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第1章 天使ではない少女(2)

「さあ、帰りましょうか」

 そう言ってすたすたと歩き出したミカの後を、家主である私がついていくのはどうしてだろう。

 ――沈黙する踏切から離れて、沈黙の中にある住宅街へと侵入する。

 ミカの服装を、その白さを見たら通りすがりの人は驚くだろうと気を揉んでいたけれど、幸いにも誰ともすれ違うことなくアパートへ辿り着いた。

 ……流石に駅からここまで誰とも、一台の車や自転車ともすれ違わなかったのは不自然な気がする。けれどそれさえも隣の少女のせいにできるなら、それでいいかなと思ってしまう。

「普通のアパートですね」

「普通のアパートだよ――1Kで、空っぽのクローゼットがある」

「そして今日からミカの家になるアパートです」

 堂々と、まるでずっと住んでいるかのようにミカは階段を上っていく。

 ……大人が上り下りすれば結構な音を響かせる外階段も、ミカと私の体格では掠れたように鳴るだけだ。

「女の子のひとり暮らしなのに、オートロック付きの物件にしないんですか?」

「そんなお金ないよ。そもそもこの辺、オートロック付きの物件なんてないんじゃないかな」

「お世辞にも都会とは言えない場所ですからね」

「そう。中途半端なところだよ。他の多くの街みたいに」

 ……階段を上ってすぐ左手が私の部屋だ。

 私の前で足を止めたミカに急かされるより早く、ポケットから鍵を取り出して扉を開けた。

「お邪魔します」

「どうぞ。何もない部屋ですが」

「そんなことはありません。瑠璃さんがいます!」

「いたら何になるの」

「ミカが嬉しいです! ……嘘じゃないですよ?」

「嘘だって構わないけど」

 でも、嫌いな人のところへわざわざ泊まりには来ないのかもしれない。かといって私のどこを気に入ったのかもまったくわからないけれど。

「聞きたいこと――というより社会通念的に聞かないといけないことはあるんだろうけど、まずは夕食にしようか」

 聞かないといけないこと、というのも、本来は大人が聞くべきことであって、高校一年生が年齢不詳の少女に対して聞いたところで何の意味もないだろう。

「いいですね! ちなみに、ミカの分もいただけるんですか?」

「弁当は私のしかないから、冷凍のパスタとかになっちゃうけど」

「全然大丈夫です! ……大丈夫なんですけど、ミカが出すので今晩は豪華にいきましょう!」

「そうはいっても、歩いていける距離にいい感じのお店なんてないよ。食事ができるところなんて、牛丼屋と回転寿司くらいしか」

「では回転寿司へ! ……いいですか?」

「なんでもいいよ」

 ……一度開けた鍵を再度閉めて、一度上った階段をまた下りる。

 何をやっているんだろうと思わないこともないけれど、長い目で見れば生きること自体がそういうもののような気もする。同じように無為な日の繰り返し。

「お店、すぐ近くだから」

「便利ですね」

「あんまり行かないけどね」

「そうなのですか? ひとり暮らしなら重宝しそうなものですが」

 ミカなら週に一度は行きますね! と、鼻をふんふん鳴らしながら白い少女は足取りも軽い。

 ……そういえば、部屋で着替えてもらえばよかった。着替えたところで人目を惹くことに違いはないだろうけど、今のままではあまりにもだ。

「ねえ、ミカ。悪いんだけど」

 くるっと振り返る。

 どうしたのですか? と目で聞いてくる。

「戻って着替えよう。服は貸すから」

「目立つのが気掛かりですか?」

「うん」

「それなら心配御無用です! お店に入ればわかります」

 そう言って、ミカはまた前を向き歩き出してしまう。

 ……まあ、無理に着替えさせなくてもいいか。むしろ露出は少ないし、不潔とは対極にある雰囲気だし。

 自分以外のことでいくら悩んでも、あるいは自分自身のことだとしても、大体は思うようにならないものだ。

「……そこ、右に曲がるから」

「随分大きな通りが見えますね!」

「国道だよ。夜中とか、バイクがうるさい。回転寿司もあの通り沿いにある」

「車があればより便利な場所かもです」

「ここら辺の人は大抵持ってると思うよ。電車で通勤してる人も土日の外出は車、みたいな」

 私は車があったところで運転できないけれど。

 ……国道へ出れば行き交う車のヘッドライトが眩しくて、思わず目を顰めてしまう。たまにやたらと音の大きい車が通り、その度に不愉快な気持ちになる。爆発四散してしまえばいいのに。

