第四話 はじめてのいせかい
石畳の敷き詰められた街路を歩く。
「うおお、マジの異世界! 剣だぜ剣、ケモ耳もいるぞシルテット!」
ここ数日もの間せまっくるしい部屋で軟禁状態だった反動か、テンションがやけに高い俺に対し。
「知ってるわよそんくらい。と言うか、あなたってそんなに馬鹿っぽいキャラだったの? 知らないうちに頭とか打ってない?」
隣に並んで歩くシルテットは、引き気味にこちらの様子を伺っていた。
こいつに馬鹿呼ばわりされるのは腹が立つが、それでも少年心が刺激されることに対する感動の方がより強く。
今はとりあえず視覚情報として異世界に来た気分を摂取し、少しでも昨日までに溜まっていた精神的な疲労を癒さんと、俺は目につく見たことない存在全てに反応しっぱなしであった。
まず真っ先に心惹かれたのは、やはり武器だろう。
日本に住んでいた頃であれば絶対に触れる機会なぞ無いであろう、物騒な金属製の剣や斧。それらが八百屋に並べられた野菜のごとく一般的な売り物として陳列された光景は、思春期真っ只中としてはただただロマン溢れる光景だ。
「おっ、兄ちゃん冒険者かい?」
「へ? ⋯⋯うおっ、熊ァ!?」
突如、ほぼ真上と言ってもいい角度から聞こえた声。
反射的に見上げれば、そこには大柄という表現が生ぬるいほどにずんぐりとした男性が立っていた。
「おう、熊人だぜ。見んのは初めてか」
気さくな笑みを浮かべる上で、熊の丸い耳がぴこぴこと動く。
つい目で追ってしまいそうになるが、あまり初対面の他人をまじまじと見るのも失礼だと思い。
「そっすね。ところでこの武器って、おっちゃんが作ったんすか?」
話題の方向転換がてら、あわよくば知り合いを作っておこうと会話を繋げる判断をする。
「残念ながら店前に並んでんのは全部寿造製の量産品だ。商人ギルドの方から仕入れたやつだな。んで、俺は別に鍛治なんか出来ねぇ⋯⋯だが、店ん中には腕利きの鍛冶師が打った剣もあるぜ! どうせなら見てくか?」
「ほうほう」
「頷いてんじゃないわよ。ご飯食べに行くんでしょ、置いていってもいいのかしら」
俺のすぐ真後ろでシルテットが呆れたように首を振る。
うん、まあこれは俺が悪い。
でも寄り道って買い物の醍醐味じゃん?
世の中を上手くストレスなく生き抜くにはどれだけ自分を正当化出来るかどうかが大事なのだ。つまりポジティブシンキング。
⋯⋯悪く言えば都合のいい頭をしているだけなんだけど。
「おおっと、連れがいんのかい。そんじゃあ引き止めるのも悪いわなぁ。ま、またここを通る機会でもありゃあ寄ってくれや」
熊のおっさんはけらけらと快活に笑い、俺とシルテットを無理に引き留めようとはしなかった。
第一印象こそ驚きはしたが、また来たいと客に思わせることの出来る店というのはいいな。人柄ってやつだろうか。
「そこの別嬪な嬢ちゃんもな。次来たらこの辺で美味い飯屋でも紹介してやるぜ!」
「別嬪⋯⋯中々見る目あるじゃない」
「この辺に住むやつなら十人中十人振り向くだろうな。そんくらい綺麗だってこったぁよ」
「⋯⋯⋯⋯お店の前に並んでる剣、全部買ってあげるわ。ほら、お金」
「ははは、面白い冗談──うおぉお!?」
どこからともなく取りだした、お金の入った袋をカウンターにどさり。
サイズ的には片手で持てるほどだが、置く時の音からして重量はありそうだ。何よりおっさんのリアクションからして、シルテットは本物のお金を出したのだろう。
⋯⋯本当にどっから湧いて出てきたの? 大丈夫なやつなのかな。偽造とかしてないか心配なレベルなんだが。
「どうしたの? 受け取りなさいよ」
「⋯⋯あ、あー、悪いが気持ちだけ受け取っとくぜ。一本二本買ってくれるだけで俺ぁ満足だからな」
あんぐりと口を開けていたおっさんは、シルテットに声をかけられて意識を現実に戻した。
