21 ナチュラルノクターン
アサマ、ドルドの二人とは別行動を取ったオーロラは西の広い高原に来ていた。帝都からは離れているし日暮れ時だ、酪農にも何か不都合があるとかで全く人の気配がない。鳥や動物たちもどこかに引き上げたようで、チラチラと虫たちがいるだけだ。そんな場所で、オーロラは丈の低い植物のカーペットに突っ伏していた。
やがてゴロンと仰向けになると、その顔は涙で濡れていた。
「空はどこで見てもおんなじ。もう空だけが故郷かもしれないなぁ」
と、ポツリと呟いた。
今度はゴロッと横に転がった。左手で生えている草をギュッと掴み、胎児のように丸くなる。
「寂しいなぁ。こんなに寂しくなるなんて、私ってこんなに脆かったんだ。いや、あいつのせいか。あいつがあの人に、あそこまで似てなければこんな思いは……」
ギュッと掴んだ草に話しかけて、少し微笑んだようだった。虫たちのララバイが耳に心地よく響いてくる。オーロラはいつしか、ライトグリーンの布団の上で眠りに落ちていた。
***
はっ! とオーロラは不意に目を覚ました。すっかり眠ってしまったようで、よく寝た後特有の心地良さを感じた。虫たちの合唱は思っていたよりも癒しの力があったらしい。陽はとっくに落ちて、最初から無かったかのようだ。
今の頭上を支配するのはキラキラと輝いている星々。茜色の空もいいが、こんな空は一段と好きだった。オーロラは大きく息を吐いて、天を仰いだ。灯りがなく空気が綺麗な分良く見える。学者連中はこのどこまで続くか知れない宇宙と、自分たちの住んでいる「不自然に浮遊し、空気の層に守られた土地」について頭を捻っているそうだ。一度力説されたがチンプンカンプンだったことを思い出して、クスっと笑った。
さて、多分寝たのは日没の……七時半くらいで、どの程度寝たんだろう? 三時間くらいならいいけど、と思いながらゆっくり体を起こすと一頭の茶色い野犬が、オーロラをすぐそばで見つめていた。(いつからいたんだろう?)と首をかしげる。群れで行動するのが常の野犬が一頭で、それも敵意もないのは珍しい。
「どうしたの?」
問いかけにもクーンと返ってきただけだった。残念ながらオーロラに犬の言葉は分からない。そっと手を伸ばして顎の辺りを撫でてやると、野犬は目を瞑って心地よさそうに鳴いた。それが可愛くてオーロラはしばらく撫で続けていた。
ひとしきり撫でられた野犬はおもむろに後ろを向いた。そして何かをくわえると、それをオーロラに差し出した。
「なぁに? くれるの?」とオーロラはまた野犬を撫でながらそれを受け取ると、驚いて手を止めた。それはボロボロに崩れた小さな女の子の人形だった。
「こんなことって……信じられない!」
また涙が頬を伝う。「ありがとう……ありがとう……」と、今度は両腕でしっかりと野犬を抱きしめた。
やがて野犬は白みだした夜の高原を軽快に走り去った。
オーロラもそれを見送ると立ち上がり、ボロボロの人形を大事に胸に当ててから上着のポケットにしまい、歩き出した。
***
オーロラが帝都に帰り着いた時には、すっかり朝になっていた。活気に溢れる人、人、人! 向かう宿舎、小熊亭は城の近くにある。それは特に商店が密集した地区であり、あまり好きではない喧騒に埋もれなければならないことを意味している。そんなときは心を空にするよう心掛けるのが常だった。なので、すれ違った女の子が自分を見て笑っていたことにも気づいてはいない。
しかし、「そこの白い服着た美人さん! 一部買っていかないかい?」などと目の前で言われては、さすがに素通りは出来ない。
「やあやあ、旅人だろ? 情報は生きるためには命の次に大事だ。一部買ってきなよ! うちの記事は既存のメディアとは比べ物にならないよ!」
沿道を歩いたせいかもしれないが、この人ごみのなかで自分を選んで声をかけた一際活発そうな新聞屋が気になって、オーロラはうっかり足を止めてしまった。やせ型でまだ若そうな黒髪の男。肩眼鏡なんてかけてる人間を見たのはその時が初だった。
「情報なら間に合ってるから」
「まぁそうおっしゃらずに! 私の勘が告げるのですよ、あなたは大物だと。金のある所に権力あり、権力あるところに情報あり。あなたならこの記事を嘘かどうか見抜けるのでは?」
「鬱陶しいわね……。だいたい、この軽装のどこに大物のソレがあるって」
「昨日城から出てきたじゃありませんかぁ、その格好で。しかもあなたが城に出入りするのを見たのは一度じゃありませんよ。私、名前をピーター・セオドールと言いまして、ここの会長兼記者なんです。一度見た顔は絶対に忘れません。変装した著名人だって私にかかりゃ裸同然。政治家とつながりがありそうなあなたに是非とも読んでほしい」
ぐいぐいまくし立てる記者――セオドールは話すスキを与えない。
その名前はドナテラから聞いたことがあった。ここ数年でめきめき力を伸ばした『日刊貴国』という新聞を発刊する、貴国社の会長。様々な角度から、実に正確な情報を証拠付きで流す日刊貴国の大黒柱。既存の、財務局と金融コントロールをしたり、時代に淘汰されそうな職業を何とか盛り上げたりしていた新聞社はほぼ全て潰されたという。その余波で失業者が増えたと皇帝は嘆いていたそうだ。
セオドールはニヤリと笑みを浮かべた。
「その顔、やはり私の名前を知っていましたね。実のところ、帝都住民はほとんどが購読者でして。早朝に配達してあるので、外から来た人しか店頭で買ってくれないのですよ。でも折角帝都に帰ってきたのでねぇ、初心に帰って店頭で売りたいのですぅ」
オーロラは無感情だった。無視して立ち去ろうとすると、「お代はその裾に着いてる草っぱでも構いませんよ?」と少し大きい声で言うのでつい見ると、千切れた細い草がついていた。オーロラはなんだか恥ずかしくなり、草っぱをセオドールの手に押し付けて新聞をかっぱらった。
「まいど~!」
歩き去るオーロラの背中を見て、セオドールは笑いを堪えるのに懸命になっていた。
「どうしたらあんなに草っぱまみれになるんでしょうかねえ」