第五話 サンドイッチのお礼
シルテットが買ってきたサンドイッチを頬張り、咀嚼する。
シャキシャキとしたみずみずしい野菜の食感。舌の上をなぞる卵のとろみ。それらをベーコンと共に挟んでいるパンの粉っぽさが適度に喉を乾かせる。
ここにコーヒーがあればとも思うが。その場でただ単に買い食いしてる感じも、これはこれでいいな。
手元に残ったサンドイッチの欠片を口に放り込み、飲み込んで。
「ご馳走様でした。いやー、やっぱ腹減ってる時の飯は美味いな!」
「食べるのはやっ。どんだけお腹すいてたのよ」
「おうコラ、誰のせいだと思ってんだ。食材はちゃんと補充しとけっての」
おかげで二日もの間、ほとんどまともな食事にありつけなかった。
まあ当人に悪気があったわけでもないし、これから気をつけさせればいい話だから、くどくどと叱る気もないけどさ。
今は空腹が満たされたから気分もいいしな。
で、予定通りならこのまま食材の買い出しへ⋯⋯と、行くところだが。
「⋯⋯ふう。危うく餓死するところでした」
「お、もう腹は大丈夫なのかよ。おかわりとかいらねーのか?」
「ねえ、それって私の奢りよね? 私が言うべきセリフよね?」
「当然」
「堂々とヒモ宣言しないでくれない!?」
きゃいきゃいと騒ぐシルテット。
「別にいんじゃね。完全に無駄遣いってわけでもねーんだしよ。それにほら、情けは人の為ならずって言葉もあるだろ?」
「この世界には多分無いわよ。⋯⋯まあ別の場所で召喚された勇者が広める可能性もなくはないけど、少なくともメジャーな言葉じゃないわね」
なるほど、それは盲点⋯⋯じゃない。
いつの間にか本題から外れてしまいそうだったので、軌道修正。
「⋯⋯とりあえず自己紹介、俺は楸タツキ。この横の銀髪女がシルテットだ」
俺がそう言うと、目の前で口をもぐもぐと動かしている少女は、慌てたように頬張っていたサンドイッチを飲み込んだ。
「んんっ、すみません。危うく食べ物を恵んで貰った相手に名乗らないままでいるところでした」
誤魔化すように小さく咳払いをし、こちらを見据え。
「私はネムって言います。職業は⋯⋯えっと、魔道士です。冒険者になるためにこの街へ来たはいいんですが、ソロでも出来そうな依頼が無くって、そのまま野垂れ死にかけていたところを助けて貰って⋯⋯今に至る感じですね」
なぜあんなところで飢えていたのかを端的に分かりやすく説明してくれた。
魔道士ってのはアレだよな。火とか水とかを弾にして飛ばしたり、雷やら風やらの自然現象を操ったりするやつ。
異世界ファンタジーの代名詞とも言える、魔法を扱う相手⋯⋯ぶっちゃけ興味が抑えられない。
「あっ、そうだ。お礼をしなきゃ」
ネムはわたわたと懐から小さな袋を取り出した。
それを手元で開け、中を覗いたかと思えば。
「⋯⋯うう、すみません。お金以外でお返しします⋯⋯」
実に哀愁漂う表情で、悲しげにそう呟いた。
財布がすっからかんだったんだろうなぁ。依頼がなかったとか言ってたし、一文無しってのも想像にかたくない。
そもそも成り行きで(シルテットのお金で)助けただけだし。別にお礼を期待して関わったわけじゃないしな。
しかし、お返しと言われて反応した女が一人。
「そう? それなら一個お願いしようかしら。もちろん身体で払ってもらう方向でのお礼、ね」
「ちょっと待てや」
言い方が不穏すぎる。
「え、えっと、身体で払うって具体的にどうすれば⋯⋯」
一方、その身をやや強ばらせたネムが、不安そうにシルテットへと問う。
「簡単よ。私の代わりに、この世間知らずな男を道案内してあげて欲しいの」
「⋯⋯ああ、そういう」
思わず安堵。
シルテットが出す案だなんて、どんな無茶ぶりが飛んでくるか分かったもんじゃないからな。コイツ、他人の扱いが割と雑すぎる節があるし。
「はい、お金は渡しておくわ。昼には帰ってきてよね」
「おい待て、せめてネムの返答を聞いてから⋯⋯」
「あっ、私は大丈夫です。正直私もそこまで土地勘があるわけじゃないですけど、どこにどんなお店があるかくらいなら案内出来ると思うので」
ネムはほっとしたようにはにかんで、快く了承する。
「じゃあ決まりねっ。帰ってくる時はこの鍵を使えばいいから、頼んだわよ」
どこからともなく取りだした、天使の羽っぽさを感じる意匠の拵えられた小さな鍵を、シルテットは俺へと放ってくる。
取りこぼしそうになったところを慌ててキャッチ。
⋯⋯何だこれ。どこに使う鍵なんだ?
