26 金色のリトルクイーン
静かな夜。倉庫の明かりは天井に灯った弱々しい白い灯りだけで、エルスという発光する鉱石の光を何倍にも増幅させたものだそうだ。俺は壁を隔てても聞こえてくるアキヒサのいびきで、甲板に追い出されていた。無心で虚空を眺める状態になる。
「……ロバート?」
ビクッとして振り返るとドナテラだった。眠そうに目をこすりながら、ふわぁ~とあくびをする姿がまるで小動物のようで、かわいらしかった。金髪は綺麗に整っていたが、草色の服はところどころ汚れてしわがついている。誰かが今ドナテラを見ても、皇族とは思わなそうだ。
「そうだけど、どうしたの?」
「ちょっとね。でか男の騒音に起こされた」
いびきか、寝てる人間まで起こすなんて。それより、ドナテラに1つ謝らないといけないことがあったのを思い出した。
「ねぇ。この前はドナテラをこどもかと思ってた、なんて言ってごめんなさい」
ドナテラはきょとんとして少し考えてから、「あ~」と眠い声を出した。
「あれかぁ。ま、私実際ちっっっこいから。しかしよくそんなの覚えて……ってそうか。昨日のことだもんね、寝てたから」
「……アハハ……面目ない」
なんだよ、忘れてたのにほじくり返したみたいじゃないか。余計なことをしたかもしれない。
「それで君はどう思う? ちっこい大人の女」
「へ?」
質問の意味がいまいち分からなかった。
「へ? じゃなくて。私さ、この隊での任務が終わったら結婚しなくちゃいけないのよ。覚えてる? 帝都に着いた時に居合わせたルーってやつ」
「……。確かまだ若いのに帝都警備隊の総司令官で、って人だっけ」
「そ、私の1コ下。去年彼が警備隊の総司令官に就任した後に城で宴会があって、酒に酔ったパパ上が私の嫁にどうか、なんて言ったのよ。そしたらルーのやつ本気にしちゃって、その場で私にプロポーズしたの。場の雰囲気が既に祝賀ムード、圧力がすごくて断るに断れなくて。人生ワーストの失敗だったわ」
ため息まじりに、ドナテラはごろんと大の字に転がった。しかし、帝都でルーと話すドナテラは嬉しそうに見えたような。
「顔は覚えてないけど、年齢も離れてなく将来有望なんでしょ? 気が合わないとか?」
無機質な天井を虚ろに眺めながら、ドナテラの声は諦めのようなものを含んでいた。
「えーとね、ルーにとって私はあくまでも素敵な第二王女様なのよ。わかる? あいつ、自分と私が同列にいると思ってくれてない。……別にあいつに落ち度があるとは思ってないし、断れなかった私が悪いのは分かってるんだけど、ね……。その点、ロバートは私に一度も敬語使わない程度には畏怖なく接してくれるから嬉しいよ」
俺にはわからない心理かもしれない。察することは出来るが感覚としてわかるとは言えなかった。
しかし、それじゃまるで俺が礼節に欠いているようじゃないか。一度も敬語を使う場面がなかっただけのことだ。初めて出会った時を思い出すと、乾いた笑いが漏れる。
「ドナテラさぁ。いきなり自由を奪ってナイフ付きつけてきた相手に、敬語使う気持ちにはなれないと思うよ普通。そういえばペトを見てないけど、どこ行ったの?」
すると、すぐに長い黄色いくちばしを持った奇怪なふじ色の鳥がクルト号の影から飛んできた。下のくちばしはたるんでいるのか、下にだらーんと伸びていた。これが今のペトの姿なのだろう。なかなかユニークな鳥だ。ドナテラが上体を起こしてにっこりと笑った。
「びっくりした? 実は川に行っても魚釣れなかったんだよね。アキヒサは教えるのはうまかったんだけど、釣るのは下手すぎて……。空の雲行きも怪しかったから、代わりにペトに魚狩ってもらったの。……ずるじゃないからね」
