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40 地獄の共振

 普段、スラッグが一日を過ごすその区画は死んでいた。旧スラムに人の影はなく、朽ち果てた納屋や投棄された悪臭を放つゴミがサシャの五感を殴りつける。目がやられて泣きそうになりながら手を引かれ、やがて一軒の家屋に連れ込まれた。

 驚いたことにごみ溜め同然の外とは対照的で、チリ一つ無いほど清潔に保たれ悪臭もしない。それどころか見たことない可愛らしい青い花が飾られて、そこから漂う柔らかな香りが気持ちを落ち着かせさえした。


「どうだいどうだい? 俺たちの家、悪くないだろ!」

「そぅ……ですね」


 陽気なスラッグの機嫌を損ねないようにサシャは無理くり笑顔を作った。目の前にいるのが殺人犯だと言われても疑いそうになっている、そんな自分への動揺が混じった笑みでもあった。やはり信じたくないのだ。自分の憧れたスターが悪者だということを。

 スラッグはサシャをリビングのソファーに座らせると、お茶を淹れてやろうと言って奥に消えた。

 片目をきつく閉じて頬杖を突いた。苦し紛れの出まかせで弟子になったけど、これからどうすればいいんだろうか。いや、どうなってしまうんだろう、と言った方が正しいか。なんせ、自分に行動の決定権があるようには思われないのだから。

 スラッグはすぐに戻ってきた。またオシャレなカップにグリーンティーが淹れられ、促されるまま口に含めばほんのり温かい風味が口内を踊る。


「美味しい……」

「そうだろうそうだろう! クーラ、上の空き部屋を掃除して使えるようにしておいた。それを飲んだら今日はもう休め」

「え……?」

「疲労が丸わかりだ。奴隷小屋に居たんだしな、ベッドで休むくらいの時間は無くちゃいけない」

「ありがとうございます」


 急激に心が落ち着きだしていた。スラッグが何を考え何をしているのか、知る必要があるかもしれない。見方を変えれば自分は助け出されたのだ。クレイグが自分を使って良からぬことを企んでいたのはその言動から明らかだった。

 その後、サシャはベッドですやすやと眠った。一晩中張り詰めていた体は確かに、睡眠を求めていた。


 目が覚めたのはすっかり暗くなってからだった。カーテンを開ける必要はない。妙にすっきりした頭をくるりと回し、そろそろと下の様子を窺った。明かりはついているが、サシャの位置からスラッグは見えなかった。静かに下の階に降りて見回しても、やはり見当たらない。彼が今まさに殺人をしている、そんな想像が浮かんで背筋が震えた。


「おー、おそよう」

「ヤーーー?!……あ、あぁ。おそようございます」

「悪い悪い、脅かすつもりはなかったよ。その様子だとまずまず眠れたらしいな」

「は、はい」


 スラッグはいつの間にか背後にいて、手に持った何かをサシャの手に掴ませた。それは銀色で握りこぶしより細い程度の筒のような形をしていて、先端が球状になっていた。説明を求めてスラッグの顔を見た。とても満足そうだ。


「それはクーラの武器であり防具だ。歌劇に暗殺、君が学ぶこと全てを可能にする」


 暗殺……


「特別な拡声器、魔法の力が込められてる。君を殺しかけたデキンス……あぁー、憎き魔族も殺せるし、想いを寄せる小僧だって守れるだろうさ」


 え……?





 どういうこと?


 なんで、それは? 

 私はロブを追ってここに来て、それを話してないのに


 魔族を殺せる? 


 ロブを守れる?


 サシャの頭は真っ白になり、パニックに陥った。自分が師匠にしてしまった男は一体何者なんだ? 洞察、推理、そんなものでは決してない。


「落ち着けよ、()()()。世の中には想像も出来ないようなことがいくつもあるんだ。これはその一つ」

「…………」

「言ってみろ、今お前にとって最も大事なことは何だ?」


 嘘もはったりも、この男の前では意味をなさない。本心を問われ、脳を支配するのはあの顔。ブロンドの髪で、あどけない笑顔を浮かべて、姉ちゃん姉ちゃんと縋りつく。


「ロバートを、守ること。笑顔を守ること……」

「悪くない。そこでもう一度その拡声器だ。この胸像が何かわかるか?」


 スラッグが取り出し、置いたのはサシャとロバートを襲った魔族、デキンスの胸像だった。拡声器を握る手にとめどない汗が滲む。サシャは無言でうなづいた。


「ではレッスン1だ。それを通して叫べ」

「……え?」

「拡声器だと言ったろ。満身の心を声に乗せ、この胸像にぶつけてみろ」


 なんだが逃げ出したい。何となく、この先に行ったらもう戻れないような気がして、でも金縛りのように動けなかった。

 胸像に目を向ける。憮然とサシャの前に居座り、手が剣の柄におかれている。拡声器の先端を口に近付け、大きく息を吸った。


「やぁーーーーーー!!!!!!」


 雄叫びであった。獣の咆吼のようであり、神話に登場する悪魔の断末魔のようでもあった。

 拡声器を通して音は鋭く拡散した。家具が倒れ、食器は割れ、何かが崩れもしたが、その音もこの叫びに掻き消されている。


「ーー…………。ゴホッ、ゴホッ……」


 息が切れた。そしてサシャは胸像だったものが粉微塵になっているのを見た。慈悲も容赦もそこにはない。不安定な炎がサシャの中に灯った。


「予想以上だな。危うく俺まで怪我しちまうとこだった」


 スラッグは少しだけ楽しそうに言った。


「回りを見てみな。全部、お前がやったんだぜ? 胸像も壊れてくれたが、家がめちゃくちゃだ」

「師……匠。これは、私は……?」

「力を手に入れたってことだ。まるで制御は出来てないが、そこはほら、俺がいるだろ? そう、俺がいる。実際、期待以上だ」


 自分はロバートに会いたい一心で、ノコノコ帝都まで来た。会えたとしてもすぐまた離れ離れになるかもしれない。戦場から連れ戻せないかもしれないし、自身は戦えないから守ることだって出来ない。

 今、手段と選択肢が出来た。危険な道に進む覚悟も、彼のためなら出来てしまう。

 サシャはスラッグに頭を下げた。


「師匠。私クーラに力の使い方を教えてください」

「勿論だ。さっきも言ったろ、さっきも。だけどその前に拠点を移すとしようか。今の叫びを聞いて、誰か寄ってこないとも限らん」


 五分後にはもう、旧スラム区画に二人は居なかった。

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