41 蒸発した火種
『【帝都崩壊の足音か?】
先日より帝都内で二つの噂がまことしやかに囁かれている。それら全ては悪い噂なのだ。
一つ目は魔空挺クルト号の停泊である。一週間前、ブレイカーズが運用するクルト号がひっそりとトロプ城のドッグに着けたのを何人もの市民が目撃した。その活動とメンバーは不明ながら(ドナテラ第二王女が所属することのみ明らかにされている)、重要な役割を負っているとされる。クルト号は未だに出航の様子がなく、何か深刻な事態が起きているのでは、とする声がある。
その噂を強めたのが言わずと知れた名医ワトキンスだ。クルト号の停泊と時を同じくして、ワトキンス医師が何度も城を出入りする姿が目撃されている。クルト号の停泊期間中ながら、トロプ一族の中でドナテラ第二王女だけは一度も目撃されていない。
二つ目は夜中の殺人のエスカレートである。治安機関の懸命の捜査にも関わらず殺人犯の所在は一切掴めていない。しかも、最近になって被害者の様子が変化したという。これまでは残忍にも死後に遺体を加工した形跡が見られたが、今ではそんな遺体の隣に絶命の表情を浮かべた別の遺体があるのだという。その遺体の死因は複数の器官の破裂だと言うが、その殺害方法は謎に包まれている――』
「同時多発的に起きている一連の悪いニュースに、皇帝はどう対処するのだろうか――、どうもこうも、不安を一番煽ってるのは日刊貴国じゃないか!」
夜の明けきらない路地裏で、落ちていた記事を読みながらルーは憤慨していた。ロバートはそれには無関心で、悔しそうに現場に残された青い花を凝視していた。
「ドルド、また貴様はいの一番にかけつける癖に犯人を逮捕出来ていないな? 首を突っ込むななどと大見えを切ったくせに」
「そういうことは、私より先に現場に着いてから言うべきかと思いますがね」
お互いに小言を言いあう。標的の気配を感じてから即座に現場に急行しているのに、その場に着く直前にいつも気配が消える。限りある変身薬が切れる前になんとかしなくてはと、内心焦りが出ていた。そして問題はもう一つある。標的が予想に反して二人らしい、ということだ。
「隊長、ちょっといいですか?」
「なんだ」
ルーの部下が少し不安そうに上司の顔を覗き込んだ。ちなみに、明らかにルーより年上である。
「関係あるか分かりませんが、事件があったと思われる時間に女の歌声の様なものが聴こえたと近所の住人が言っていまして、その……一応ご報告をと」
「歌……?」
「はい。その住人というのがこの赤レンガの建物の住人で、現場と壁一枚隔てたトイレに行ったそうです。すると歌声が聴こえてきて、物凄い頭痛がしたのですぐに引き返して寝たとか……」
「うーん? ってあれ? あいつは?」
辺りを見渡すと、ロバートの姿は完全に消えていた。
***
平原の上でセロがポツンと立ち尽くしている。そのから少し距離を置いた先で、メルナドールが二挺のヴァイオリンを構えた。……っと半呼吸置いて、泣き叫ぶような高速で短調なメロディーを奏で始める。途端に空気が震撼し、一体の地面に散らばっていた小石や岩が音もなく浮かび上がってセロを包囲した。もはやそれに当たらずに移動することは出来ない。
転調し、メロディが長調に変わると同時にセロを囲う凶器が一斉に雪崩こむ。岩石が青緑色の体に捉える度に、そのゼリー状の体はぶわっと霧散していく。セロは攻撃を躱しているのだ。だが、無数の岩石はそれぞれが意志を持つかのようにセロを探して猛烈な勢いで飛び交い続けている。
セロは今度は霧散した体を銃弾のように収束させ飛び交う岩々を正確、鋭く粉砕していった。コンマ1秒辺りに平均200の岩石が砕かれていく。その砕けた音が束となり轟音を立て、甲高いメルナドールのヴァイオリンの音色をかき消さんばかり。
メルナドールは目を七色に輝かせ、音量をひたすら上げた。これは彼女自身が嫌っている魔法の一つだが、特殊なヴァイオリンの波長を届けられなくなると魔法そのものが無効化されてしまう。
一分も立てばもう空を舞うのは粉砕されたチリで、傍から見れば砂嵐だった。そこでメルナドールは手を止めた。砂嵐は平原のパウダーになり、その上に霧散したセロが再び姿を現した。
メルナドールは楽器を仕舞い、ぴょこぴょことセロの元へ向かう。
「お疲れ様です。だいぶ反応速度が上がりましたね。それに精密さも間違いなく及第点です」