ドナテラの継承した紫の宝石は、宝石自身があらゆる生物に変化できる魔術を封じられている(もう1つあるらしいが)。俺の翡翠の宝石の幻術よりよっぽど使い勝手が良さそうだ。俺はその奇怪な鳥の頭を撫でながら、魚釣りに興じる2人を想像した。面倒見のいいアキヒサ、釣れなくて不機嫌になるドナテラ。想像しててちょっと楽しくなる。
「ところで」と、ドナテラが立ち上がった。ペトが俺の手を離れて、宝石に姿を戻しながらドナテラの腰のベルトに帰っていく。そしてドナテラはゆっくり、その金髪が触れるほど俺に近づいて、右手を俺の心臓辺りにそっと当てて俯いた。既に俺の背は船縁にあって、もう下がれない。
「な、なに?」
「……私のこと好き? 私、ロバートなら良かったなって。ルーから私を奪ってよ」
ドナテラの消え入りそうな甘い声が、俺の頭を緩やかに駆け抜けた。表情は見えない。ただ綺麗な金髪が小さく光っていた。
すっかり動転してしまって、どう、え? 結婚してくれってことなの……か? 略奪婚を要求されている? いやいや。姉ちゃんや母さんや村のおばさんたちとしか女性交流がなかった俺には、どう言うのがベストなのか分かるべくもない。でも黙ってるのは一番いけない気がして、何とか声を絞り出す。
「ドナテラは……とっても可愛いと思うんだけど……そういうのは、まだ早い…………かな?」
すると、ドナテラがスッと上目づかいで俺を見た。ようやく見えたその表情は切なそうで、そしてとても色っぽかった。俺がそれを見てさらにドキッとすると、非常に意地の悪い笑顔をにやにやと浮かべて一歩離れた。
「ッフ、フフフフ。残念! ロバートは私と違って雰囲気に負けなかったか」
そう言われて思わず座り込んでしまった。
「もー、頼むからそういうのは無しにしてくれよ……」
ドナテラは元気よく笑いながら俺の横に座った。そしてちょっとだけ、寂しそうな顔をした。
「フッフッフ、これがリーダー権限なのだよ青年。……でも、奪ってくれたら私は本当に嬉しいけどね。いい人と結婚するのは、亡きママ上との約束でもあるし。それにしてもよく聞こえたよ」
「……何が」
「ロバートの心臓の音! すっごく速かったね。嬉しいんだよ? 私でここまでドキドキしてくれたなんてさ。アキヒサなんかはね、自覚ないようだけど本気で私を子どもとして扱うから、きっとこうはならないと思う。だからこれで許してあげるよ、私を子どもだと思ったこと」
「はぁ、ありがと……」
1つの発言が、随分高くついたものだ。もう決して、子どもとは見れないだろう。しかしドナテラは本当に嬉しそうに、楽しそうに、ニコニコしていた。それを見ているとなんだか許せる。この感じ、姉ちゃんに遊ばれていたのと同じ感覚だ。
「あら、どうしたのリトルクイーン? 随分うれしそう。と、お隣さんは何をそんなに疲れた顔してるの。今日やっと起きたって言うのに、また昏睡なんてしないでよ?」
声の方向へ首を回すとオーロラがいた。街から帰ったオーロラは、2本の羽根のついた濃紺の中折れ帽を被っていた。
「あ、オーロラ! お帰りなさい。どこ行ってたの?」
「その嬉しそうな顔してる理由教えてくれたら、教えてあげる」
「うーん、それは秘密かなぁ。ねえ、ロバート?」
考えるまでもなく、こんな話は知られたくない。
「そうしてください……」
なんだ?と言うようにオーロラは首を傾げた。
「なら私も秘密よ」
「残念! ねぇ、その帽子、とっても似合ってるよ!」
「褒めたって教えないわ。でも、ありがと」
オーロラはニコッと微笑んだ。