鈴子の祈り【春のチャレンジ2025】ホラー
◆◆ 1 春の歌 Jakob Mendelssohn ◆◆
聖リリーフランク基督学院。
この高校の正門の横には、バージニア州にある姉妹学校より送られた美しい桜の木が植えられている。
登下校の際に皆が必ず目にするこの桜の木は、マウントバーノン教区のパーソン牧師によって送られたもので、バージニア植民地にあった奴隷プランテーションの黒人が、枝を折った際に、正直に雇い主にこれを告げたところ、折った枝と同じ本数だけ指の骨を折られた逸話で有名な桜・・・それが、開校時にプレゼントされ、植樹されたと言われている。
この桜の木にまつわる逸話は、もうひとつ・・・
それは、一途で心清らかな乙女が、望みを願った時、その願いを叶えてくれるというものであった。
◆◆ 2 トロイメライ Robert Schumann ◆◆
広瀬ケンイチは、松山鈴子の自慢の彼氏である。
「彼女の頭の中では」という但し書きが付くが・・・
ケンイチは、聖リリーフランク基督学院のアイドルであった。
学校中で人気がある美男子。
学年成績は、常に1位。
学期ごとに入れ替えとなる特別進学クラスから一度も外れたことが無く、運動神経も抜群。
そして、クールだが正義感が強く優しい人物なのだ。
鈴子の頭の中で、彼は、毎日、彼女と手をつないで登校し、鈴子の作ったお弁当を食べ、テニス部のマネージャーである彼女から、素敵な笑顔でタオルを受け取る毎日を過ごしていた。
◆◆ 3 悲劇的序曲 Johannes Brahms ◆◆
しかし、現実は、厳しい。
ケンイチは、鈴子と付き合う素振りなど、みじんも見せなかった。
それどころか、彼が、クラスの女子と必要以上に仲良くすることは無く、彼をひそかに思う女子にとって、ケンイチは、高嶺の花・・・雲の上の存在という言葉がぴったりで、界隈では、崇拝の対象にさえなっていた。
妄想の中のケンイチは、鈴子にぞっこんである。
しかし、現実のケンイチと言葉を交わすことなど、1か月に1度あるかないか・・・
彼の斜め後ろの席から、授業中に彼の横顔を楽しむことが、鈴子の楽しみであった。
しかし、3学期も半ばとなり、そろそろクラス替えの時期が迫ってきている。
特別進学クラスに居続けるためには、成績だけがモノを言うが、いかんせん鈴子の3学期の成績は、これまでのところ芳しくない。
成績が、常に1位のケンイチが特別進学クラスから落ちることは、考えられない。
この3学期・・・最期の1か月が、勝負っ。
鈴子は、小さなビンの中に水を入れて飼っているマリモを教室の後ろにある自分のロッカーの隅にそぉっと置き、その扉をパタリと閉めながら、決意を固めた。
◆◆ 4 亜麻色の髪の乙女 Claude Debussy ◆◆
そんなある日、クラスに季節外れの転校生がやって来た。
海外駐在だった父が、国外追放となったため帰国してきたという亜麻色をした髪の長いその女の子は、教室に入るなりビックリしたような声で、彼を呼んだ。
「もしかして、ケンイチくんっ!?」
「えっ、お前、亜紗姫か?すごいな。キレイになってて気づかなかったよ。髪も長くなってるし・・・」
「もぉ、それって、幼稚園の頃の話じゃないっ!」
なんと、転校生の仙道亜紗姫は、広瀬ケンイチの幼馴染だったのだ。
しかも、そのことが、局面を悪い方向へ転がす。
「なんだ、広瀬と仙道は、知り合いか。じゃぁ隣の席も空いていることだし、そこに机を置けばいいな。仙道っ、分からないことがあれば、広瀬に教えてもらえばいい。」
なんと、担任は、ケンイチの隣にあった空いたスペースに、転校生の机を置いて、2人を並べて座らせた。
