私が風俗店員の時に修得したらしい”心が傷つかない技術”について
さて、批判的な感想については作者目線であればいらない、という意見が圧倒的に多く、読者目線で見ればなんで? ということが多い気がします。
それは批判的な感想が一つでもあれば、作者は心が折れるからというものであるようですが、私の場合はなぜそこまで? という感じでもあるのですね。
で、どうやらその理由が私が風俗店員の時に修得したらしい”心が傷つかない技術”によるものではないかと思い至ったわけです。
風俗店員というのはめちゃくちゃ見下されやすく、低学歴の低能でもできるし、そこで働いているのは恥ずかしいことみたいに思われていたりもします。
実際は商品である風俗嬢が生きて感情を持つ人間であるのでめちゃくちゃ大変なのですが。
で、まあ風俗で受付に入っていたりすると、客を誰につけるかの権限は受付にあるわけですがそこで客をつけた女の子には何も思われないけど、つけなかった女の子には悪く言われたりするものです。
なので、当人がいないところでの悪口とか、歩ストラブのような匿名掲示板での売れない女の子の売れてる女の子や店員への抽象誹謗であふれていたりします。
でまあ、そんな場合に必要な”心が傷つかない技術”は”開き直り”と”そこでの自分を他人として客観的にみるペルソナに対しての視点”だと思うのですね。
例えば願望まみれのラノベ・同人誌、レディコミ・ハーレクイン・TL・BLなんてキモイという意見があったとして、ディスニーやジブリも同じだよと私は思うのですね。
私は男性向け女性向けを問わずラノベや漫画、同人誌を読みますし、レディコミ・ハーレクイン・TL・BLでも趣味的に合って面白いと思えば読みます。
逆に写真集とか、サムソンや薔薇族みたいなホモ雑誌は興味がないので読みませんけどね。
それをきもいといわれたところで”だから?”としか私は思わなかったりします。
また”そこでの自分を他人として客観的にみるペルソナに対しての視点”というのは、きもいだの無能だのいわれているのは風俗店員としての水源であるので、個人としての水源は傷つく必要がないという視点です。
要するに悪く言われてるのは仕事の上で必要だからそういう行動をしている水源という風俗で働いている人格なので水源個人ではないというわけです。
そして作品や作者というものもの個人としての水源とはまた別物です。
なので作品が批判されたからといって、水源個人の人格否定をしてくるような読者は問題外ですし、悪意で傷つけるのを楽しんでいるのであれば、それこそ”そんなことをされても私は別に傷つかないし、あんたの相手をするほど暇じゃないよ”という対応をしないと相手を喜ばせるだけですからね。
結局そういう人は他の方法では他人の気を引けないかまってちゃんだけなので。
作者の性格が悪かったらその人の作品を読みたくなくなるというのはわからないでもないですが、そういう人たちは ”ヨハネによる福音書”の”あなたたちの中で罪を犯したことのない者がこの女に、まず石を投げなさい”もしくは”撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ”という言葉を考えるべきなのでしょうね。
自分の言葉がブーメランとして帰ってきても怒ったりするべきじゃないのにそういう人に限って怒り出すことが多い気がしますが。