35 ブレイカーズの過去 後編
バキバキと大きな音を立てながら突っ込んだドナテラがペトの背から降りて見回すと、船内は熱いだけでほとんど火が回っていなかった。しかし、こと切れた血みどろの遺骸が、恐怖を顔面に張り付けた屍が一面に転がっていて――吐いた。
死体を見るのは初めてではなかったが、これほど凄惨に覚えはない。蛇に姿を変えたペトが、目を潤ませた頬を心配そうにペロペロ舐めた。
「ありがと……。息のある人はいそう?」
そう言われたペトは船内を迷いなく進みだした。
「いるの……?」
後についていく。どこに目をやっても必ず死体がある。
ペトは二つ階段を下りた階にあった、半開きのドア部屋の前で止まった。ドナテラは恐る恐るドアを押し開け中を覗き、思わず口を抑えた。
折り重なる死体の中、血まみれの女性らしき影が立ち尽くしていたのだ。ドナテラがまごついていると、その影は何かを飲み干しむせ返った。かと思うと自分の手を眺めて、それを足元に転がる死体にかざし何か呟いた。
(何してるの……?)
次の瞬間、死体がぼうっと青白く光り、みるみる傷が治っていった。
(…………!)
女性はそのまま、その部屋にあった死体全部を修復した。広がっていた血はほとんどなくなり、女性は深刻な顔をしてうずくまってしまった。
ドナテラは意を決した。
「あの……、助けに、来ました」
女性が顔を上げた。茶髪の隙間から覗くどんよりとした目と交錯し、ごくりと唾を飲む。
「死んでる、みんな……」
虚ろで力の抜けた女性を抱きかかえ、ペトを見る。小さく首を横に振った。彼女が唯一の生存者らしい。
「急ごう」
小窓を突き破って、ペトの背に乗りクルト号へ戻った。
そこで、もう一つの亡骸と出会う。ヒロヤスは死んでいた。爛れた無残な姿で、口も目も半開き。ドナテラはガクッと膝をつき両手をだらんと下げた。
「死んでる?」
背後に立った女性がそう呟き、ドナテラが見上げたその顔は酷く冷酷に映った。女性はそのままヒロヤスの横に正座し、その体に右手をかざした。その腕には紺碧の宝石が光る腕輪をしていた。
「魔術――完全回復」
ヒロヤスの体はぼうっと淡い光を帯びて、その体がみるみる元通りになった。だが、息をすることはない。
「あなた……」
「ありがとうございました、助けてくれて。私は密航者なので船員から隠れていたんですが、そしたら化け物の目からも逃げられたようです」
「……その宝石は」
「ご覧の通り、不思議ですよね。これで医者の真似事をして主人と一儲けしたものです。死にぞこないの私に相応しい宝石」
女性はやつれた顔でヒロヤスの目を閉じた。そしておもむろに瓶を懐から取り出し、ドナテラに手渡した。中には緑色の液体が入っている。
「化け物が船員に摑まれた際に落としたものです。毒かと思って口にしましたが、毒ではありませんでした。飲んだ瞬間、宝石と体に力を感じてもしや蘇生できるかと思ったんですが……。あの部屋にいた全員、傷が直っただけでした」
呆然としながら女性の話を聞いていた。そして沈黙が訪れる。心が少しだけ落ち着くと、ヒロヤスを抱きしめてワンワン泣いたのだった。女性はただ、それを悲しそうに眺めていた。
***
ひとしきり話し終えて、場には静寂に包まれた。
「その女性がオーロラ。ヒロヤスが死に、あの船に乗っていた遺族全員には動力の故障と火災が原因の事故と伝えた。本人が言ったとおり、オーロラが乗ったって記録はどこにもなかった」
ギドが目を閉じ、目頭を抑えた。
「その薬は既に実証済み、というわけですか。しかし、それは……」
「ヒロヤス! 魔族に殺されたとは、そういうことだったのか……苦しかったろうに……」
アキヒサは苦悶に顔を歪めた。怖くてブレイカーズに入るのを渋った、俺を勧誘した日にそう言っていた。彼は弟を奪われた苦しみを抱えて今ここにいるのだ。
そして俺も、その事故に覚えがあった。忘れもしない、姉ちゃんのご両親の訃報。その時に聞いた事故内容、三年前という時間の一致。俺と、いや、俺たちと魔族の因縁はあの祭りの夜以前から生まれていたのだ。魔族を殲滅するためのチーム、そこにいることを初めて前向きに捉えることが出来た。
「魔族の領域に入るまで、あとどのくらい?」
「んと、明明後日の昼くらい」
「それまでにもっと確実な方法がないか考えなきゃ……」
アキヒサが俺の肩に手を置いた。その顔は微かに微笑んでいるようにみえる。
「気負い込むな。大丈夫、今は五人だ」
「あ、あのっ……」
ギドが不意に身を乗り出した。
「不自然ではありませんか?」
「何が?」
「何がって……」
ギドは何を言いたいのだろう? 俺たちに懐疑的な目を向けている。
「……いえ、何でもありません」
「おいおい、ボケてきたなんて言うなよ?」
「失敬な! 僕の脳は正常だ」
結局、ギドは先を言わなかった。クルト号は軽快に空を突き進む。
──……不自然。それが重要な指摘だとギドが気付いたのは、事が手遅れになってからだった。