28 流し流れ流され
「へぇ、これがサクモチ――さくさくもちもちしたお菓子――かあ。捻りのない名前だけど、これ以上ないくらいこのお菓子のことだな」
俺とアキヒサ、それにオーロラは大学内のカフェで待ちぼうけをくっていた。時刻は午前十一時、学生の数はまばらだった。
「ロブは寛容だな。学士クラスの人間じゃないと会わないなんて、ふざけすぎだろ」
ブレイカーズ一行は魔空挺・クルト号によって確かに入校出来た。しかし、目当ての人物であるカロピタ博士は学士以上の人としか会わないというのだ。
「そりゃ不愉快だけどさ、そんな視野の狭い人ならあんまり会いたくないからね。図書館も学生以外出入り禁止だし、俺としてはデュモン大公のほうに急いだほうがいいような気がして、あ……」
アキヒサにサク(サク)モチ(モチ)を強奪された。
「それは酒場でのうさん臭いやつのことがあったからか?……これ、うめぇじゃねぇか……」
「この前会ったっていう黒い服着た女?」
テーブルに置かれたフルーツジュースのストローを無心で咥えていたオーロラが、突如会話に参加してきた。俺は本当に無心かと思っていたのでビクッと肩を揺らしてしまった。
「そうそ。ロブは何か好かれてたしな。言いなりになっちゃいたいとか思ってないだろうな?」
「いやいや思ってないし、あの態度は俺ら二人をからかってたんだよ」
思ったより無価値な話と思われたのか、オーロラはすぐに興味を失い、またストローを咥えた。
会話が止まり、俺たちは思い思いにお菓子や飲み物を口に運んだ。
しかしドナテラがここの修士持ちとは。この場にドナテラだけ居ないのは、彼女だけが向こうの条件をクリアしているからだった。
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「あーもう、本当腹立つ! このテーブルをぶん投げたい衝動が私の中からやっでぐるぅ~」
一方、大学の貴賓室で一人待たされるブレイカーズリーダー氏は怒りに震えていた。ドナテラは待つことに腹が立っているのではない、仲間を突っぱねたことに腹を立てているのだ。しかし、ドアをノックする音がしたのでとっさに平静を装う。
ドアが開くと、小柄な初老の男が入ってきた。ドナテラは会ったことがなかったが、そいつは学校内でも特に有名な奴だった。金切り声のカロピタ教授、うざさと頭脳はピカイチな院生の敵。
「待たせたねぇ、トロプ第二王女。なんで修士でやめちゃったの? 学費は全部家の、いんやぁ国の金から出てたのに、そんなことではいけないなぁ」
「手厳しいですね」
開口一番がそれか、とドナテラは掴みかかりたいのをなんとかこらえて握手をした。二人は低い机を挟んで、長椅子に腰かけた。早めにカロピタから離れたいドナテラはすぐさま本題を切り出す。
「それで、話というのはこれでして。どう思われるでしょうか」
訊く内容は、予め丁寧に紙にまとめてあった。内容は主にロバート・ドルドの不可思議な点について。それとロバートが湖で仕留めた魔族が着用していた、鎧の残骸についてだ。後者に関しては現物を持ってきていた。6枚分のその内容を渡すと、カロピタは読んでいるのか疑わしい速さで読み切った。
「……ふむ。確かに僕は魔術に関する知識はある。でもそれはあくまでも、いざという時の兵器開発のためだ。しかもそれを依頼したのは君の父君。この男の話なら古書でもあさりたまえよ、専門外だ。それくらいのことも皇帝は理解してないのかねぇ。まったく、一族経営ってやつはこれだから困る」
平然と侮辱してくるカロピタ。ドナテラは手を置いていたスカートをギュッと掴んだ。「そうですか」と返した顔は見るからに引きつっていたが、カロピタはそれには気付かなかった。
「鎧の方は興味深いね。それがあれば、新型戦艦の装甲は大きく進歩できるかもしれない。その君の後ろにある木箱に入ってるんだよね、今改めさせていただいても?」
「えぇ、構いません」
カロピタは箱の前に行き、内心ワクワクしながらそれを開けた。中の鎧を手で撫でると「こういうのもあるか」と呟いて箱を閉じ、また腰かけた。
「確かに受け取りましたよ、王女様」
「……それとこれは、父上から預かった文です」
ドナテラから文を受け取りサッと目を通すと、カロピタはヒッヒッヒと気味の悪い声を上げた。