「空いてますね」

「かなりの交通量だと思うけど」

「いえ、道路ではなくて。お店のことです」

「まあ……もう遅めの時間だし、平日だし」

 国道へ出てすぐ、店内の煌々と光る回転寿司店が現れた。

 ミカの言う通り客は少なそうで、誰も座っていないボックス席ばかりが目に入る。

「行きましょう!」

 何がそんなに楽しいのか、それとも楽しそうにしているだけなのか、ミカは相変わらずにこにこしながら店内へと入っていった。

 ここは入口にある機械で受付するタイプの店だけれど、ミカは戸惑うこともなく操作している。一定以上の社会常識はあるみたいだ。

「ミカがご馳走するので遠慮せず食べてくださいね!」

「いいよ。自分の分は自分で払うから」

「そんなわけにはいきません! いきなり押しかけて住まわせていただくのですから、それ相応のお礼はしないと!」

 ――これが相応のお礼かと言われたら、苦しいところではあるのですが。

 苦笑してミカは言う。

「それならお言葉に甘えるけど」

「はい、そうしてください。あ、もちろん食費とかお家賃とか、他のものについてもお支払いしますからね!」

「お金は大丈夫なの?」

「それはもう」

 ……天使でも単なる家出少女でもなくて、お金持ちの放蕩娘だったりするのかな。

 それはないか。

「綺麗なお金なら何でもいいよ」

「綺麗なお金ですよ。かなり綺麗なお金です」

「……私が言ったのはそのままの意味じゃなくて、比喩としてだよ」

「わかっていますよ。――もっとも、お金に綺麗・汚いがあるとすればのお話ですが」

「それもそうか」

 そこにあるものとしては、そこへ来た経緯は関係なくただのお金だ。たとえ、強盗や詐欺の結果置かれているものだとしても。

 ……決してそんなお金を使いたくはないけれど。

「さあ、経済的な不安も解消されたことですし、お腹いっぱいになるまで食べましょう。飽食の時代です!」

「そんな格好して言うことじゃないでしょう……」

「たしかに、お腹が出たら特に不恰好になる服装かもです」

「それもあるけど、そういうことじゃなくて」

 聖職者じゃないとしても、それっぽい見掛けの人が言うことではない。

「それとも瑠璃さんは、こんないたいけな少女にお腹いっぱい食べてはいけないと言うのですか?」

「ミカのお金なんだからミカの好きにしなよ」

「ドライですねー」

 喋りながらも、ミカの指は席に設置されているタッチパネルを忙しく滑る。

 どれもこれも明るく賑やかに撮られた写真は、閑散とした夜の店内においては浮いているようでもあった。

 画面の中の過剰に鮮やかな寿司たちを眺めていると、どれも美味しそうではあるけれど何を頼んでいいのかわからなくなる。

「私のも適当に頼んでほしい」

「何か食べたいものはないんですか?」

 不思議そうにミカが聞く。

「お腹は空いてると思うんだけど、どうしてか選べなくて」

「そうですか。それならミカと一緒のものでも構いませんか?」

「うん。それでお願い」

 かしこまりました! とミカは次々に選んで注文ボタンを押していく。

 そんなまとめて頼まなくてもと思うけれど、その方が面倒もなくていいのかもしれない。

 まもなく止まっていた回転レーンが動き出し、ミカの注文した皿がひっきりなしにテーブルの前へと流れ着いた。

「宴です!」

 皿を取り、また皿を取り、私たちの目の前は寿司だらけになる。もちろんふたりで食べ切れる量ではあるものの、それが全部並ぶとなかなかに壮観だ。

「……満足?」

「それはもう」

「ならよかった」

「瑠璃さんはどうですか……?」

 同じ質問を返され、それに答えようとして困ってしまう。

 やや間を置いてこう返答した。

「私はもともと外食したいと思ってなかったから、満足とかはないかな。……満足するのは足りなかった人でしょう?」

「そう……そうですね。それでいうなら、実際に足りているかどうかというより『足りていない』と自分で思っている人だけが満足し得るのかもしれませんね」

 すっと真面目な眼差しになってミカが言う。

 目つきは真剣でも手元はお茶を淹れたり醤油を差したりと忙しない。……わさびは私と同じで多めにつけるタイプのようだった。

「『足りていない』人が満足できるとも限らないし、一度満足してもまたすぐに物足りなくなるかもしれない」

「永遠に満足できたなら、それがいちばんよいのですが」

「……なんとなく、ミカはほとんど不満とかなさそう」

「む、それは能天気に見えるということですか〜?」

