第三話 外で動くならやっぱりスニーカーでしょ
この家へと召喚によって拉致られてから、早くも三日目の朝。
「おい、起きろ。食材買いに行くついでだ、朝食は外で適当に買おうぜ」
「⋯⋯⋯⋯んむぅう。大天使様の朝は遅いの。もうちょっと寝かせて⋯⋯」
「駄目に決まってんだろ。なあ、俺の昨日の夕食の量って覚えてるよな? キャベツ三切れだぞ?」
そう、昨日の夕食として俺が作ったキャベツとジャガイモの炒め物──そのほとんどが、目の前でごろごろとうつ伏せになっているシルテットの腹の中へと消えたのだ。
確かにあの食材はこいつの所有物だし、なんなら俺はこの家に部屋を貸してもらっている状態だから強くは出れない。
だけどさ、一応俺も育ち盛りの男子だ。ここ二日の間に食べたのがキャベツとジャガイモを少しだぞ? 耐えれるわけが無いだろう。
風呂やらベッドやらは一応あるし、服も借り物だが二日程度は何とかなった。今は元々着ていた制服を羽織っているが。
ただ、人が生活する上で大切な条件である衣食住、その真ん中が無ければやっぱりろくに身体も動かないわけで。
「おら、駄天使。無理やりにでも外に引っ張っていってやる⋯⋯!」
「やーめーてー⋯⋯」
足首を掴んで、ずるずるとシルテットの定位置であるソファから引きずり下ろす。
上に着ているぶかぶかのTシャツが捲れているが、今の俺にそんな事を気にする余裕はない。
「良いのか? このままだとマジで俺、買い出しすら行けなくなるぜ? そうなりゃお前の求めるちゃんとした飯には一生ありつけねぇぞ!」
「ううう⋯⋯一人で行ってきなさいよぉ。お金なら昨日の夜のうちに渡しておいたでしょ⋯⋯」
シルテットは俺の手から逃れようとしなやかな足をじたばたと動かす。
「右も左も分からん世界で一人は無理。職質でも受けてみろよ、帰るの明日になるぞ」
対して俺も譲らず説得を続ける。
流石に見ず知らずの異世界にたった一人で放り出されるのは勘弁だった。
「やだぁ⋯⋯お外やだぁ⋯⋯」
「うっせえ引きこもり。太るぞ」
「ふとっ⋯⋯はあ!? 天使は太りませんけど!?」
いつまでも駄々をこねるシルテットへと言葉のジャブを放ったら、上手く煽りに乗ってきた。
がばりとクッションに埋めていた上半身を起こし、こちらへとその端正な顔を向ける──うわ、ヨダレ垂らした痕ついてやがる。きたねぇ。
「確保。ほら早く着替えろ。それともその痴女みたいな格好で外に出るのかよ」
「出ないに決まってるわよ! ⋯⋯はぁ。仕方ないわね⋯⋯なんでこんな朝早くから起きなきゃいけないのかしら」
ぶつぶつと文句を言いながらクローゼットに手をかけるシルテット。
「んじゃ俺はリビングで待ってるわ。着替えたら呼んでくれ」
「えー、リビングまで行くの面倒なんだけど。部屋目の前でしょ? そっちに居なさいよ」
どこまで面倒臭がりなんだよこの女。
いったいどうやって一人で生活してきたのか、ただただ謎だ。アレか、天使としての能力でなんとかなってたのか?
「⋯⋯うい」
腹が減っていて言い返す気力も無く、軽く返事をしてそのまま廊下へ。
ちらりと廊下の先を眺めれば、リビングとして利用しているらしい広間へと続いている。
この家の間取りを昨日のうちに軽く見て回ったが、シルテットが宣言していた通り中々に広かった。
今いるフロアを一階として、二階にあたるフロアと地下一階にあたるフロアを探索した結果、部屋の数だけでも二桁はあり。その全ての室内が散らかっている事実に思わず表情が無になったのは、記憶に新しい。
シルテットいわく、あの適当に放置されている雑貨類は『信者達からの供物』とのこと。
あんなズボラ感満載の駄天使ではあるが、にわかには信じがたいことにこの世界ではしっかりと正式に祀られている、いわゆる神様に近しい高位の存在らしく。
多岐にわたる種類の供物が不定期的に捧げられ、その度々に溜まっていった結果があの惨状なのよ──と、俺は説明を受けた。
「そんな大層な存在には全く見えねーけどな」
現状、甘やかされすぎて世の中を舐め腐ったニート女子って印象しか無いぞ。いつかそのマイナス印象が覆る時は来るのだろうか?
