3 魔族と出会った日
いよいよだ。曲がりなりにも積み上げた努力、無駄には出来ない。枝葉の隙間から月明かりが差している。絶好の夜だ。
俺は宝石を使っているところを見られないように、湖からほんの少し離れた立ち入り禁止エリアの木の上から幻術を使う。そこでもう一度、観衆に見せる幻視を頭に思い描いた。大丈夫、一抹の不安もない。湖からメガホンで声を張る姉ちゃんの声が聞えてきた。
ペンダントの翡翠の宝石に手を当てて、静かにこう呟くのだ。
「 ――幻術―― 」
◆ ◆ ◆
「アインプ村の湖祭りにお越しくださったみなさま! 楽しんでいただけてるでしょうか。これより皆様には村に伝わる湖の神、陽姫様の舞を皆様にご覧いただきます。今宵は無用な前置きはやめておきましょう。それでは早速、月夜に輝く陽姫様の姿を、どうぞご堪能下さい!」
湖畔に集まった観客たちは、赤い燕尾服姿の司会者を期待半分でがやがや眺めていた。
ドルド夫妻も見守る中、観客が軽く拍手すると同時に湖の中央が白く輝きだした。観客は好奇心に駆られ、途端に場は静かになった。
光の下から、七色の光の粒を纏いながら、朱色のつつましく気品ある着物を纏う妖艶な女性が浮かび上がる
彼女とは距離があるはずなのに、まるで目の前にいるかのように鮮明で、とても鮮明で
この雅が 陽姫その人であった
陽姫はすっと目を開くと、空中をふわりと舞って彼、彼女の元へ降りた
――この素晴らしい月夜に 童の舞いをご覧あれ 湖に光を 行く末に光を――
奏でるような声で言うと、少し名残惜しそうに宙を舞っていく
そして陽姫は踊り出す
陽姫が動くたびに光の粒が散って、水面は波紋とともに七色を現す
青紫の扇を振るたび 心地よい音を立てて水柱が上がった
やがてそれは陽姫の頭上にあつまり 蛇型の竜となり
陽姫はその頭の上で舞いながら
竜は湖を回るように飛んでいく
誰も経験したことのない光景
……………………
白昼夢の中、『陽姫の奇跡』はフィナーレを迎えた
竜はどこへなりと霧散し 湖の中央に佇む陽姫があった
――陽の名において この地を絶対の安息を 恒久を願い 恒久を欲せよ――
その瞬間 水面から天に向け七色の輝きを放ち 陽姫はその光と共に湖に吸い込まれるように消えた
残った静寂に 優しい果実の様な香りが駆け抜ける
観客はしばらく呆然としていたが、やがて金縛りが解けると惜しみない拍手を送った。
何が起きていたのか、なんて。そんなことはいい。みんな、奇跡の前に感動を味わっているのだ。
「これにて『陽姫の奇跡』を閉幕します。どうもありがとうございました。この後も祭りをお楽しみください」
また拍手が沸き起こった。
◆ ◆ ◆
汗だくになっていた。長い安堵のため息をついて、ペンダントから手を離す。やりきった。長時間の幻術は集中力との戦いだったが、乱すことなく完遂してやった。気が抜けたのか、全身がプルプル震えている。あの観客の反応をみるにやはり姉ちゃんの心配は杞憂だったわけだ。しかしなんという達成感! 俺の人生において、これは初めての感覚。癖になりそうだ。
木の下には姉ちゃんが既に待ち受けていた。なんて素早い! 枝に気を付けながら下りるやいなや、目を潤ませながら飛びついてきた。
「やった! やったよ! 本当にすごかった、本当にお疲れ様! 本当にありがとう!」
姉ちゃんのこんな嬉しそうな顔見たことなかった。
「ね? 心配することなかったでしょ?」
「うん!!」
これまた見たことのない、素敵な笑顔が見られた。最高の誕生日だ!
姉ちゃんの笑顔は本当に綺麗だった、宝石よりよっぽど。もう、この笑顔を絶やしたくない。
その場に二人座り込み、知らず知らず俺の右手と姉ちゃんの左手は重なっていた。お互い、満たされた感覚だった。こんな時間は、きっと忘れないのだろう。
――バキッ――
突然、枝の折れる音。獣だろうか、疑問を口にするより先に暗闇から声がした。
「全く恐れ入った。あれだけの規模の幻術を扱えるとは」
ドキッとして声のした正面の方向に目を凝らすと、黒い鎧が木の陰からヌゥっと現れた。見覚えのない姿は祭りに関係する何かじゃないと思われた。なんだあいつは? ここは立ち入り禁止区域だし、何より幻術だってこと、ばれたのか? 姉ちゃんがスッと肩を寄せた。震えているのが伝わってくる。俺も肌で感じる。尋常ならざる緊張感があって、生存本能が逃げろと叫ぶ。しかしなぜそこまでの危機を覚えるんだろう?
