病弱という触れ込みでここへきたけれど……プリスカ。毒を仕込まれたり、夜に襲撃されたりはしていないでしょう?」

「はい。それは保証致します」

 ヴィンケル伯爵家は何がしたいのか?

 伯爵にも夫人にも義妹のロッテにも、マリアンネが察する範囲で悪意を向けられた覚えはない。病弱な娘を娶ったために、残念ながら早期に死んでしまった…などという筋書きではないように思えた。

 それに、その状況によって伯爵家がフランセン子爵家から奪えるものなどない。


「……この婚姻は元々、変だとは思っていたのよね。人気で縁談も沢山来る令息なら、わざわざ病弱な女性を娶る必要はない。だから私は最初、愛人がいるという予想でいた。」


 しかしその割に、結婚式に現われたユリウスはあまりに女性慣れしていなかった。

 加えて、後日ロッテが断固として否定している。届いたカードにも「仕事」の文字。


「全てが嘘ではないかもしれません。けれどお嬢様、全てが本当でも無いように思います。」

「ええ、そうね。私達はもう少し――…もう少しだけ、伯爵家を警戒するべきなのかも。」

 口元に軽く人差し指の背をあてて、マリアンネは目を伏せる。 

 そもそもが、もっと早くからきちんとこの婚姻に向き合うべきだったのだろう。「ろくに考えず惰性で受け入れたのか」と言われたら、マリアンネはそれを完全には否定できないのだから。


 ――「心配しないで」ばかり返していたけれど、場合によってはお姉様達の力を借りるのもいいかもしれない。


 慣れたはずの自室が妙によそよそしく感じられて、マリアンネは居心地悪そうに室内を見回した。

 隠し事があるのは自分も同じだが、明かせるかどうかはそれこそユリウスの人格と信用にかかっている。


 ふとレオンの顔が頭に過ぎり、マリアンネは苦笑した。

 彼の妻になった女性も、今まさに同じような不安を抱えているかもしれない。身分の差はあれど、結婚したはずの夫に会えないという状況は同じなのだから。


 ――あるいは、その人も何か目的があって夫不在での結婚を受け入れたか。……レオンさんも、奥方と上手くいくといいけれど。


「…ろくに知らない、会えない配偶者の心境なんて。こちらが知りようもない事よね。」

「ええ。もしユリウス様が戻られた暁には、お嬢様が存分に振り回すのもよろしいかと。」

「私が?……ふふ、そうね。どんな事情説明があるかわからないけれど、場合によっては。」


 ユリウスに何か納得できる事情がある事を、マリアンネは祈っている。

 ヴィンケル伯爵家に特別恨みがあるわけではないし、貴族の義務として嫁いだからには、夫とはできるだけ上手くやっていきたいと思っている。


 ――ただ、叶うのなら。ほんの時折でもいい、素の「私」でいられる時間を。ゼイルで過ごす時間を、許してほしい。


 不誠実と言われても仕方がない現状について、もしユリウスに罪悪感があるのなら。

 それすら利用するかもしれないと、マリアンネは考えていた。


 ――…少し、卑怯にも思えるけれど。シーラとして生きて得た絆を、捨てたくはないもの。


 今のマリアンネにとって、ユリウスは形の見えない終わりのようだった。考えても仕方がない事だと自分に言い聞かせ、プリスカと目を合わせる。


「ロッテさんに言伝を頼めるかしら。今日もご一緒しませんかと」

「仰せのままに。」




 ティータイムに誘われたロッテは、時間通りに庭園の花々を見下ろせるテラスへやってきた。

 先に待っていたマリアンネは微笑んで歓迎し、それぞれのカップに紅茶が注がれると、侍女達は一礼して離れた壁際へ並び控える。


「昨日はご友人と出かけてきたのでしょう?楽しめたかしら。」

「そうですね……最終的には、皆楽しんでいたと思いますわ。」

「最終的には?」

「この前、王太子殿下がご婚約を発表されましたでしょう?憧れていた子が多かったので、慰める会のようなものですわ。」

 苦笑するロッテの顔には少しばかり疲労が滲んでいる。

 二十二歳の王太子マティアスはその美貌もさることながら、学に優れ、なおかつ自ら剣を取り魔物を打ち倒した事もあるという才人だ。


 ――もう十年近く前かしら、確かメリッサ姉様とミーケ姉様もパーティーで顔を合わせていたわね。


 王族にしては遅い婚約と言える。

 強引なものでなく本人と相手が望んだものなら、国王夫妻や側近はさぞ安心している事だろう。


「そう……確かに、気落ちする令嬢は多そうね。」

「お相手は他国の王女殿下ですから、ひとしきり悲しんだらきっぱり諦めもついたようです。すぐ見合いの予定を組まないと、なんてはりきっていましたわ。」

「良いお話が来るといいわね。」

「本当に。」

 切り替えが早いのは良いことだ。

 慰める会の会場に選ばれた喫茶店は、王都住まいの貴族令嬢にはとても人気の店らしい。ケーキが絶品だったと語るロッテを微笑ましく眺め、マリアンネはゆっくりした仕草で紅茶を喉へ流した。

 話が一区切りついたところで、菓子皿からクッキーを一枚摘まむ。


「そういえば、ロッテさんは聖具という物をご存じかしら。わたくしは見た事がなくて。」

「存じておりますわ。当家にもございますから、お義姉様さえよければこの後見に行きましょう。」

「まぁ、いいの?」

「もちろんです!…貴女、第二倉庫の鍵を用意するよう執事長に伝えておいて頂戴。」

 ロッテは軽く手を鳴らし、傍へ進み出た侍女に言いつけた。

 マリアンネが屋敷に来たばかりの頃、「ここは普段施錠されています」と説明を受けた倉庫だ。


「聖具を見に行くから、お父様にも連絡を。書斎にいるはずよ」

「畏まりました。」

 侍女が立ち去ると、ロッテは第二倉庫とは武器庫の事だと言った。

 兄が鍛錬に使っていた道具もそこにあるのだと。


「第二倉庫には、お父様が持つ鍵でしか開かない扉があります。特に貴重な物を保管するためですが、さらにその奥の扉……そこに、聖具があるのですわ。」

「三重に鍵がかかっているなんて、とても厳重なのね。」

 感心した様子でマリアンネが頷くと、ロッテは小さく首を横に振った。

 伯爵が持つ鍵で開けたなら、聖具に続く最後の扉は施錠どころか鍵の仕組みが無いらしい。防犯のためではなく、単に置く物を区分けしているだけだからと。


「聖具もだけれど、武器庫を見るのも初めてだわ。まるで冒険するみたい」

「屋敷探索、といったところでしょうか?ふふ、お供致しますわ、お義姉様。」

「ありがとう、ロッテさん。――そうだわ、もしよかったらなのだけど」

 これはすべて、「念のため」だった。

 聖具についてレオンに聞いた時から頭にあった、自分が踏んでおくべき手順。

 マリアンネは花開くように微笑んだ。


「最後の扉は、わたくしが開けてもいいかしら。」




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