「すごいねぇ! これに何て書いてあると思う? 帝国からの予算が倍以上に増えたんだ、出どころはペテルセン商会だよ」
「帝国屈指の規模を誇る商会ですね」
ドナテラはそれをパパ上――皇帝――から聞いていたので、素っ気なく返した。ペテルセンが本格的に政治に噛んできたことは不愉快だったが、提示額が大きすぎたというのがパパ上の言い分だった。
「正解! あの肉だるま、何企んでるのかなぁ」
そう言って文を懐にしまい立ち上がると、お帰り下さいと仕草で示した。ドナテラの怒りはまたも溜まる。
「ささ、もう用は済んだよね。僕はこれで、ん? ……うわぁあああ!!」
振り返ったカロピタの目に飛び込んできたのは、白い腹とふじ色の背をした大きな蛇だった。蛇は驚いてしりもちをつくカロピタを冷たい目で見下ろすと、シャーと喉を震わせ威嚇した。
「あら、大きな蛇ですね。トロプの家紋にも蛇がいますけど、私を守ってくれてるんですかね?」
一人お尻をつくカロピタを残し、ドナテラとペトは貴賓室を後にした。
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さっきから学内が慌ただしい。全速力で駆け抜けていく生徒や教員が、何人かカフェの横を通り過ぎていった。およそ名門校らしからぬ光景である。
「なんか騒がしくない?」
オーロラが嫌そうな顔をして、駆け抜ける人々を眺めている。
「そうだナ、……。あれのせいだ、見ろよ」
アキヒサの指した先で、小柄な金髪の女性がふじ色の大蛇を従えてカフェに向かってきていた。
「早かったじゃねぇか」
カフェでボーっとしていた俺たちと、怒れるドナテラで空気感が違う。
「超無駄足だった! あいつずっと偉そうだし、そのくせ専門外だからロブのことはわかんないとか言うんだよ? 私のことにも――」
と、堰を切ったように愚痴りだした。後ろに控えるペトは、ドナテラの怒りを反映したのか、いつにも増して迫力があった。あんなに、睨むような目つきだった気はしない。
「ほらもう移動しよう早く! リーダー命令!」
そう言うや否や一人でクルト号目指して歩き出したので、俺たちもコップを片して後を追いかけた。
「ドナテラが怒ってるところ久しぶりに見たかも。あの子、本気で怒るとすごい冷徹になるんだけど、ロバートはそういうドナテラ見たことあるっけ?」
そう言われて、俺は早足で歩きながら思い出していた。
「そういえば、俺が村を発つ時にそんなことがあったよ。レバンニを捕まえた時も、中々容赦なかったよね」
「そっか。カロピタ教授みたいに皇帝と親交ある相手にはあまり強くでれないから、怒りが発散出来なくてあぁなってるの。っていうか、レバンニって誰? 容赦なかったよね、とか言われても」
え? 名前すら覚えられないほど避けられていたのだろうか。
「ほら、あの捕まえた空賊だよ。クルト号の雑用係になったっていう……」
するとオーロラとアキヒサが互いに目配せして首をかしげた。
「何それ? え、どういうこと?」
「寝ぼけてたんじゃねぇの。今頃死刑か、良くて牢獄の中だろう」
「そんな……。確かに昨日話し……タ――!」
俺たち三人は急に戻ってきたペトにまとめて捕まえられ、すごい速さ――体感――でクルト号まで移送された。ペトに驚いた船番が叫び声を上げながら逃げ出していくのが見えて、次に甲板で腕を組むドナテラが見えた。
「遅い!」
ペトから解放されると、もうクルト号は発進していた。俺たち三人は若干目を回す羽目になっている。オーロラが抗議の声を上げた。
「もう! 少しはおしとやかにしたらリトルクイーン。またソフィ王女に言われるよ?」
「う……。まあいいから!」
そんな会話を気にしてる気分になれない。
俺はすぐに船室に降りた。奥のレバンニがいたはずの部屋をのぞくと、そこには人がいた気配はなかった。定期的に掃除していなければホコリなどみるものがあったが、少なくとも物の配置はもう一方の空き部屋と同じ。寝ぼけていたなら、あのレバンニは俺の知らないことを語らないだろう。だが、少なくとも俺が知らなかったオーロラのラストネームをあいつは知っていた。でも、それはそれでおかしいかもしれない。みんなオーロラと呼ぶからこそ、俺はホープという姓を知らなかった。あいつはどうやってそれを知ったというのか。