「ねえ、洗濯物まだ乾いてなかったんですけどー」
「ん? 他にいっぱい服あっただろ⋯⋯うわ何その服ダサっ」
どこからともなく現れたシルテットに目を向ければ、絶妙になんの生物か分からないゆるキャラチックなイラストがプリントされたTシャツに袖を通していた。ズボンはジャージであり、上下を合わせればなんだか観光先で買ったご当地グッズをそのまま家で着ているみたいな服装だ。
「見た感じ、素材の良さで誤魔化してる感がすげぇな。ま、何でもいいや。さっさと行こうぜ」
俺はぼけっと突っ立ったままのシルテットに対して、部屋から出るよう促す。
しかし、シルテットは中々動こうとせずに、口元をによによとさせながら。
「ふーん。ふーん? まあ当然のことよね? だって私、天使だもの。素材が良いだなんて分かりきったこと、言われるまでもないわ」
──物凄いドヤ顔で、俺が言い放った褒め言葉を拾い上げた。
「調子に乗んなポンコツ天使」
「ポンコツなんかじゃありませんー。そこまで言うならそうね、すぐにでも大天使の凄さを分からせてあげるから!」
コイツの凄さが気にならないと言えば嘘になる。
胸を張って自信満々に言い切るほどならば相当凄いのだろう。普段の姿を思えばいまいち期待できそうに無いという辺りが残念なところだが。
未だ異世界らしい光景を一切見ていないのだ。
せめて、ファンタジーの世界観満載の何かしらをこの目で拝んでみたい。例えば魔法とか。詠唱と共に炎の弾が飛んだりするのかね。
「ほらほら、ぼーっとしてないで。外に行くんでしょ」
「ああ⋯⋯ってオイ。なんでドア閉めるんだよ」
「大人しく見てなさいってば。いくわよ?」
何を意図してか、シルテットは俺の部屋から出ることなく後ろ手に出入口の扉を閉め始めた。
急に何を⋯⋯と思うが、俺は口を閉じることになる。
「うりゃー」
シルテットが放つ間の抜けた声が耳に入るが、俺の意識は別の箇所に向けられた。正確に言うならば、つい先程閉じられたはずの扉の向こう側に。
「⋯⋯はあ?」
本来ならば廊下に繋がるべき、扉を開いた先は。
「なんだこれ。イリュージョンの類か⋯⋯?」
全く見覚えの無い、喧騒漂う賑やかな街並みが広がっていた。
「さ、下界に行きましょ。お腹が空いたわ!」
「下界って⋯⋯ちょ、待っ!?」
がしりと手首を掴まれ、引かれる。
あまりの出来事に不意を突かれて呆然としていた俺は、転びそうになりながらもシルテットの後ろを着いて行き。
「⋯⋯⋯⋯マジかよ」
ようやく、異世界に来た風のリアクションをとることになったのだった。
振り返ってみれば既に俺達の居た部屋は影も形もなく、路地裏に続く細道が続いているだけ。
何がどうなってここに繋がったんだろう。あのゴミ屋敷は裏世界的な場所にでもあんのかね。
いやまあ。異世界にある裏世界とか、言ってはみたもののややこしすぎるしその辺は追って聞くとして、だ。
「これ、大通りっぽい方面に出ていいんだよな? 怪しいヤツらって思われねーか不安なんだが」
「大丈夫だと思うわよー。だって、過去にこの世界に召喚された勇者が色んな文化を広めちゃったもの。だからあなたの着てるそれ、制服だっけ? 似たような衣服も出回ってたはずよ」
なるほど、つまり前の世界でよく見た衣服はこっちの世界でもオーソドックスということか。
確かによく考えてみればシルテットの部屋にあった服もTシャツやらジャージだったしな。納得。
視線を自分が身に着けている制服へと落とす。
黒色を基調としたデザインはシンプルなもので、余計な装飾もなく割と動きやすい。ズボンに関しても、裾の長さは踵で踏まないくらいに揃っており走ることも問題なさそうだ。
で、靴は。靴、は──あれ?
「おい」
「何?」
「部屋用のスリッパで街を出歩くつもりじゃねえよな」
「⋯⋯あっ」
おい。完全に気付いてなかったぞコイツ。
そりゃそうだろ、部屋にいるタイミングで何の用意も無しに連れてこられたんだから、外用の靴なんて履いてるわけがない。
「で、どうするんだよ」
「う。い、いったん帰るわよ」
ミスを誤魔化すように目を逸らしながら、シルテットは路地裏の方へと戻り。
「えいっ」
今度は空中の何も無いところでドアノブを捻る動作をしたかと思えば、見覚えのある部屋が現れた。
ほんとどういう原理なんだ、コレ。どこからでもあの部屋にアクセス出来るのか?
「だとすりゃ思った以上に便利だな」
ひょい、と足を踏み入れれば家に到着。
学校に通っていた時に欲しかったよ、このシステム。
俺はそのまま、しれっと昨日のうちに雑貨類の中から見繕っていたスニーカーっぽい靴に履き替え、いつでも再度外へと出れるように準備する。
シルテットはと言うと、また別の部屋に靴は置いてあるらしく、外へと繋がる扉を閉めて今度は普通に廊下へと扉を繋ぎ、部屋から出ていった。
「さて、紆余曲折とあったが、やっと異世界ってのを見て回れるな」
こっそりと胸の中でわくわくとしながら、俺はシルテットの帰りを待つのだった。