続いて左側から低い声がした。
「貴様を捕獲に来たのだよ。だが、まず謝らせてくれ。私は貴様がショーに集まった者どもを幻術で惑わすつもりだと思っていたのだ。しかし思っていたのとは違った。ショーそのものが幻術。面白い使い方であったぞ」
「(……捕獲? ねぇ逃げたほうがよくない?)」
姉ちゃんが連中に聞こえないように声を潜めて言い、すぐ立ち上がれる姿勢になった。喜びに水を差した連中は明らかに異様だった。大体、宝石の力がばれてるのが既に怖い。
本能の警告に従い、俺たちは全力で走り去ろうとした。だがそれは三体目の黒い鎧に阻まれた。そいつは木の上から、まるで待っていたかのようにバサッと軽快に降りてきた。
「逃げるのか? 不意討ちせずにこうして姿を見せてることに感謝して欲しいくらいだってのに」
前を塞がれた前を塞がれた。これって、とってもまずい気がする! これまでの人生、殺意ってものを本当に感じたことはなかった。
低い声のやつが背後からこっちに近寄ってきている。クシャリクシャリと雑草が踏みつけられる音が、憎らしいほど繊細に耳に届く。チロチロと鳴く虫のさざめきに、心情が騒ぎ立つ。
目の前の鎧が姉ちゃんの顔を覗き込むような頭の動かし方をして脅しをかけた。
「女、貴様に用はない。その宝石使いを置いて速やかに立ち去れ。心配しなくても殺したりはしない」
しかし、姉ちゃんは震える声で、
「ふざけないで! 何なのあんたたち!」と、勇敢に叫んだ。宝石使いって、多分俺のことだ。喉の奥に声が詰まって、出てこない。気付けばもう完全に手の届く位置に近づいた背後の鎧が俺の腕を掴んだ。
「私を見給え」
恐ろしさを抱えて反射的に振り返り、思わず息を止めた。
顔面の右半分が骸骨、左半分では黒い液状の何かがうごめいていた。
「魔族……!?」
自然、その単語が導かれる。そいつは兜をつけなおすと、不機嫌に答えた。
「そういうことだ」
魔族が俺の腕を掴む手を離した一瞬、姉ちゃんが俺の手を引いた。そう、逃げるのだ。走りにくい森を死ぬ気で駆けた。魔族なんか相手に出来るわけがない。信じられない、魔族が人間の住む領域にいるなんて! 魔法の防壁はどうしたんだよ……? 助けを……!
しかし次の瞬間、空気の切れる音がしたかと思うと姉ちゃんの腕に力がなくなった。魔族が目の前に立ち、青白い剣を持っていた。剣からは赤い血が垂れている。姉ちゃんが冷たい地面に倒れた。
「姉ちゃん!!」
俺は慌てて抱き起し呼びかけたが、微かなうめき声しか返ってこなかった。俺の手を引いていた腕は肘の下から切断され、横腹も切られているようだった。自分の腕の中で、強烈な鉄の匂いと生暖かい血が広がっていくのが見えた。黒い森に、姉ちゃんが飲まれていくような恐怖。
「……ぅ、……ハァ……ハァ…………」
思考が止まる、呼吸が上手くできない。
「茶番はおしまいだ。早々に離脱したい」
俺の手はペンダントに伸びていた。
「幻術!」
逃げなくては! 三体の視覚聴覚を惑わすくらい! 早く姉ちゃんの手当てをしないと! 人だかりに出て医者を……
後ろで魔族が声をたてて笑った。
「翡翠の宝石の力はわかってるのに何の対策もしてないと思ってんのかねぇ? 馬鹿にするなよ泥棒野郎!」
本当だ。感覚として分かる。幻術が通らない。
逃られない。
このままでは姉ちゃんも俺も殺されてしまう。
しかし、切り抜ける方法が思いつかない。
血の匂いで頭がおかしくなる。
意味のない文字の羅列が脳内を駆け巡る。
「やっと大人しくなったな」
俺の絶望した顔を見て、背後の魔族は満足したようだった。
「強引だが悪く思うな」
血まみれの剣を持った魔族が俺をつかもうとした。
「(フフフ。この程度かぁ)」
……また別の声? いや、これは――俺の声だ。しかし、それは俺の意思ではなかった。魔族の一体がその変化に気づく。
「……おかしくなったか」
俺の体がゆらりと勝手に前に出た。魔族の言う通り、おかしくなったらしい。
「(違うな。人間の世界に土足で踏み入った空き巣ごときに、泥棒呼ばわりされたのがおかしくってねぇ)」
