39 そうしてこう
要塞最上階の大部屋で、ガリンガム将軍から事の説明がなされていた。三体の魔族は静かにそれを聞いている。
「ガリンガムの決断を尊重しよう」という、リナス元帥からはその一言のみ。髑髏の視線は何を見て何を考えているのか図れない。しかしガリンガム将軍は自分の決断に自信があるようだ。自分の行動を正当化する証拠とも言えない証拠を示していく。
「負うべきリスクというものもありましょう、閣下。だからこそ彼も同意してくれたのです」
ガリンガムのこの言葉を聞くと、今まで耐え忍んでいたメルナドール将軍の軟体な体がみるみるうちに黒く変色していった。
「よくも……よくもぬけぬけと!」
「お、落ち着いて下さい……」
ラグレーがなだめようとしたものの、元来控えめな彼に止められるほどメルナドールの怒りは小さいものではない。彼女にとって数百年ぶりの本気の罵声が部屋に響いた。
「計画の破綻があるとすれば、それはあなただガリンガム! あの変化の薬とやらもその効果も有限、ちょっとしたことから全て瓦解しないとも限らないのよ? 何より、翡翠の彼をなぜ連れてきたの!? セロの話からしたら、無抵抗だったことがむしろ怪しむべき点であることは明白じゃない!」
「だからこそ地下牢に入れてるんだろぅが。旦那が敵の懐に紛れたことが、そんなに不安か?」
「当たりま……」
メルナドールははっとして口をつぐんだ。我を忘れたとはいえ、今間違いなく言ってはいけないこと言いかけた。冷静さを取り戻した体は黒から灰色へ戻っていく。
「皆のモノ、今やつは即座に何らかの攻撃が出来る状態にはない。だが用心しておけ、万一に備えておくように」
三体の魔族が静かに頭を下げた。
***
気が付くと、俺は真っ暗闇の中で寝そべっていた。広いのか狭いのかわからない。シーンとしていて、ごわごわした硬い床はとても冷たい。もしや死んだのかとも思ったが、あまりにはっきりした意識がそれを否定した。経緯は思い出せないが、あの魔族はやはり出まかせを言っていたようだ。
服は着ていたが、持ち物と呼べるものはペンダントだけだった。もしかしたら盗まれた後、勝手に手元に戻ってきたのかもしれないが。それを握って周囲を探知すると、意外なことに沢山の意思を持つものがいることが分かった。見張られているのか? 不安で心臓が高鳴る。
「起きたか」
「わっ!!」
突然の声にびっくりして軽くはねた。声のしたほうで、ランプの明かりがついた。そこに照らし出された二体の魔族には覚えがある。故郷で襲ってきた魔族と、クルト号で襲ってきたゼリー魔族。俺が今いるのが牢屋だ。憎き姉ちゃんの仇が、じっと俺を見ている。
「何か言うことはあるか?」
「……仲間は無事なんだろうな?」
「多分な。少なくとも襲っちゃいない、手を出してすらない。今頃お前らのお城にでも向かってるだろうぜ」
無抵抗だったはずなのに捕まえてすらない、ということか。それを信じろというのはまた下手な嘘だ。魔族は嘘が下手だ。何を聞いても、知りたい答えが得られるかもしれない。
「あんたたちの目的は何なんだ? 俺たちを殺さない理由は」
これにはゼリー魔族の方が反応した。
「知ってるくせに。俺にいわせりゃ、大人しく捕まったのはなぜだと問いたいね」
「知らないさ。捕まえておきながら、随分なこと言うじゃないか」
「生意気なガキだ」
それ以降、こちらが質問する権利は与えられなかった。嘘八百並べてやろうと思ったが、向こうの質問は理解不能すぎて逆に何も言えなかった。やがて勝手に業を煮やしたらしいゼリー魔族の方は退散していった。
残ったもう一体がやはり黙って俺を見ていた。薄気味悪いったらない。
「あんたもどっか行けよ」
「随分と口が回るようになったじゃないか。女に引っ張られて逃げてたくせに」
「この野郎……!」
せめて拳の一つもお見舞いしたいところだが、鉄格子は勿論びくともしない。惨めだ。
「諦めろ。そこから出るのに必要な力はいくらお前でも出せやしないし、出ても俺がいる。仲間たちの仇であるお前を殺すことに躊躇いはないぞ」
「ここまでした俺を、お前の判断では殺せないんだろどうせ?」
「ふ、そうだな。だが半殺しには出来る。四肢を切り離したって生きてりゃ問題ない」
結局、俺に出来るのは睨みつけることだけだっ……
(違うぞ、ロバート)
……! この、脳に響く自分の声……。あいつが、やっと、来た!
