51 アキヒサの帰郷
帝都を発ってから船内の空気。は末期の家庭のようだった。
リーダーのはずのドナテラはふさぎ込んでいる。父と姉はクーデターで安否不明、ロバートは独断専行で行方不明。ネガティブな事態に往復びんたされて、完全に参ってしまって船室に引きこもっている。オーロラとアキヒサはかける言葉が見つけられず刺激しないように努めるばかりで、ギドが一人苛立ちを溜めていた。
「あのデブ商人のせいで散々だ! 全くもう」
「なあ、なんでバルウズが持って来た手紙が偽物って分かったんだ?」
「知らなかったさ。だけどペテルセンはブレイカーズを残す腹だった。替えの効かない兵器として、そして自分の器を示す道具として利用するつもりだったんだ。ふざけた話だよ。それにいくら根回しが完璧でも小競り合いは絶対に起きる。もう時間はないんだ、政治的な争いに巻き込まれてる暇はない。もしペテルセンが魔族殲滅に協力的ならいくらだって近道があったはずだ」
「……。でも、これからどうするの? 追手はないみたいだけど、どこへ向かうの?」
「これを見てくれ」
ギドは数枚の書類を机の上に置いた。それはワトキンス医師がまとめた"病気"のレポートだった。
「それを持って来たのはロバートだ。僕がクルト号に着いたときにはそこにいて、これを押し付けてまたどこかへ行っちまった」
「ロブ……。とにかく、これを正しく理解できる人に見せねぇと。そうだオオグロ博士! 俺の故郷へ向かおう。そこできっといいアドバイスがもらえるはずだ」
サミダ浮遊島の方角は今の進路から少し右上に舵を取った先にある。島の外周は歯車のようにギザギザしていて、魔空挺を隠すには最適である。島自体は小さいので街は「サミダ」一つしかない。
ドナテラは二日目も、船室の前に置かれた食事に手を着けなかった。忍耐が切れたギドは船室に乗り込むと、ぼさっとした金髪の小さな体がベッドの上で体育座りして顔を埋めていた。
「いつまでそうしているつもりだ? 僕がリーダー代わってやってもいいんだぜ。もう皇帝の手を離れたフリーランス部隊のようだからな」
「…………っ」
ドナテラは涙で歪む顔を上げて睨みつけた。いつもは艶やかでもちっとした童顔が、今はまるで十も二十も老け込んだようだった。ギドは意地悪言う気が冷めてしまった。
「いいか、夕方前にはサミダに着く。それまでに涙を止めて飯を食って向こうの代表者と会う心の準備をしておけ。それが出来ないなら一生ここで引きこもっていろ。そのときは僕のチームだ」
言うだけ言うとバタンとドアを閉めて会議室に戻った。この様子を見ていた二人は、こういう役目は親交厚いものがやるべきだと自覚しているだけに強く言うことが出来なかった。
夕暮れ前、サミダ浮遊島に到着した。魔空挺を手ごろな場所に隠し、持つものを持って街を目指す。緑の匂いに柑橘の爽やかさが混じるのがこの島の特徴である。こんな穏やかな風を受けても、サシャは相変わらず魂の抜け殻だった。ショックから立ち直っていないので自分で考えて行動するということが出来ていない、いや、しようとしないのだ。それなのでアキヒサはすっかりお守り役であった。寝食の管理も会話を試みるのも彼だけだ。ドナテラとギドはともかく、オーロラが無関心でいることがアキヒサには不可解だった。サシャの話が聞ければ、噴水広場で起きた出来事も正確に分かるというのに。
そんな折、アキヒサの眼に街の影が映った。故郷。父と母、そして愛すべき亡き兄ヒロヤス。忘れた日はなかった!
「あぁ、懐かしい。あの風車の建物はレジオさんとこのレストランだ。きっと行くからな」
「呑気ね」
「故郷に帰ればこんなもんさ。……そういえばお前の故郷はどこなんだ?」
オーロラは返事をしなかった。この女性は一度だって自分の過去を話したことはない。固く鍵を閉めたように、一言も。何かよほどの訳があるのだろうが、少しくらい話してくれてもいい出じゃない、とアキヒサは常々思っていた。だが質問を重ねるのは思いとどまった。
街道はのどかに時を刻んでいた。人々は談笑に足を止め、まるで思い付きでその日を暮らしているようだ。そんな人たちにとってブレイカーズは色物集団以外の何物でもなく視線を集めた。中にはアキヒサだと気付いた者もあったが、有無を言わさぬ雰囲気が人を近寄らせなかった。
そして街の代表者、アサマ家をノックした。二階建ての肌色の建物はどこも変わっていない。玄関から顔を出した老人の顔も、はりがあって元気そうだった。アキヒサは感極まって瞳を潤ませた。
「ただいま、父さん」
「……アキヒサ!」
背の低い老人は息子を抱きしめ、みんなを家に上げた。島長は快く広い居間を開放してくれた。アキヒサはいの一番にギド老人が腰かけた横長ソファにサシャも座らせ、父と握手した。
「今日はちょっとばかし良くない話があるんだ。その前に、母さんはどこにいるんだ?」
「あぁ、実は、半年前病気になってな。それが結構、悪性だったもんだからそのまま……ウッウゥ」
「ま、まさかそんな……嘘だろ?」
アキヒサの顔が青ざめた。悪いことは続くものである。みんな難しい顔になって首を横に振った。父の頭など、スパァン!と叩かれて下を向いている。叩いた張本人はあきれ顔だ。
「このクソ爺、ヒロヤスのことがあったのによくもまあそんな冗談が言えたもんだよ! アキヒサ! あたしはこの通りだからね! フナキさんとこのせがれが農業やるってんでその手続きに行ってたんだよ」
「なんだ……はぁ嫌な汗かいたぜ、この馬鹿親父め。ただいま、母さん」
「あぁ、おかえり。みなさんもようこそいらっしゃいました」
この時は久しぶりにみんなが微笑んだ。