32 目覚め
レオは今日も浮かない顔で、一人釣りをしていた。ロバートが帝国の部隊、ブレイカーズの一員として消えてからずっとこの調子だ。湖に引きこもっているというのが、実は正しい。何百人といた観光客は村で抱えるには多すぎた。どの家も居候を大量に抱えてストレスの温床になっていると言うのに、重病人のサシャ・レバークがいるためにドルド家は居候の受け入れを拒否することが出来ていた。が、それを妬ましく思う人が実に多いこと。
「はぁーぁ……。なんでかなぁ」
気付くと玄関の前に立っていた。辺りは暗くなっていて、自分がいかに無意識に行動しているかを理解した。ドアを開けると、怒り心頭のフルーが腕組みして構えていた。
「レオ、いい加減にして。そんなんじゃサシャちゃんが起きた時に悲しむよ?」
「……。」
レオは何も言わず、フルーを押しのけてサシャの寝ている部屋を開けた。未だ死んだように眠っている。
「起きるのか? サシャちゃんは。帰ってくるのか? ロバートは」
「起きるし、帰ってくる! なんであなたはそう悲観的なの?」
「そりゃ悲観的にもなるだろ。あの日から、この村の連中の笑顔なんて一度だって見てないんだぞ? それくらい状況は悲惨なんだ」
「だからって――」
その瞬間、二人は固まった。サシャが、ずっと微動だにしなかったサシャがもぞもぞ動いたのを見たからだ。二人は喧嘩してたのも忘れてサシャの顔を覗き込んだ。すると、その目がうっそりと開いた。
「……。あら? おばさんに、おじさん? どうされたんですか? あれ? 私は――」
その先は言えなかった。ドルド夫妻が涙を流してがっしりと抱きしめたから。サシャは自分がそこにいる理由も分からす、二人の「良かった、良かった」という声を聞いていた。そうしたらなぜか胸が熱くなって、もらい泣きしてしまった。
やがて落ち着いてから事情を聞かされたサシャは顔面を蒼くした。
「じゃあ、ロバートは……あの魔族とまた、何度も対峙して、何度も命を危険に晒すってことなの?」
「そういう、ことなんだと思う」
重々しく響くレオの言葉に、サシャはうな垂れて両手で顔を覆った。
「そんなのって……! 私はただ……。なんで、行かせてしまったんですか! ねぇ、おばさん……」
肩を小さく震わす女の子にかける言葉を、二人は持ち合わせていなかった。その夜、サシャはひとしきり枕を濡らして、ずっと考え事に耽った。
翌日、サシャは村の診療所を訪れた。自分が寝てる間、薬の投与などでお世話になったという村のお医者さんにお礼しないわけにはいかない。コンコンとノックすると、白髪だらけの優しそうなおじいさんが顔をのぞかせた。その顔にたちまち驚きが広がり、涙ぐんだ。
「サシャちゃん、なんだね……!」
「はい! ありがとうございました。随分とお手間をおかけしたようで」
「何を言ってるんだ! レバークご夫妻とは昔からの友人、その娘である君は私にとっても大切な人だ。なにが手間なものか。ささ、入って入って。まだ医院はやってないから」
サシャは笑顔を作りながら玄関を跨いだ。すると、奥さんと二人暮らしのはずの診療所内に何人もの見知らぬ顔があった。男八、女二の割合だろうか、みんなして怖い顔をしてひそひそ話している様は不気味だった。足を止めて会話を聞こうとすると、男の一人がガラの悪い目で睨み上げた。
「なんだよ? お前も村の人間か?」
「……え?」
「は、気にもしてねーってか。おら、どっか行けよ目障りだ」
「は、はぁ」
困惑してまた足を前に出そうとすると、おじいさんがその男に拳骨を落とし、怒鳴りつけた。
「あんた、居候のくせに偉そうな態度取るんじゃないと前にもいったろう? しかも大の男が女性に向かって。その面の皮、剥いでほしいのかね?」
「チッ、好きで居候してんじゃねーんだよ。でも良かったなじじい、俺たちはもうすぐ出ていく。このおんぼろ診療所じゃねぇ、この島を出て、帝都に帰る」
「ふん、強がりばかり――」
「本当ですか!?」
帝都に帰る。サシャはその言葉に目の色を変え、男に詰め寄った。「行けるんですか、帝都に!」「いつ行けますか!」と、矢継ぎ早に息も荒く迫られ、男は壁に追い込まれた。
「き、今日だよ。飛空船のエンジンは軒並み修復できないレベルまで壊されてたけど、技術者の人がなんとか修理してくれたんだ」
「お願いです! 私もそれに乗せてください! 私、行かないといけないんです」
「そんなこと言われたって! 帝都に帰るのは家族を残してきたとか、そういう連中に限ってもらってんだ。村の人間なんか乗せられるわけねーだろ」
