29 デュモン自治領の幽霊兵
もうすっかり夜だ。昨日の魚を塩焼きやフライにして、今日は魚尽くしだった。円卓に食事が並んでいる様を見ていると、ここは多目的室の方が適切な名前だと思う。アキヒサに料理された魚たちは頬が緩む美味しさだったが、みんなどこか浮かない顔をしていた。別に、食当たりを警戒していたわけではない。
食事を終えて一段落した後、ジュースを片手に事前確認を行った。明け方にはデュモン領に入るという。注意点は警備霊を刺激しないこと、だそうだ。デュモン大公は継承した宝石の魔術――幽霊を召喚し使役する――で、自治領を護っている。使役される幽霊は魔法を使う上、賢くないのですぐ襲ってくるということだ。中々嫌な感じ。
「………以上です。明日は早いから早く寝るように」
指導者の娘らしく、仕切っている時は凜としていて頼もしい。俺にもあんなかっこよさがほしいもんだ。と、昨晩のことを思い出してドナテラから目を逸らした。ド田舎の故郷に、近い年代の友達は居なかった。姉ちゃんは言っても家族同然、年齢の隔たりを感じない異性はドナテラとオーロラが初めてだった。突然誘惑されたら、そりゃ慌てもする。……いけない。俺は何考えてるんだ。
アキヒサとオーロラはいくつか言葉を交わしながら、すごすごと自分の部屋に降りていった。俺も続こうとしたが、ふと不安に思ったことを訊くことにした。
「ドナテラ、俺たちしばらくこう……静かだけど、魔族がどこかの町を襲ってきてたりしないのかな。ここは魔族の住処からは遠いけど……」
ペトに残飯――主に骨や尻尾――処理をさせていたドナテラが顔を上げた。一瞬見惚れそうになる。
「多分大丈夫よ。連中、ここ数年は標的を私達に絞ってるようだから。民間人が最後に狙われたのは三年前。あの時――」
「あの時?」
「ごめん、やっぱり言いたくないかも。また今度ね。とにかくそれは心配しないで明日に備えて? 私もすぐ寝るから。今日はあのクソ教授のせいで疲れたし」
少し気になったが、深追いしないでおくことにした。
「わかった。じゃあ」
返事はせずに、小さな手がバイバイと振られた。
次の日はまだ真っ暗な時間に起こされた。言われた通り早く寝たおかげで体は軽かったが、こんな時間の訪問は先方にも失礼な気がした。
甲板に出ると遠くに浮遊島が見えた。ごつごつした岩山に囲まれているようだ。あれがデュモン自治領だろう。外が暗いのになぜ島が見えるのかと言えば、島の周りに無数のぼんやりした光が散らばっているからだ。近づくとすぐにその正体が分かった。数えきれない程の白っぽく半透明な幽霊たちが、ランタンを提げて漂っていたのだ。ランタンの灯りが照らす幽霊たちは例外なく無表情で、その光景はあまりにも不気味だった。
「ロブ、こっちこい」
アキヒサに小声で呼ばれ、そばに行った。
「おはよう。すっごいな、これ。正直怖いよ」
「俺もだ。想像してたよりもやばい感じだぜ」
「このまま近づいて大丈夫なのか?」
そういえば、近づくと落とされるみたいなことを言っていたような。あんなの相手にしたくない。
と、ドナテラが船首に行って声を上げた。
「幽兵よ! 帝国特殊部隊ブレイカーズがギド・デュモン大公に会いに来てやったぞ!」
え! そんな大声で、大丈夫なのか? ……大丈夫なのか。
「刺激するなって言ったわりにすごく偉そうだな……」
アキヒサがうなづき、ひそひそ耳打ちしてきた。
「協調性がないからって、皇帝一族は昔からデュモン家を嫌ってるらしい。っていうかよぉロブ。幽霊っ
て言葉通じるのか?」
知らぬよそんなの……。だが見た感じ、通じているらしい。幽霊たちが静止し、一人の若い男性の容姿をした幽霊がスーッと前に出た。幽霊のくせに眼鏡をかけてボロいローブを羽織った幽霊。代表者ってことなんだろうか。
「フン。ここより先はデュモンの領域。しかし歓迎しよう、同志の子らよ」
「幽兵が言葉を理解してるのは知ってたけど、会話まで出来るとは知らなかったわ」
幽霊はそれには応じず島へ向かって移動しだした。他の幽霊たちはわきに避けて道を作り、クルト号が眼鏡幽霊の十mほど後ろに続く。
「うっわぁ、みんなこっち見てる……。気味悪いな」と、たまらずオーロラが漏らした。恐れか嫌悪か、幽霊たちを睨みつけていた。
浮遊島の岩山を超えようとした時だった、先導していた幽霊がピタッと止まりくるりと俺たちのほうを向いた。道を作っていた幽霊たちも距離を取り、クルト号を中心に球をかたどった。まるで、アリーナ――。
