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37 揺らぎ

 その日、皇帝ジャックと第一王女ソフィは政務の大半を放り投げた。雨水滴る幽霊艇のようなクルト号がドッグに流れ着き、その中から意識不明の四人が運び込まれたためだ。今しがた城の一室で、強引に引っ立てられたワトキンス医師の診察を受けたところだった。皇帝の地鳴りのような悲痛な叫びが響いた。


「あーードナテラ! 我が娘よ、目を覚ましてくれ! ワトキンス、娘は大丈夫なのだろうな!?」

「なんともこれは……。みなさん揃って異なる症状を示しています。このシドはこんなもの見たことが無い。原因も分からないのではどう対処したものか」

「帝都一の名医が何を言う!」


 不治無しの医者と謳われる彼の困惑ぶりは皇帝に頭を抱えさせた。ソフィも妹のそばに生気が抜けたように立ち尽くし、ワトキンス医師は唇をかんだ。

 皇帝の怒れる声がロバートに向かう。


「貴様だけのうのうと! 娘に何かあったら容赦しないと言ったはずだ。どうしてくれる?」


 ロバートは少しめんどくさそうに皇帝を見下ろして、懐を弄って瓶を取り出すとワトキンス医師に手渡した。


「魔族界の大気に何か含まれていた、私と仲間はそう判断しました。雨水交じりではありますが、これを調べれば何かしら糸口はつかめるかもしれません」

「魔族界とは……? いや、それよりも今は治療法を見つけなくては。皇帝陛下、このシドはこれを調べてみます。点滴と体温管理はうちの助手にお任せを。決して手を出してはなりませぬ。感染症の可能性もありますので、お辛いとは思いますがあまりこの場にとどまらないでください」


 そう言うと、ワトキンスは訝し気に瓶を眺めながらせかせかと部屋を後にした。皇帝は血管が浮き出て、今にもはちきれそうだった。


「ドルド! なぜそんなにも平然としている、貴様にとっても仲間のはずだろう? 治す方法を探してこい」

「仰せのままに」


 ロバートは顔色一つ変えず、足早に姿を消した。


***


 その日の夜、帝都の中心から少し離れた区画の商店。看板には『ツェンの店』とだけ書かれていた。その地下で奴隷商の老婆ザーラ・ツェンがクレイグ・ペテルセンと蝋燭の灯る机で向かい合っていた。かび臭い部屋の出入口はらせん階段一か所、部屋の半分は牢屋になっていてその中でサシャが監禁されていた。


 無意味だと分かっていても、サシャは格子の向こう側を睨まずにはいられなかった。まんまと騙された。睡眠薬を盛られたのだ。ツェンがしゃがれ声で憎きクレイグと話している。


「にしても、あんたってやつは本当に──」

「運がいい、か?」


 クレイグは父親譲りのにんまりとした笑みを浮かべた。


「父はよく言っていた、僕の幸運は才能だと。ハハ、まったくこの世界は僕になんて親切なのだろうね。きっと僕はこの世界の主人公なんだよ」

「はっ、嫌味な子だよ。準備をしてきたのはほとんどジェロニモじゃないか」

「そうだね、しかし肝心な部分は僕の幸運(さいのう)が頼りだ。違うか? しかし殊更幸運だったよ、今回はね。宝石持ち野郎の彼女が手に入るとは。ご両親を誘拐するするつもりだったが、こっちのが効き目がありそうだとは思わないかい?」


 クレイグが牢の中を見てほほ笑んだ。サシャは手足を拘束され、口も塞がれていたる。今の会話でこいつらが何か企んでいることはわかった。しかも、それがロバートにとって良くないものだと察することも出来るのに、文字通り手も足も出ない。知らず、布を強く噛んでいた。