それだけではなく、教科書が、まだないということで、ふたりは、机をくっつけて座る。
そう、鈴子は、ケンイチと転校生が、仲良さそうに授業を受ける姿を、毎日、見せつけられることになったのだ。
◆◆ 5 ラプソディー イン ブルー Jacob Gershowitz ◆◆
転校生が、現れてからというものの、脳内のケンイチが手をつないで登校してくれることも、鈴子の作ったお弁当を食べることも、彼女から、笑顔でタオルを受け取ることもなくなった。
以前は楽しめた、授業中に彼の座っている席を眺めることさえ、いまでは、転校生とのいちゃいちゃを強制的に見せつけられるストレスタイムとなっている。
授業の合間の休憩時間でさえ、ふたりきりの世界から出てこようとしないケンイチと転校生の姿に吐き気を催した鈴子は、音も立てずに、そぉっと椅子から立ち上がり、トイレへと向かった。
個室に閉じこもって鍵をかけて、ぐっと歯を噛みしめる・・・
くやしい・・・私だけのケンイチが、あの女に、けがされていく・・・
思わずこぼれ落ちた涙をぬぐいもせず、鈴子は、声を殺しながらむせび泣いた。
その時であった。
「ねぇ、あの話知ってる?」
「えー、どの話よー?」
個室の外から、話し声が聞こえてきた。
「あのね、日出子先輩ってモーツァルテウム大学に進学が決まったじゃない?」
「え?そんな長い名前だったの?日出子先輩の行く学校。」
「うん、すごいでしょ?私、覚えたもん。っていうか、そんな話じゃなくて、あれって、正門の桜の木にお願いしたせいらしいの。」
「いや、それ無理があるってぇ。だって、あれ、コンテストで先輩が優勝したから決まったんでしょ?」
「そうだけど、違うの。あのね、あれって、有力候補だった韓国の2人と中国の子が、3次予選前に揃って指をケガしたから、日出子先輩が第一位で、聴衆賞まで取ったのよ。」
「ケガしたのは、偶然でしょ?だいたい、そういうのって、奨学金付きで海外の大学に進学するのが決まった日出子先輩に嫉妬した人が言ってるに決まってるじゃない。」
「でも、3人とも、何もないのに突然閉まったピアノの蓋に指を挟まれたって言うもんっ。桜の木にお願いしたからっていう話、絶対ホントだよー。」
◆◆◆ 6 乙女の祈り Tekla Baranowska ◆◆
キーンコーンカーンコーン
チャイムの音が、授業の開始を知らせる。
しかし、鈴子は、教室に戻らなかった。
向かったのは、正門・・・
そう、桜の木の前だ。
七分程まで膨らんだ桜のつぼみを見つめながら、両手を握りしめた。
「あの女、仙道亜紗姫が、この学校からいなくなりますようにっ!」
爪の跡が、手の甲に残るほど強く握りしめた手。
目を固く閉じ、もはや念じていると言ってもよいくらいの祈りを込める。
どれくらいの時間が経ったであろう。
前髪を強く揺らした風に、鈴子は、その目を開けた。
そうして、視線を上げると、望みを願った桜のつぼみを見つめる。
何ということであろう。
彼女が見つめるその目の前で、桜のつぼみが一輪だけ、みるみるうちに開いていくではないか。
再び、前髪に風が前髪を揺らした時、咲いた一輪の桜の花びらは、ふわりと空へ舞い、鈴子の手の中に落ちた。
そうして、彼女は、確かに聞いた。
「そなたの祈り、確かに受け取った。」
太い男性の声で、桜の木が、鈴子の耳にそう告げるのを・・・
◆◆ 7 主よ、人の望みの喜びよ Johann Sebastian Bach ◆◆
鈴子は、教室に戻らずに保険室に向かい、そのまま帰宅した。
保健の先生には、体調不良と告げたが、信じてもらえただろうか?
