人生・宗教・歴史
自らの欲を満たすために生きている人間を私は神様だとは思えません。
地球という生命の星が誕生し、人間が生まれ、もう何億年も過ぎた世界で私たちは生きている。その何億年もの時間の中でたくさんの歴史が刻まれた。そしてその歴史の多くがまだ残っている。それは人間のもつ美意識からだろう。
日本では文字や紙、あるいは読み書きの方法があまり流行していなかった時、琵琶法師という語り部が話を語り、その話を聞いたひとがまた語るという方法で伝えられてきた。代表的なものは平家物語や竹取物語だろう。
さて、なぜ日本人は話を人から人へ、口から口へと語り物語を、そして歴史を紡いでいったのか。それもまた前述した美意識からだろう。
私は前の二章で大変人間という生き物が嫌いになった。しかし、その反面醜さが故の美しさも持っているのではないかと視点を変えてみた。すると私が今まで気づきもしなかった人間の美しさというものが浮き出てきた。そこで、この章では人間を悲観せず美しさを書くことにする。
なお、私の主観がメインである。
〈人生〉
人間がこの世に誕生してから命尽きるまで歩き続ける道のことだ。その道は人によって違う。「人生谷あり山あり」という言葉がまさにその象徴だ。
人生というものは人間以外にもある。虫や植物、人間以外の動物にだって生涯という名に変わるが人生がある。私は人間の生涯が一番美しいと思う。
人生というものは色々なものに例えられる。「人生はリセットやセーブができないゲームだ」や「人生は一度きりの大舞台」などと言われる。人間はそのゲームだったり舞台の上でたくさんの選択をする。例えば、朝起きるか、このまま寝るか。両親におやよう、と声をかけるか、かけないか。そのたくさんの選択をしたうえで、自分の未来がどうなっていくか決まってくる。つまり、ゲームをただの作業ゲーにするのも、無観客の舞台で独り芝居をするのもすべて自分で決められる。せっかく芽吹いた新芽を殺すも生かすも、すべて自分自身。
自分自身を華やかに美しく楽しいものにカスタムできるのはほかの誰でもないのだ。なんて美しいのだろうか。しかし、他人の人生に干渉しようとするものもいる。なんて醜いのだろうか。
〈宗教〉
地球は唯一、多種多様な生物が暮らす生命の星だ。その見た目は青く美しいとされている。私は何度かこんなにも青く輝く美しい星に我ら欲深い生物が生きていて本当に大丈夫なのかと心配している。
私はどのようにこの星に生命が生まれたのかを宗教的に考えるのを好まない。神が人間を創造したという説もファンタジーに溢れ面白いとは思うが、真面目にそれを信じようという気にはなれない。まずまず神というものの得体がしれないため非現実的だ。例えるなら子供が真面目に魔法を信じているのと同じだ。
決して宗教はファンタジー性に溢れた意味のわからない団体だなどと言っているわけではない。それどころか、神を信じ清く生きる人間に敬意を払うべきだと考える。確かに、得体のしれない神という存在に自らの身を滅ぼしかねない行為をするのはいかがなものかと思うが常識の範囲内で行うのであればいいのではないか。
この小説を書いている今でもユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の聖地となっているエルサレムでは未だに争いが起こっている。同じ思考を持つものが集い、その知識や思考を共有し、決して他の思考のものとは関わらずある意味平和を保っていく人々の集いが宗教だと私は認識していたがどうやらそうではないらしい。
この世にある宗教は全てが異なる神を信仰している。私は神など信じていないので、よくわからないが争いを行ってしまっては天罰が下るのではないか。
一心に神を信仰しているはずが武力を行使し人間同士、宗教同士で争いなど天の神様も泣いているだろう。
〈歴史〉
さて、ここまで美しさについて書いたが私はやはり人間は醜い生き物だと思う。人間の美しさに目を向けてきたつもりが私は人間の汚点ばかり見つけてしまう。私もやはり人間全体を支配と密かに思う独裁者なのだろうか。
しかし、醜さだけではないことは確かだ。美しさがあったからこそ、歴史は刻まれ今日まで伝えられている。つまり、歴史というものは一つの大河なのかもしれない。美しさというものが流れその流域を広げるが、人間の持つ醜さによって狭まる。絶対に流れは止まらない。
平家物語を例にしよう。初めのうちは武士らしさというものがあり、それによって功績を讃えられ平清盛は武士として初めての太政大臣になる。だが、彼は欲張りすぎた。無常に逆らったのだ。そこで源氏が平氏を滅ぼし、鎌倉幕府を立てる。この流れだけでは平氏が欲にまみれたところで大河は止まっているように思えるが、実際は源氏がもう一度武士らしさ、言い換えると美しさと取り戻し大河をもとに戻したのだ。
このあと、鎌倉幕府は武士の基本となる御成敗式目を定める。内容を見るとそれは美しさそのものだ。
この章の題名は鴨長明の方丈記冒頭からだ。人生は儚く無常である。しかし、その儚い時間の流れの中に生きている私達は愚かで常に時間の流れを恐れている。年を重ねるのも、時間が過ぎ去っていくのも。
私はやはり人間が嫌いだ。美しいなど微塵も思わない。なぜ、美しさについて書こうと思ったのかと自分を殴りたくなるような気持ちだ。
第四章も乞うご期待ください。