もはや俺は主観的な傍観者となった。体の制御が全く利かない。指一本動かせない。体が、勝手に動いてる……。
「殺しはしないが、痛めつけることは出来るんだぜ?」
挑発された背後の魔族が、手に炎の剣を作り出したのがわかった。
「やめろラグレー!」
そんな仲間の制止を聞かず、それは襲い掛かってきた。俺(?)は軽く嘲笑すると、対象に一瞥もくれずに両手から黒い炎を照射した。剣を突かれるよりも早い動作、驚きも恐怖も自覚できない。魔族は剣を盾代わりにして、辛うじてそれの直撃を防いだ。しかしその息遣いには明らかな動揺が現れた。
「こいつ、なぜ魔術を……?」
「退けラグレー!! 撤退する!」
魔族たちは一気に後退し、純白の翼を生やし一目散に空へ飛んで行った。枝葉を強引に突っ切りバシャバシャと大きな音が立つ。
「(指揮官は賢明らしいな。だが!)」
今度はエネルギーをためるように大きな黒い炎を作り出し、姉ちゃんを斬った指揮官らしき魔族に放った。炎弾は軌道付近にあった全ての木々を枯らせて、猛スピードで標的を喰らおうとしている。ラグレーと呼ばれた魔族がいち早く気づいた。
「まずい! 間に合わない! デキンスーー!!」
何の衝突音も聞こえなかった。しかし、ラグレーはデキンスと呼んだ魔族をかばって炎弾を受けると途端に全身が黒炎に包まれ、おぞましい断末魔を上げた。
「ぎぃぃぃぃぃぃがぁぁぁ!!!!!!!!」
真っ逆さまに、死んでいく。
「ラグレー!!!」
「今は振り返ってはいけない!」
魔族の指揮官が引き返そうとしたところを、半骸骨の魔族が強引に引き戻しているのを見ていた。勝手に動いている俺の体は、それに追撃の一手を食らわそうとしたようだがうまくエネルギーをためられず舌打ちした。
「(連発は無理か。命拾いしたなァ)」
そう言って魔族が落ちた場所に行くと、そこには既に灰になったラグレーの残骸と変形した鎧があった。次いで足音が向かってくるのが聞えた。
「(人が来る。やつらの人払いの効果が切れたか)」
その独り言を聞き終えるのと同時に、体がぐらッとよろめいた。俺はもうたっていられなかった。
「――大丈夫か!?」
がたいのいい男が俺の体を支えていた。男の首のチョーカーに黄色い宝石が光るのが見える。俺はわずかにうなづいた。体は自分の意思で動くようになっていたが、驚くほど体力がない。まるで力が入らない。
男のため息が聞こえた。
「手遅れかと思った……。生きてるようで安心したぞ」
気を失いそうになったが、まだ駄目だ。姉ちゃんを、助けないと。残る力を全て……
「……む、向こうに、姉ちゃんが、……切られてるんだ。助けて……くれ」
「なんですって?」
視界の奥にもう一人、白い服を着た女がいた。右手の金の腕輪に青い宝石がキラッと光る。俺はかすれる声を絞り出し、二人を姉ちゃんのもとへ誘導した。
血の湖。その中心にいる人物はもう生きているようには見えない。
それを見て心が空になった。
何も感じられなかった。
しかし次の瞬間
自分のせいで死んだこと
助けられなかった事実が
重く不快な感情をもたらした。
涙も、声も出てはこなかった。
「こいつは酷い……。オーロラ、治せそうか?」
姉ちゃんをみた女の声は暗い。そんな顔……しないで欲しかった。
「やってはみるけど。正直、期待できない」
そして腕輪を胸の前に近づけた。
「魔術、完全再生」
うっすら青い光が姉ちゃんの体を包んだ。切断された腕が元に戻り、血もすべて持ち主の元へ帰った。
そして、いつもの姉ちゃんがそこには横たわっていた。にわかによぎる期待。
「姉ちゃん? ……姉ちゃん!」
俺は残る力を振り絞って呼びかけた。しかし反応はない。女が姉ちゃんを抱きかかえた。
「息はあるわ、奇跡的に。でも、してないほうが良かったかも」
「くそっ!」と、男は歯ぎしりしている。なぜ、そんな顔をするのか……。息がある、その一言は明るい兆しじゃないのか?
「一旦、クルト号に戻りましょう」
そう言った女の声は、とても遠くに聞えた。
デキンス、ラグレー、ラシュレー:魔族
サシャ:瀕死
ロバート:大変