彼女の顔には、どうしても隠しようのないくらいの笑みが浮かんでいたのだ。
「きっと、この願いは、桜の木が叶えてくれるはず・・・」
鈴子のその期待は、たがわなかった。
翌朝のホームルーム。
その席に、転校生の姿は、無い。
担任は、「彼女は、再び転校する」という話を簡単にするだけ・・・理由を告げることは、なかった。
しかし、そのような話は、隠し通せるものではない。
事実は、お昼の休憩に入ったその時に、鈴子の耳に届くことになった。
なんと、転校してきた彼女の父が国外追放となった理由が、自動車メーカーによる贈賄であったため、名古屋高検の特捜部に逮捕されたというのだ。
転校生とその母は、身を隠すように母の実家へと引っ越して行ったという。
鈴子は、小躍りしそうになる体を必死でおさえ、いつものように小さなビンで飼っているマリモを、教室の後ろにある自分のロッカーの隅へそっと置いて、その扉をパタリと閉めた。
「あの女は、居なくなった。これでケンイチは、私のモノ・・・」
そう思ったが、よく考えると、何かが改善したわけではないのだ。
「まだ・・・足りない。その他大勢では、ダメっ。」
お昼の休憩は、まだ始まったばかり。
時間は、たっぷりある。
彼女の足は、再び正門へと向かった。
◆◆ 8 ジュ トゥ ヴ Éric Satie ◆◆
青く抜けるような空の下で、桜の木は、鈴子を待っていた。
もう、彼女に迷いは、無い。
昨日と同じように手を握りしめる。
「ケンイチは、私だけを見て欲しい。私だけが、ケンイチの視線を独占したいっ!」
祈りを・・・望みを・・・つぼみに願う。
「私は、ケンイチのモノで、ケンイチは、私のモノ。」
目を閉じた鈴子は、つぶやき続けた。
春風が、桜の花びらを散らし、またもや彼女の手の中へと落ちる。
そうして、鈴子は、再び、桜の木の声を聞くこととなった。
正門から、教室へと戻る彼女の足取りは、軽かった。
◆◆ 9 永遠の愛 Johannes Brahms ◆◆
鈴子が戻った教室は、昼食を終えた生徒たちでざわめいていた。
もうお弁当を食べるような時間は残っていない。
彼女は満足だった。
確かに正門前の桜の木は、告げたのだ。
「そなたの祈り、確かに受け取った。」
ならば、願いは、かなう。
小さくうなずくと、彼女は、次の授業の教科書を取り出すため、教室後ろのロッカーへ向かった。
きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ
そうして、鈴子がロッカーの扉に手をかけたその時、教室に悲鳴があがった。
振り向いた彼女に見えたもの・・・それは、顔を手で押さえ、血を流して倒れている彼・・・ケンイチの姿。
それを見て悲鳴をあげる周りの女子生徒たち。
鈴子は、ニヤリと顔に笑みを浮かべ、静かにロッカーの扉を開いた。
ロッカーの中に転がるのは、ふたつの目玉。
鈴子は、確信した。
「これは、彼の瞳。そして、今は、私のモノ・・・」
ロッカーの中、ケンイチの目は、じっと彼女の方を見つめている。
手を伸ばした鈴子は、少し血のしたたるふたつの美しい玉を、傷つけぬよう掌でやさしく包み込み、水の入ったビンの中へと転がした。
沈んでゆくふたつの玉は、緑色をしたまりもの玉の隣まで転がると、その視線を彼女の方へと向ける。
鈴子は、それに目線を合わせてにっこり微笑むと、いつものようにビンをロッカーの隅にそぉっと置き、パタリと扉を閉めるのであった。
この作品は【春のチャレンジ2025】と【大野錦氏チャレンジ企画】《公式企画テーマ入れ替え2022年度、夏のホラー、テーマ「ラジオ」→替→「桜の木」》に参加しています。(企画概要)https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1970422/blogkey/3247285/