 頬を膨らませてみせる。

 寿司で膨れているのかもしれないけれど、確かめる術もない。

「違うよ。邪念とか、そういうのとは無縁そうだなって」

「決してそんなことはないですよ。全部他人事だと思っているだけなんです、ミカは」

「……それは私もそうかもしれない」

「ええ。瑠璃さんも同じだと思ったので、ミカは瑠璃さんと一緒にいたいのです」

「それ褒めてるの?」

「どちらかといえば褒めていると思います」

「それならよし」

 ――いい加減私も食べるかと思い、適当な皿をひとつ取って口に運ぶ。

 名前も知らない魚の寿司は、至って普通の味。普通に美味しい。

 海は遠くにさえ感じない。

「幸福感がありますね」

「……ふふ」

「どうして笑うんですか?」

「いや、『幸せです』って言わずに『幸福感がある』って表現するのが、ミカらしいなって。……らしいも何も、まだ小一時間しか貴方のことは知らないけど」

「そんな僅かな時間でそこまでミカのことをわかっていただけたなんて、何だかこそばゆいです」

「正しい理解だった?」

「ミカが思うに正しいです」

 はにかんでお茶を啜っている姿は見た目相応で可愛らしかった。服も、やっぱり似合っているのは間違いない。

「そういえば誰もミカのこと見てこないね」

 少ないとはいえ店内にはちらほらと客がいる。その誰もミカのことを気に留める様子はなく、一瞥さえされない。

「言ったではないですか。お店に入ればわかると」

「理屈はわからないけど、注目されないならそれでいいか……。でも私はミカが来ているような服を持ってないから、着替えについては希望に添えないかな」

「貸していただけるなら何でもありがたいです」

「……とりあえずは仕方ないとして、近いうちに好みの服を買いに行ったらいいよ。いつまで居るのか知らないけどさ」

「いつまでって、ミカはこれからずっと隣にいますよ。瑠璃さんに追い出されたりしなければ」

「どうだろう。ずっとひとりで暮らしてたから、誰かが同じ部屋にいることを想像できない」

「しばらくしたら、ミカがいないことを想像できなくなります」

「……それが良い意味であることを願っておくよ」

 まさか私の部屋をごみ屋敷にしたりはしないだろうけれど、夜にひとり踏切に立つ子なのだから油断はできない。

 謎の白い粉を持っていたり、正規の薬でも、それを乱用して自らの苦しみの証明とするようなことはないと信じていても。

「案外さらっと食べられるものです」

 喋りながらも食べ続けていたミカの前に、寿司はもうほとんど残っていない。追加でデザートを注文しているのを横目に、私はまだ残る魚たちを口に運んだ。

「瑠璃さんはどうでしたか? 美味しかったですか?」

「うん。美味しい」

「それはよかったです。ミカだけが楽しくても、そこに大きな意義はありませんので」

「……自分が楽しめたのならそれでいいと思うけど。誰かの感情まで考えてたら、やりきれなくなる」

「誰かとは言っていませんよ。ミカは瑠璃さんの気持ちだけを気にしているのです!」

「過保護だね」

「ご迷惑ですか?」

「迷惑はしなくても困惑はするよ。……だってさっきから、私がミカを保護するんじゃなくて、私がミカに保護されてるみたいな感じがする」

「ミカも瑠璃さんも、少なくとも見た目は保護される側でしょう?」

「私は名実ともに被保護者だよ」

「ならいいではないですか。ミカに保護されたって! ……それに、ミカだってわかっているのです。他人の内心まで考えていては、自分が潰れてしまう世の中だと――」

『××! ×××××!!』

 ミカが話し終わるかどうかというときに、突然店内に怒号が響き渡った。

 少ない客たちはみんな顔を上げて、声の発信源がどこなのか周囲を見回す。

 怒号は止むことなく発され続けるので、場所の特定は容易なことだった。

『×××!! ――――!』

 聞くに堪えない暴言が、レジの前、老いた男の口から撒き散らされる。

 それを聞くお店の人がどんな顔をしているのか、その胸中は……なんて、想像しようとも思わなかった。

 ミカは俯くようにして、何とも言えない哀しげな表情を浮かべている。それはあの男への侮蔑か、店員への憐れみか、あるいはそのどちらでもない何かか。

「大丈夫?」

「ミカは大丈夫です。ミカは――」

 私たちに向けられた悪意ではないけれど、ある意味では死体よりも醜悪な人間が叫び狂う様を見せられて、気分がいいはずもない。あの老人の息に乗って、酷い腐臭が流れてくるように感じるのは気のせいだとしても。