「なあ。使い方──ってどこ行ったアイツ!?」
「あの、シルテットさんならタツキさんが鍵に気を取られてたタイミングでどこかに走り去られました⋯⋯」
「自由すぎんだろあの馬鹿」
視線を上げた時には、シルテットは忽然と姿を消していて。残されたのは俺とネムの二人だけ、となっていた。
唐突に作り出された男女二人きりの状況に、ほんの少し気まずくなる。
「⋯⋯あー、じゃあとりあえず市場まで案内頼むわ」
「市場と言ってもいっぱいありますけど、何を買われるんですか?」
「食材だな。家にはもう小麦粉が少ししか残ってなくてさ」
あとは調味料が少々、って感じか。
まあその辺は後から見ていくとして、まずはやはり肉や野菜、そして主食としてパンか米か。
米ってあんのかなぁ、異世界。俺みたいに召喚されたやつが普及してくれていれば御の字だけど。
「食材、ですか。それなら朝市に行くのがオススメですね、色々とありますから」
「へえ、色々と」
「ですです。たまーにですが、レアな薬草とかも安く売られてたりするので」
レア物。ソシャゲを経験している現代っ子ならば必然的にそそられる単語だな。
もしその薬草とやらを見つけて買ったとして、俺が薬を調合出来るとも思えないが。しかし他にも掘り出し物はあるだろうしな。
目的にも合致するわけだし、このまま朝市へ行ってみるべきだろう。
「ん、それじゃ俺はネムに着いてくとするぜ。レッツゴー朝市、おー!」
「お、おー⋯⋯?」
調子も戻ってきてテンションの高まる俺の動作に合わせ、片腕を小さく上げるネム。
「それじゃあ行きましょう。と言っても、大通り沿いに歩けばすぐに着くんですけどね」
「まあ朝市っつーくらいだからな、目立つ場所にあるとは思ってた」
「確か市場のある地区付近はまるまる商店街になっていたはずですよ? ⋯⋯私は行ったことないですが」
はは、と乾いた笑いを零しながら、ネムは悲しげな眼差しを道の奥へ。
この街へ冒険者になるために来たと言っていたが、多分ずっと金欠だったのだろう。ぶらぶらと買い物しながら店を見て回るなど、そんな余裕あるはずもない。
よくよく思えば、ネムは俺とそこまで変わらなさそうな年齢であるにもかかわらず路頭に迷っていた。
その事実がこの世界で生きる厳しさを裏付けているとも言えるだろう。
⋯⋯無性に日本での生活が恋しくなってきたな。
そんなことを考えながら、朝日が照りつける石畳の上を歩く。
十数分ほど歩いた頃、元々多かった人通りが何重にも増えていき。
「一応、到着です。買いたいのは食材でしたよね? それならこっちから見て奥の方に販売エリアがあったと思います」
「⋯⋯おーおー、すげぇ活気だな」
人口密度が先程までとは比較にならないほどに増えた区画へと、気が付けばたどり着いていた。
変わらず隣を俺と同じペースで歩くネムは、そのカチューシャの乗った金髪を揺らしながら、
「じゃ、じゃあ早く目的地へ行きましょう、タツキさん!」
まるで遊園地へと親に連れられ来た子供のような表情で俺を見上げ、今すぐにでも走り出しそうな勢いで前方を指さした。
察するに、買い出しというかショッピングには前々から興味はあったが、金欠が原因で来れる機会が無かったことによる反動か。
女子ってのは揃いも揃って買い物好きだからなぁ。
「あ、あれ。タツキさん?」
中々返事をしない俺の様子を心配げに伺うネム。
そんな彼女に対し、俺は。
「なあ、買い出しとか終わって時間が余ってたらよ、なんか適当に見て回るか? 流石に預かった金を使うわけにもいかねーから本当に見るだけになるけど。そんくらいの時間はあるだろ、多分」
と、提案。
「へ? いいんですか?」
「別に減るもんでもないし。何より俺も色々と見て回りたくはあるしな」
「やったぁ! ⋯⋯じゃなくて、えっと、お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えさせて貰いますね」
嬉しそうにネムが笑顔を見せた。
正解だったみたいだな、さっきの提案。俺は、良かったと胸を撫で下ろす。
「んじゃあさっさと買い出し、済ませちまおうぜ。結構な量になりそうだけど」
「あ、お荷物はお持ちしますよ?」
「女子に持たせられるかっての。周りからの視線が痛く感じそうだろ」
「なるほど」
他愛のない会話をしながら人混みを掻き分けていく。
何度か通行人と道を譲り合い、シルテットから預かったお金がスリに遭わないように気をつけながら足を動かし。
「タツキさんタツキさん、ここが仕入れられた食材の売られている区画です」
「着いたか──って、うわぁ」
思わず口をへの字に曲げてしまった。
「人混みがこれまでの比じゃねえ⋯⋯」
まるで大都会における出勤ラッシュくらいには、ギュウギュウに詰まった人だかり。
今から俺もこの中に突っ込む必要があるのかと思うと気が引ける。
「ど、どうしますか? 昼前くらいになったらある程度は空くと思いますけど」
「⋯⋯いや、行こう」
この後に控えているウィンドウショッピングの時間も惜しいしな。
見渡す限りの人、人、人。
俺は荒波に揉まれる覚悟を決め、ネムをお供に朝の戦場へと足を踏み入れるのだった。