「えっへへ……。グアンやデキンスには敵わないが、俺もそこそこ強くなれた。勘を取り戻したって言った方が良いか。メルナドール将軍、稽古に付き合ってくれてありがとう」
セロは少し照れたように微笑み、メルナドールもまた楽しげである。
「いいんですよ。私も戦闘魔曲のいい練習になっていますよ。これ、コンサートで演奏するのとは結構勝手が違うんです!」
「そうでしょうね。コンサートでは必ず何かの色が伴っていたが、魔曲では一度もそれを見たことがない」
それを聞いて、メルナドールは「え!?」と驚いて、セロの両肩に触手を乗せた。
「セロ、あなたは色聴の持ち主だったのですか!? なーんでもっと早く教えてくれなかったんです!?」
何かのスイッチが入ったらしい。興奮するメルナドールに圧倒されてセロは後ずさり、公開で身体の色がわずかに濁った。
「え。と? 色聴とは?」
「だから! それのことです。共感覚の一種で、文字や数字に色を見たりする非常に特殊な感覚で、人間の未知の能力です。デオマルクさんから聞いたことはありましたがあぁ、こんな身近に! 一度聞いてみたいと思ってたんです、私の……私たちの演奏は何色なんですか……?」
「な、なるほど。えっと、初めて聴かせてもらった『四色の人形に捧ぐ協奏曲』はとにかくいろんな色が見えた。光の玉がふんわり飛び交う様な感じなんだが、ヴェールのように光が広がる瞬間もあったり。で、ええと、色は一概に言うのが難しいな。水色、山吹色、黄色、朱色。とにかく曲と楽器の音色によって様々だったよ。でも、それはすごく一体感があって――」
セロのおぼつかない説明を、メルナドールは真剣に聞いていた。
「そっか。美しいんでしょうねぇ……。私がそれを見れないのは残念だけれど、少しだけ分かった気がする。ありがとうございます、楽団のみんなにも話してあげなくちゃ!」
そう笑う声が心から嬉しそうで、セロも嬉しくなった。グアンがいなくなってからしばらく、メルナドールはあからさまに元気が無かったのだ。当人は誤魔化せていると信じているようだが、騙せているのはメルナドール自身だけだった。
一方その頃、デキンスは要塞で資料を漁っていた。もうかれこれ二百年前の事件に関するもので、秘匿性が極めて高い。
「あった。これだ」
そう独り言ちて、一つの書類を手に取った。『スパーカーに関する事実』。
ぺらぺらと苦い顔をしながらめくっていく。殺しは重罪、当然捕えなくてはいけないが最後まで捕らえられなかったやつがいた。スパーカーと名乗った犯人は神出鬼没で被害者は痛みもなく即死。傍には必ずヤカラベという青い花を添えていた。ロスピュリ島では鎮魂の意味を持つ花で、現状に絶望した思想犯だと見られていた。
「何をしているのだ?」
「閣下……。少々昔のことを思い出しただけですよ」
デキンスが手にしているモノが何か分かると少し不機嫌になったようで、顔を背けた。
「なぜ今更そんなものを……」
「地下牢に行った時、なんとなく頭をよぎりましてね。正体が掴めないままやつの殺害が止まったのをいいことに、我々はやつを葬ったと公表し誤魔化した。今もどこぞでのさばってるかと思うと虫唾が走りますよ」
「私も同じ気持ちだ、デキンス。嫌なことばかり脳裏に焼き付いて敵わんよ。この体は記憶力が良すぎる」
全くその通りだ。デキンスは資料を閉じ棚に戻した。今更どうにか出来る話ではないのだから。
「地下牢のグリムの様子はどうだ?」
「ずっと自問自答してますよ、少年の人格とグリムとで。諦めたわけではないでしょうから、今後も警戒は続けていきます」
「そうしてくれ。やつが大人しくしているうちに、残りの三人がこちらで生存できる術を見つけてくれるといいのだが……」
リナス元帥は少しばかり不安を覗かせた。以前は気付けなかったろうがあまりにも長すぎる付き合いの末、そういった感情の僅かな起伏にもお互い気付いてしまう。毅然としているべき、という帝王学は形骸化していると言って良かった。
「我々は我々に出来ることを! 何かご命令ありますか?」
生真面目なデキンスには珍しい陽気な口調にリナスはきょとんとし、笑い出した。
「長年かけてようやく社交性が身に着いたな! では気分転換にプリンでも食べようじゃないか」
「いえいえ、かしこまりました。このウェイトレス・デキンスが閣下のためにプリンをお持ちしましょう」