 老婆はいかにも優しそうな顔をサシャに向けた。


「お嬢ちゃんもかわいそうに。こんな男に摑まるなんて、あたしだったら舌噛んで死ぬね」

「酷いな、父のおかげでこの商売が続いてるくせに」

()()()()()()()()()()()! お嬢ちゃん、安心しな。こいつが帰ったらそれ解いてやるからね」

「ふん、優しき奴隷売人か。良かったじゃないか、レバークさん」


 外道め! 無尽蔵に怒りがこみ上げて、ひたすらに悔しくて涙が零れる。


 その時、カツカツと石段を降りてくる音が聞えた。二人の目つきが変わる。ツェンが壁の短剣を取り身構え、階段を睨みつけた。二人は小声で言葉を交わした。


「鍵は?」

「とっておきをかけておいたさ。用心しな」


 ツェンは対象が死角から出るタイミングを計り、短剣を投げた。狙いもタイミングも正確だったが、それは右手の指二本で器用にキャッチされていた。暗がりから覗いたその顔を見て、ツェンは驚きの声をあげた。


「あんた! 確か劇団ロッチアの……」

「そうでーす。元ロッチア団長のチャールズ・スラッグでございます」


 サシャはその顔を知っていた。前に帝都に来たときロッチアの歌劇、特に彼に魅了された。気迫溢れる演技、全身に轟く歌声。しかし今の表情はその時とは違い、背筋を凍てつかせるような残忍さを孕んでいた。サシャは思わず息を止めた。

 クレイグが苛立ってスラッグを睨んだ。


「落ちぶれて消息不明と聞いていたが、こんなとこまで何のようだ?」

「いぃえぇ~! たまには趣向を変えなくていけないと思いましてねぇ? 一度に大量の供物を用意しようかとね。ここはいい! 三十一本もあったナイフが残り一本しかない。あ、このナイフ頂きましょうかね。これで残り二本だ」


 すると何のためらいもなく、弄んでいた左手のナイフを老婆の眉間に放った。ツェンは声を上げる間もなく、冷たい床に崩れ落ちた。見開かれた目は虚空を見つめ、既に光はうしなわれていた。

 そんな光景を前にしてもクレイグは落ち着いていた。


「おいおい……、堕落したって次元の話じゃないなぁ。貴様、僕が誰か知っての狼藉か?」

「はぁ? 誰でもいいだろう? 君らは等しく偽りの存在だろうが」


 そう言ってツェンから奪った短剣を同じようにクレイグに放った。躱そうとしたようだが叶わず、あっけなくツェンと同じ運命を辿った。


 ――何が起きてるの? 


 自分を監禁したやつらはもはや息絶えたらしい。だけど、命の危険はより大きくなったようだ。明日になれば誰かが見つけてくれるはず。そこに希望を見出して、牢の隅で気配を押し殺した。

 でも、あぁ駄目。スラッグは真っ直ぐ自分のことを見ている。カツ、カツと死が近づいてくる。


「まだ、いたんだねぇ」


 鉄格子をまるで枝のように呆気なく破断した。逃げ場のない凶悪な金属音が、自分の肋骨や頭蓋骨を弄ぶ様を思い描き、吐き気さえ催している。サシャは子猫のように首根っこを掴まれた。目を閉じたいのに閉じることが出来ず、しばらく無言でスラッグと見つめ合った。スラッグはハッとしたように口を開いた。それは先程の浮ついた口調ではない。


「妙な感じだ。ごく微量に魔素の気配がある。なぜ? なぜ? 宝石継承者……ではないか」


 ブツブツ独り言にひっかかる単語。宝石継承者……! 私の知りたいことをスラッグは知っているかも。そう思うと生きる気力がわずかに強くなり、次の言葉を待った。


「まぁいいっか。喜べ、ナイフがない。この建物に転がる三十二の肉塊とは違うものにしてやる。特別扱いだ」


 そんな! 顔を上げて必死に()()を伝えるように、布越しに音を出した。


「ほぉ、命乞いでもしたいのか? いいぞぉ、どうせお前で最後だ。特別特別」


 口の布が外されると、空気が一気に喉を駆け抜けた。自分の命は間違いなく、次の一言にかかっている。


「わ、わたし、実は……!」


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