おじいさんは必死になっているサシャと男を引きはがした。サシャは泣きそうになるのをこらえながら、おじいさんに抗議の視線を送った。
「やめなさい! 反逆者になるつもりか? 折角意識を取り戻したと言うのに、第一帝都に行く理由なんかないだろう」
「あります! ロバートを探さないと! あの子を……」
ロバートの名前が出た途端、全員ひそひそと罵倒の言葉を吐き出した。「ロバート……」「全部あいつがいたせいで」「魔族の手先よ」、サシャから色が消えた。男が憎しみのこもった目を向ける。
「探して殺すか? それなら乗せてやらんこともないぞ」
そんなことを言う。
「もう忘れろ。あの青年は幻だったと思いなさい。ドルドさんに子どもはいなかったと」
おじいさんまでそんなことを言う。
(あの日、私はロブを守れなかった。姉として、女として、あいつを守りたかったのに。私は……魔族なんかにロブを奪われて、平穏をなくして。彼の名誉も、ここには存在しないんだ……)
――――パチ、パチ。
手を叩く音。視界の端で、一人だけ高そうな服を着た若い男が立ち上がって注目を集めた。その男はサシャの顔を吟味するように眺めると、男に提案をした。
「僕は、彼女を乗せるべきだと思うね。一人くらいなんとかなる」
「え? なんでそんな」
「君、誰があのエンジンを直したと思ってるんだい? 貴重な時間を割いたのは誰だった? 一流たる僕なくして、エンジンは直らなかった。僕のお願いの一つや二つ、君らは聞くべきじゃないかな?」
「な……! そうだとしても、他の連中を納得させられるもんか!」
「ハハ、何訳の分からないことを。だって、この場にいる人は全員乗るんだ。乗れないやつには、その女が乗ったことを隠せばいい」
なぜ自分の味方をしてくれのか気になるところではあったが、願ってもない助け船だ。ここで押し切らなければチャンスは薄れる。サシャは深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
男は周囲の顔を見まわした。みんな目を合わせず、かと言って反対の声も上げなかったので、男は渋々承諾した。
「はぁ……。ペテルセンさんに免じて、乗船を許可しよう。絶対に他の帰れない連中にばれるなよ?」
「はい! ありがとうございます!」
***
昼過ぎ、積み荷に紛れてサシャは飛行船に運び込まれた。おばさん達には感謝と謝罪を綴った手紙だけ残して、口では伝えなかった。木箱の中で膝を抱えながら、エンジンの轟音を聞く。鞄の中には少しの私物と持てるだけのレバーク家のお金。向かう場所は帝都トロプ城、ドナテラ王女と共にいるなら、きっとそこにロバートもいるはず。
しばらく顔をうずめていると、木箱が開けられた。見上げると、自分を乗せるよう進言してくれた男の顔があった。
「乗り心地はいかがですか? よければ手をお貸ししますが」
「あ、ありがとうございます」
手を引かれ外に出ると、そこはもう大空の中だ。男はサシャに笑いかけた。
「飛行船は初めてですか?」
「い、いえ……。でも、見張りの飛空船とかもないんですね。こうもあっさり抜け出せるなんて」
「ハハ、見張りなんていませんよ。この島には工場がない。飛空船さえ動かなければ、泣こうが喚こうが島を出れませんから。まぁしかし、甘かったですね。僕がいたせいでエンジンは復活、今こうして空にいる」
男はさも愉快そうににんまりした。ロバートが親を出し抜いた時も似たような顔をしていたのを思い出し、サシャは少しほほ笑んだ。
「……なんで、私を味方してくれたんですか?」
「あぁ、気まぐれですよ」
「は、はい?」
サシャには男の考えが掴めなかった。気まぐれはあまり納得できる回答ではない。しかし、そこを追及するのも失礼に思われた。
「私は、幸運ですね」
「なぜです?」
「飛行船が出る前夜に目覚めて、あの診療所でそれを知って、あなたが気まぐれで助けてくれた」
「ハハ、なるほど! でも、こうなっていること自体が幸に見えますがね。あなたが望んだ今は恐らくこれじゃない。……と、まぁそれはさておき、お名前を伺っても?」
ハッと恥ずかしい気持ちが沸き上がった。バタバタしたせいもあるとは言え、まだ名乗ってすらなかったなんて。これだけお世話になっているのに。
「ごめんなさい、すっかり言いそびれちゃって。サシャ・レバークです」
「いい名前ですね、あなたにぴったりだ。僕はクレイグ・ペテルセン、覚えておいてくれたら嬉しいな」