 ――やがて老人は何か喚きながら店を出ていって、後にはどうしようもなく重い沈黙が残された。沈黙は店内の隅々まで行き渡って、底に溜まり、テーブルの上やレーンを流れる寿司にさえも伸し掛かるようだった。

 ミカは黙りこくってしまい、私は重い箸を取って最後の寿司を食べ終えた。

「出よっか」

「はい」

 透明な寒天みたいに固まった店内の空気から這い出るように、私たちはしずしずと通路を進んだ。レジの人はいつの間にか交代したみたいだった。

「お会計はまかせてください!」

「ご馳走さまでした」

「いえいえ。最後は少し残念な感じになってしまいましたけど……」

「コンビニに寄って、甘いものでも買って帰ろうか」

 口直しというか、気分直しというか。

 ほんの思いつきで提案したことだったけれど、ミカの表情はぱっと明るくなった。

 そんなに食べたらミカの華奢な身体がどうなるか心配ではあったけれど、それは口にせず。

「問題ありません。ミカは太ったことがないのです」

 こちらの瞳の奥を見てとったのか、ミカがむふんと胸を張って自慢してくる。……逆に痩せ過ぎではと思うくらいの薄い身体。

「私もあんまり増えたことないかも」

「瑠璃さんは食べないと駄目ですよ! まだ身長が伸びる時期なんですから」

「もう止まってるよ」

「たくさん食べたら伸びるかもしれないじゃないですか!」

「別に、そんなに伸ばしたいわけじゃないから……。それにミカの方がこれから伸びるでしょう。何歳なのか知らないけどさ」

 見掛けは歳下だけれど、実際のところ何歳なのだろう。きっと誤魔化されると思うけれど。

「ミカも自分が何歳なのか知りません」

「……知らないんだ」

「本当にわからないんです。瑠璃さんの目には何歳くらいに見えますか?」

「外見だけなら十二、三歳くらいかな。でも、もっと上って言われたらそうも見えるし、もっと下って言われても納得しそう」

「年齢不詳ということですね」

「流石に私より上には見えないけど」

「……瑠璃さんは学校の制服を着ていますが、それは高校のものですか?」

「そうだよ。……名前も家も知ってたのに、それは知らなかったんだ」

「知っていることもあれば知らないこともあります。神さまではありませんから」

 それはそうだ。

 ここにいるのは裁かれるべきものだけだった。

 ……夜の匂いを濃くまとった風が、後ろから吹いてくる。

 私たちはもと来た道を戻って行った。

「――私は今年高校に入ったんだ。まだ数ヶ月も経ってない」

「学校は楽しいですか?」

「退屈だよ。でも辛くはないから、それで十分だと思ってる」

「随分と低い望みですね」

「理想は叶わないがゆえに理想なんだよ」

「なるほど。では瑠璃さんも世間一般的な輝くような学園生活に憧れはあるのですか? ――理想というのがそのことであるのなら」

「……うーん、そう言われたら違うかな。落ち着いていた方が居心地良いから」

「ということは今の生活が理想に近い……?」

「要素だけで見るならそうなのかも。実感としては全然違うけど」

「そうですか。ではどうしたら理想に近づくのでしょう」

「……それは多分無理な話だよ。私たちが私たちである以上」

 私たちにできるのは自分の知覚できる欠如を満たそうとすることだけで、つまりはマイナスをゼロへと近づけることだけだと私は思う。

 あとはせいぜい、美しい自然や芸術を眺めることくらい。それくらいしかゼロの先へと進めはしない。

「ミカはある意味で理想主義者かもしれませんが、瑠璃さんの言う通りだとも思います。人間が、それそのものが進歩するなんてありえないことです」

 夜道を、街灯に照らされた白線の上を、跳ねるようにミカは歩く。

 がらんとした空き地の向こうにコンビニの看板が見えた。青と緑の光が見えた。

「……さて、ミカは果物が食べたいです!」

「私はどうしようかな。私も果物にしようかな。……パフェは甘すぎるんだよね」

「パフェであればせめてコーヒーと一緒に飲みたいですけど、この時間ですからね」

「……コーヒー飲めるんだ。意外」

「コーヒーが飲めるミカはもしかしたら瑠璃さんより歳上なのかもしれませんね!」