「そう、そんなものなのかしら。じゃあ適当に一本ちょうだい、買ってあげるから」
「んー⋯⋯そうだなぁ、嬢ちゃんも兄ちゃんも線が細っこいしよ、この短剣なら二人とも使えると思うが」
「分かったわ、代金はいくら?」
「銀貨三枚だ」
俺の関係ないところで進むやり取り。
あれ、俺らって飯食いにこの街に来たんだよな。真っ先に寄り道しようとした俺が言うなという話だけどさ。
と、暇を持て余していると。
「はい」
「え?」
「報酬がないって嘆いてたでしょ。あげるわ」
⋯⋯おお。まさかシルテットからそんなセリフを聞けるとは。
実は心の中で俺に対する申し訳なさを抱いてたりしたのだろうか。まあ三日間も理不尽にパシられてたわけだしな、俺。
「そんじゃまあ、ありがたく貰うぜ。⋯⋯うおっ、結構重い!」
手のひらにずしりとくる金属の重みに、ちょっと感動。
修学旅行の帰りに木刀を買っていた友達の気持ちが今ならわかる気がする。やっぱ長物を持つとわくわくするのが少年の性ってやつなんだなぁ。
「満足したのなら、はやく行きましょ。お店は私が決めてもいいわよね?」
「おう、どんな料理があるかも分かんねーしな。行先に関しちゃ任せたぜ、シルテット。熊のおっさんもありがとな!」
貰いたての短剣片手に武具屋を出る。流石に刃先を剥き出しのままに持つわけもなく、鞘にしっかりと収めて腰に吊るした状態だ。
「貴族とその使用人、って感じか? いや、それにしても仕事の報酬で銀貨三枚の剣一本ってのもなぁ⋯⋯」
立ち去る寸前、おっさんがぼそりと呟いた。
⋯⋯思えば確かに、なんだかいいように丸め込まれただけの気がする。マイナス印象が大きければ大きいほど、不意に得たプラスの印象は輝いて見えるものだ。普段オラついている不良が捨て猫に優しくしてるのを見たらキュンとしてしまうような、そんな感じ。
「えーっと、朝から油っこいのは嫌だから⋯⋯」
隣で歩きながら考え込む仕草をするシルテット。
「おい。往来の真ん中で悩むな、危ねぇだろ」
「へ? ⋯⋯あー、それもそうね」
歩幅を狭くしつつ、街路の端へ。
このままのんびりと食前の散歩ってのも趣があっていいかもなー、などと呑気に中世ヨーロッパ風の街並みを見回していると。
「あ、あの。すみません」
ふと、少女の声が耳に入った。
「⋯⋯お?」
「下です。下ですよ」
いきなりだったのでどこから声をかけられたか分からずにキョロキョロとしていると、追加で呼びかけられる。
「下⋯⋯っうおわ!? 大丈夫かぁ!?」
「大丈夫とは言い難い、です」
言われるがままに足元を見れば、人気の少ない路地裏の中。そこにはぐったりとした表情を浮かべた金髪の少女が一人、体育座りのような格好でうずくまっていた。
一旦シルテットの傍を離れ、少女の前でかがみ込む。
「え、何、どうすりゃいいんだ? とりあえず救急車でも⋯⋯ってここ異世界! ちょっと待ってろ、ひとまず人を──」
ぎゅう。⋯⋯きゅるる、ぐぅ。
「──うん?」
一瞬、時が止まったような錯覚に陥った。
視線を少女に戻してよく見れば、体育座りのように膝を曲げて座っているが、その両手は内側に。
詳しく言うのなら、両の腕で抱えるようにしてお腹を抑えていた。
「あぅ」
「⋯⋯腹、減ってんのか」
「う、うう。お恥ずかしながら⋯⋯そう、です」
なるほど、と頷く。
さて、この場合どう対応するのが正解か。なにせ俺は一文無しだからな、出来ることは限られる。
と、いうわけで。
「ちょっと待ってろ。どうしてか分かんねーけど金だけはあるダメ女、呼んでくる!」
「えっ」
そう言い残し、俺は街路の方に置いてきたシルテットを呼びに駆け出した。
一方で、その場に残された少女は、
「し⋯⋯心配なんですが、それは」
心底不安そうに、裏路地を飛びだした俺の背中を見つめていたのだった。