「どうしたんだよ? せわしないな」
「わっ!」
驚いて振り返るとアキヒサが真後ろに立っていた。
「あ、悪い。驚かすつもりはなかったよ、うん」
こっちこそごめん、と断ってから、俺はもう一度部屋に目をやった。
「それよりこの部屋にさっき言った空賊のやつがいた、はずなんだけど……」
「……うーん。こんな時こそ俺の出番だな。魔術、五感強化――」
今更ながら、真面目な顔をしたアキヒサは少々強面だとつくづく実感する。ぎろりとした目で部屋を軽く見回し、その表情がわずかに曇ったのがわかった。
「……ロブが正しい……かもしれない。わずかだが、覚えのない人の匂いがある。その空賊かは、よくわからんが。ロブ、船内を探してみよう」
アキヒサは半信半疑でも俺には確信があったし、焦りが心に広がっていった。もしやつに逃げられたのだとしたら、これは俺の責任かもしれない。散々迷惑かけてるのに、失態を増やしたくない。
その後、二人にも事情を話してクルト号の隅々まで探したものの、レバンニはどこにも見当たらなかった。痕跡もない。その間にもクルト号は進んでいた。
オーロラは腕を組んで考えを巡らせた。
「狙いが脱走ならリーデルホッグについてからも留まるわけないし、もしかして大学が目的地だったのかしら」
「なんかごめん。せっかく俺が接触してたのに」
ドナテラが右手で髪の毛を弄りながら、俺を慰めてくれた。
「いいよいいよ。結果論結果論。でも……どうしよう? あんな広いところに入られたらそうは見つけられないだろうし、そもそも戻りたくないしなぁ」
…………。
「よし! 放置します」
「え!? でも魔族のことを話されたりしたらまずいんじゃ……」
「そうだぜ。それとも俺たちを信じてないのか? 確かに、元からい――」
まさか、とドナテラは制止した。
「違うよ。こういうのは案外事実だって、相場が決まってんの。でも私が知らないってことは、どうやってか兵士にも気付かれず脱走したってこと。市街ではなくこの魔空挺に逃げて、どうやってかうまく隠れ続けた。なんだかおかしくない? 私はこれ以上後手に回るよりも、先に先に事を進めたほうがいいと思う。それに、魔族の話をしたって、民衆はそう簡単には信じないよ。だから、まだ猶予はあると思うの」
そう、なんだろうか? 酷く楽観的なように思えたが、俺には正しい判断が何なのかよくわからなかってきていた。
オーロラにも意見を求めて視線を向けた。
「ん? 私もそれでいいと思うわ。なんなら防衛魔法が弱まってることが知られる前に、私たちが魔族を殲滅すればいい。そういうことでしょ、リトルクイーン?」
「さすがオーロラ! そういうこと。そしてデュモン大公が揃えばブレイカーズの突破力は跳ね上がる。本陣を潰しに行ける」
更に楽観的になったような気がする。しかしアキヒサも難しい顔してはいるが反論しないところを見るに、ありな判断なのかもしれない。『判断に困ったら前進出来そうな方を選べ』とは父さんの言葉だ。この場合はみんなに従うのが前進出来る選択に見える。うん、多分、それでいい……。
俺は何とも言えないため息をついた。
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ミルコ・レバンニは指示通り大学へ潜入していた。厄介ごとは嫌でも、処刑されるよりはマシだった。とは言え、自分の人生の当てのなさに、ミルコは内心嫌になってもいた。
王女様が貴賓室から出てきた。でかい蛇も一緒だ。危うく声を上げるところだったが、なんとかこらえる。あの眠り坊主に見られたときには終わったと思ったが、奇跡的に逃げおおせた。こんなところでまた捕まったら、楽に死ぬことも出来ないだろう。ミルコは王女様が見えなくなるのを待って、貴賓室に侵入した。
「カロピタ教授、ご無沙汰しております。レバンニです」
かつての恩師、カロピタ教授は情けなく尻もちをついていた。あの蛇のせいだろう。
「あ? あぁ……あ~、レバンニ君? なんでここに? 知ってるよ、空賊やってるって。まさか私を殺すなんて……」
「違いますよ! こっちも色々ありましてね。ある方から頼まれたんですよ。まぁ、まずは手をお貸ししますよ」
ミルコはカロピタをグイっと引っ張り上げた。