「私だって好きだよ、コーヒー」

「それでは同い年ということで」

 なんでもいいよと答えて、人気のないコンビニの扉を押して入る。

 聞き慣れた電子音が流れて、もう冷房を付けているのか、ひんやりとした空気が肌に触れた。

 ミカは他の物には目もくれずに、真っ直ぐデザートコーナーまで行ってしまった。客は他に誰もいない。

「夜更けに眺める果物は美しいですね」

 冷蔵ケースの中、縦長のカップに詰められた果物たちが、白い蛍光灯の光につやつやと輝いている。

 それを見つめるミカの瞳に果物の色が映っているような、そんな空想がふと過ぎった。

「ミカはこれにします!」

「結構たくさん入ってるね」

「甘いものは別腹ですから!」

 メロンにオレンジにパインにグレープフルーツに、その他色々。

 どこかの工場で洗って切って詰め合わされた果物たちの、辿り着いた先は郊外の街の一般的なコンビニ。けれど本当の終着点がミカの胃の中であるのなら、それだけでその道筋は美しいものであるように思えるのだ。

 ……果物にそんなことを考えても仕方ないけれど。

「瑠璃さんはどうするのですか?」

「これにする。ミカみたいにたくさんは食べられないから」

 私がそう言って手に取ったのは小さなタルト。上に果物が乗っているけれど、量はほんの少し。

 ……さっきもデザートを食べていたのにまだ食べるミカがおかしいのだ。

「あ、これもミカが出しますから!」

「いいよ。そこまでしてもらうのは恥ずかしい」

「そうですか。そういうことならわかりました!」

 引き際は心得ているとばかりに、ミカは微笑む。あどけない声とは裏腹に、その配慮は大人のする類のものだった。

 ――ふたりして冷ややかな水菓子を手に、誰もいないレジへと向かう。

 カウンターの奥にすみませんと声を掛ければ、やがて虚ろな目をした若い外国人男性が現れた。

「……フクロは」

「いりません」

 ため息のように漏らされた言葉に、こちらも同じような小声で返す。

 店内放送で流れる女性の声が大きく聞こえる。

 ……ミカの会計も済んでから、今度こそ私たちはアパートへ戻ることにした。

 デザートを食べてから、ミカの布団や着替えを用意しないといけない。洗濯は時間が遅いから明日にしよう。あとは歯ブラシとか……きっと他にも用意するものがあるだろう。

 そんなことを考えながら、爽やかな夜更けを歩いてゆく。

 隣には白い服に金髪の、この世のものならぬ雰囲気の女の子。

 落ち着かないかもしれないと思っていたのに、何故だか妙にしっくりきている自分がいる。

「これからよろしくお願いしますね、瑠璃さん」

 振り向いたミカは、まるで闇に灯る明かりのようだった。


 ――そうして歩き出し、コンビニからある程度離れた頃。

 気分としてはもう部屋に帰ったも同然になっていた頃。

 ガシャアン!! バキン!! と、静寂を切り裂いて、何かが爆発したような衝撃音が辺りに響き渡った。

 私もミカも思わず首を竦める。

 音の出所は探すまでもなく、振り返ればさっきまでいたコンビニに車が突っ込んでいるのが見えた。

「瑠璃さん!」

「どうしよう……行こうか。どっちに電話したらいいかな」

「ひとまず110番しますね」

 ……警察に電話しているのを横目に、私はぼんやり、ミカがスマホを持っていたことに驚いていた。

 こんなときに考えることではないだろうけど、意図したわけではないのだから仕方がない。

 ……前の方が大きく壊れた車は火が出て赤々と燃え始め、コンビニから店員が出てきて慌てている。ひとまず店員が無事そうなのはよかったけれど、車の人はどうだろうか。

 コンビニの前まで戻ると、まだ運転席に人が残されているようだった。

 揺れる炎の間に、気を失った誰かが見える。

 その顔にどことなく見覚えがあるような気がして――ああ、さっき回転寿司で叫んでいた老人によく似ているなと思った。


 ――火は勢いを増して、すぐにその顔も見えなくなった。

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