「どうした!」
眼鏡幽霊は怒鳴りつけられると、感情のこもらない声を発した。
「同志の子ら、我は危惧しているのだ。貴殿らが弱者であることを。リナスたちは諦めていないからな。一つ腕試しである。ちなみに退路はない」
そう言い終わると同時に、幽霊の両サイドに人の背ほどの真っ黒い円が現れた。なんだか吸い込まれそうな先の見えない黒。誰かがとても小さく、まずいと呟いたのが聞えた。
「どういう――」そうドナテラが言い終わらないうちに
黒円から大量の謎の物体が俺たちめがけて飛んできた。
状況を飲み込めないでいた俺は動くことが出来なかった。アキヒサとドナテラもだ。オーロラが勘を働かせて宝石の魔術で攻撃を防いでいなかったら、今無事ではなかった……! オーロラがこれを使うのを初めて見たが、透明なシールドのような感じで、絶えず降り注ぐ謎の塊を見事にはじいている。
「あの野郎!」
アキヒサが吠えた。ドナテラも悪態をつき、オーロラは幽霊を睨みつけた。
俺もすぐに宝石を掴んだ。怯んでる場合じゃない。どうする? アキヒサの爆発罠を設置して後退するなんて悠長なことは出来そうにない。黒円からの攻撃も射程が広そうだ。いやそれよりも、こっちの魔術が通るのか? 相手は幽霊なのに。しかし選択肢はない。
「魔術 幻視!」
やった! 手ごたえがある。
「ロバート、何をした!?」
ドナテラの目力に一瞬背筋が震えた。
「ク、クルト号が移動している幻覚を見せてみてる!」
「なんだと?」
間もなく、塊のゲリラ豪雨は幻覚のクルト号の位置に合わせて動いていった。目下の脅威は一旦去ったのだ。幽霊の首の角度を見てもうまくいってるようだと分かる。
「ロバート、そのまま続けて!」
言われなくても集中していた。次の手は三人に任せよう。
「ペト、武装変化・毒銃!」
ベルトの紫の宝石が大きな銃に変わるのが見えた。そんな魔術も封じられていたのか。ちゃんと教えといてほしかった。
「信賞必罰! 腐れ!」
幽霊に向けられた銃口から、四発立て続けに空気を裂く音が聞こえた。
よく見えなかったが弾は当たったらしく、衝撃か、幽霊はグニャグニャと動いてから首をガクッと垂れた。そういう体してるのか? と思いながら俺も幻術を解いた。今はだいぶ心にゆとりがある。これまで戦いの時には自分しかいなかった。しかし今は心強い仲間がいる。あの俺の中に潜む何者かに助力を乞う必要だってないのだ。
「やったかな?」
いつの間にか前衛になっていた俺とドナテラは半ば勝利を確信しながら幽霊を見上げた。はずだったが――
「いない……?」
そこには黒い円も幽霊の姿もなくなっていた。ずっと見ていたはずなのに、どこに消えたのかも消えた瞬間も分からないなんてことがあるだろうか。
その時、ゼリー魔族と交戦した時のことを思い出した。あの時も姿が突然消えて、そう確か俺の中の"誰か"は……。まさか!
「みんな! 幻術をかけられてる! あいつはまだどこかにいる!」
もう遅かった。すぐ背後に回っていた幽霊が、オーロラに短剣を突き刺そうとしているのがまざまざと見えてしまった。
しかし、オーロラは寸前で横に吹き飛んだ。アキヒサが庇ったのだ。
短剣をお腹に受け止めたアキヒサは、そのまま幽霊と一緒にグーっと船首まで飛ばされ、縁に短剣ごと押し付けられた。とてつもない速さ、この幽霊は異常なまでの戦闘力を持っている!
ガッ! というアキヒサの短く鈍い悲鳴が飛んだ。
「アキヒサ!」
「どいてロブ! こんの死に損ないが!!」
ドナテラは俺を左肘で押しのけ毒銃の引き金を引いた。銃弾がアキヒサにあたってしまう! 一瞬そう思ったが、銃弾は正確に幽霊の左肩だけを貫いた。銃弾の跡は、まるでペンで貫いた紙のように穴になった。ドナテラは続けざまに連射していく。瞬く間にボロボロになっていく幽霊は俺たちに向くと、踊るように空中を滑り出した。
「ちょろちょろとぉ!!」
ドナテラはいよいよムキになりだしていた。勝てるか? ドナテラの銃撃で、幽霊の体の損壊は見た目には激しい。しかし、なぜ気にしないんだあの幽霊。一切の回避・防衛行動をとらない。幽霊はもうすぐそこにいた。俺には目も暮れず、銃を持つドナテラを少し宙に浮きながら見下した。そして穴だらけになったその顔をドナテラの幼さの残る顔に近づけて、手で銃をねじ伏せた。
「学べクソガキ」
ドナテラが、口を半開きにしてこわばった。
……何か、まずい!
「――幻術!」
「ふぉお??」
幽霊が腑抜けた声を上げて固まった。