(まぁ見てろ、こんなもの一発で吹き飛ばしてやるさ)
また体が乗っ取られる感覚。そして、今まで感じたことのない強力なエネルギーが神経を張り詰めさせていくのが分かった。体が浮き上がり、鈍い灰色に発光していく。魔族は驚きなのか、その様子をただ眺めている。
そして、全方位へ衝撃波が走った。轟音と共にあたりが煙に包まれる。周りの牢にいるであろう囚人もこれで目を覚ましただろう。煙が晴れると、……──何も変わっていなかった。
「(……なぜ)」
動揺が伝わってきた。鉄格子には傷も増えていないように思われた。
「グリム、だな?」
……グリム。
「(……)」
「図星か。情報収集、いや、内側から掃討する気で乗り込んできたんだろうな」
「(この体が寝てる間に何か細工したな?)」
「なるほどな」
「(何?)」
「不貞寝でもしているがいい。お手柄だったな、ガリンガム」
その声からは勝利したものの凄みが感じ取れた。灯りを持って去っていく。俺と……グリムは本当に閉じ込められた。真っ暗闇に逆戻りだ。しばらくの沈黙の中、俺の口が動かせることに気が付いた。グリムの意思は……感じる。話してみないと。
「グリム、なんですか?」
(そうさ。憎たらしいデュモンの言う下らん五英傑てやつさ)
返事はすぐ帰ってきた。そうだ、あのゼリー魔族と船上でやりあった時だ。俺のことをグリムと呼んだ、この人格をグリムと呼んだんだ。今まで忘れていた。でも、まだ理解は追いついていない。
「なぜ、あの竜みたいなやつに追い付かれたときに出てきてくれなかったんです?」
(答える必要はない。忘れるな、お前は我の器に過ぎない。それより脱出しないといけないだろうが)
尤もなことを言う。でも実際、手段は無い。無為な時間をグリムと過ごすしかなかったが、当人は俺と話す気はないらしい。自分が完全に引っ込むとまた俺が気を失うので引っ込まない、だそうだ。
それにしても、他の囚人はあれだけの轟音があったのに一切騒がない。不気味で仕方ないが、それを理解する術も無かった。到底対話できるとも思えないし、思いたくない。文字通り、光の見えない状況に追い込まれていた。
***
デキンスは内心、気を重くしながらじめじめした迷路のような地下牢を上っていた。昔ここに来た時は酷かった、怒号に嘆き、うめき声がそこかしこから聞こえていた。こんなところにぶち込まれたのはセロを含めてもごく少数だったが、牢の外にまでその音は漏れていた。
「ぅ……」
ようやく外にたどり着いた。中とは対照的な日光がしみる。デキンスは暗いくらい入り口を振り返り、木製の粗末な扉を閉めた。今では物音一つしないこの地下牢が失意の象徴に映り、重罪人を憐れむ気持ちの方が増していた。
軽く宙に舞うとすぐにセロを見つけた。草原に寝そべっている横にすっと降り立つ。
「こんなところにいたのか」
「出てきて大丈夫なのか?」
「問題ない。グリムのやつ、やはり本性を見せたが想定通りだ。質の悪い魔素が充満していることに気付いてもないようだった」
グリムの力に耐える防壁は実際には造れない。だからグリムの力を下げる場所に監禁する。それがガリンガムの作戦だった。
「うまくいった、というわけか。出待ちしてる俺の出番が無くて何よりだよ」
「全くだ。でも正直、爆弾を抱えたみたいで気分は最悪だよ。グアンも心配でないと言ったら嘘だ」
「そうカリカリするな。いざとなれば力業って手もあるんだ。いやむしろ、」
セロは地下牢の入り口の方角をじっと見つめた。
「力業で問題ないかも、しれないな……」